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(5)あなたは何も恐れずに心配せずにただ自分の声だけに
従って行動してください
● あなたのすることを止める人はあなたの気持ちを考えていない
あなたにとって、「したくないけど」今そのままそれをし続けるメリットはなんですか?
そこにいれば絶対に安全だという保証があるのでしょうか? あなたの信じている人は、あな
たのことを考えてくれていますか? 本当にそうですか? 本当にあなたのことを考えている
としたら、では、なぜ、あなたがしたいことをとめるのでしょうか? あなたに「死」がない
ならば、あなたの魂が傷つかないならば、危ないことがないならば、苦労をしなければ天国に
いけないならば、あなたに永遠の時間があるならば、あなたの行動(あなたの考え/夢)をそ
の人が止める理由はなんでしょうか? あなたが「したいことをする」という行動を取ったと
きにアレコレ言い出す人は、あなたのことは何も見ていません。その人は何も分かっていませ
ん。自分の都合、自分だけの真実に基づいてあなたに投影している(置き換えている)だけで
す。自分の夢が壊れないようにしようとしているだけです。あなたの人生のことなど眼中にあ
りません。あなたのことなど何も考えていません。あなたはその人を批判せずに、あなたの夢 P159
を実行していけばよいだけです。あなたがこのことに気づいていないのが原因ですから、あな
たがその人の言うことを聞いて思いどおりにいかなくてもその人のせいではありません。あな
たも人に同じことをしているのではありませんか?
人は、自分の現実に基づいて、自分の真実に基づいて、自分の外を見ています。人は、自分
が「こうあるべきだ」という基準に基づいて、あなたが自分にとって危なくないかどうか、あ
るいは、あなたが自分から離れないかどうか、または、あなたがルール(法律/道徳/マナ
ー)違反をしていないかどうか(自分を心地悪くしないかどうか)、という基準であなたを見
ています。つまり、あなたのすることが、自分にとってためになるかどうか、であなたを見て
います。あなたのすることを自分の基準に照らして「正しいか間違っているか」という目で見
ています。あなたがこういうふうに言えば、今度は、『せっかく心配してやっているのに』『人
の気持ちを分からないのか』『悪いと思わないのか』と自分のことは棚にあげて、あなたを責
めます。自分のしていることを全くわかっていません。相手があなたと同じ現実を見ているな
らば、あなたのしたいことを止めることはできません。あなたは自分がしたいからするのです。
あなたは自分を止めますか? その人があなたと同じならば、あなたがしたいことをしている
ように、あなたのしていることを止めることはしません。つまり、あなたの言うことやするこ
とを止める人はあなたの気持ちなど考えていないのです。
● 「あなたのため」というのは「自分のため」の別の表現 P160
人はただ、『こういうことは間違っている』『間違ったことはやめさせるべきだ』『こういう
ことは危ない』『こうしていると死ぬ』『こういうことは迷惑だ』云々と習った(教わった)こ
と(学んで身につけた基準)をあなたに適用しているだけです。教わった(言われた)通りに
行動しているだけです。あなたが間違っているのでも、迷惑なのでも、危ないのでもありませ
ん。その人にあなたの演じている映画がそういうふうに見えているというだけです。それをそ
の人が口に出しただけのことです。ただの「ひとり言」です。あなたはその人の言うことを聞
く義務はありません。言うことを聞かないことに罪悪感を持つ必要もありません。その人は自
分が何をしているのか知りません。あなたそのものを危ないと思い込んでいるのですから、あ
なたがこの理屈を持ち出してもその人は言うことを聞きません。あなたのすることに口出しす
る人は、自分の都合の良いように、あなたのすることをコントロールしようとしています。本
人が気づいているかどうかは別です。本人は自分が正しいと思うことを実行しているだけです。
本人が正しいと思っている基準であなたを裁いているだけです。あなたもそうです。人がそう
いう行動をしていても、あなたが本当のことを知っていれば、その人が何をしようとあなたに
は何も関係ありません。その人のしていることはあなたにとっては映画になります。あなたに
人がどう見えるかは、あなたの宗教次第なのです。
『あなたのためだ』といっても、それは、あなたのしていることが『あなた自身のためにな P161
らないことだ(自分だったらそれがいやだ)』と教わったからそういうふうに言っているだけ
です。そういうことを言うこと自体、何か思惑(何かさせよう/してもらおう/教えてやろう
云々)があるのです。自分の正しさをあなたに適用しているだけです。あなたがそれを受け入
れるかどうかはあなたが決めればよいことです。あなたが受け入れるとしたら、あなたの側に
その理由があります。その結果起きることは、あなたの責任ですから、相手を責めることはで
きません。あなたもその人も、本来は、自分自身の行動は、自分で選択して、自分の責任で実
行できるのです。神様は何をしても自由にできるようにしてあるのです。それぞれが自由にな
ればお互いが何の邪魔にもならないばかりか、満たし合いで遊べるようにしてあるのです。コ
ントロールをすればコントロールを返して不自由にしてそこに気づけば出られるようにしてあ
るのです。あなたが『そんなことは認めない』と言えば、いつまでもそれを言い続ける(不自
由になる)のです。この堂々巡りに気づけば、あなたは、人を責めずに、その状況から出られ
るのです。あなた自身は魂ですから、この世界での生死や怪我や損得は何も関係ないのです。
それらを理由に人を動かそうとしても無効です。
● あなたがあなたに勝手に制限をはめて「一人芝居」をしているだけ
あなたが本当に自由になるためには、最期の最期はここまで自由にする必要があるのです。
あなたには制限は一切ありません。あなたがあなた自身に勝手に制限をはめている一人芝居で P162
す。あなたが選択した基準であなた自身を制限しているだけです。誰かが『やるな』と言った
のですか? やってはいけないと決まっているのですか? 『決まっている』ならば、長谷さ
んがこの本を書くことはできませんね。誰かが『やめろ』と言ったのですか? あなたは誰か
の命令通りに動いているのですか? あなたは自分で自分の首を締めているだけです。人が何
を言おうとも、あなたがそれを受け入れるかどうかは、あなたが自分で決めればよいだけです。
あなたが何を体験するかはあなた次第であり、あなたが何かの結果を創ろう(早く楽になろう
/早く形にしよう等々)としていないならば、あなたに何が起きようとも、誰かをコントロー
ルする必要はないのです。人は、お互いに持っているもの(神様から借りているもの)を提供
し合って満たし合うことができるだけです。嬉し嬉しの交換です。いらなければ、あなたが選
択しなければよいだけのことです。
あなたが、相手のすることに自分から何か口出しをするとしたら、外のものに特定の意味付
けをしている(偏見/固定観念を持っている)証拠です。相手が何かを強制する場合も同じこ
とです。相手は、それが自分勝手だとは思っていないからできるのです。正しいと思っている
からできるのです。あなたがそれを選ばなければよいだけで、人が何をしていようともそれを
責める必要も文句を言う必要もないのです。あなたはあなたの正しさを実行すればよいだけで
す。自分の正しさを人に強制するから混乱するのです。『それでいいのかな?』と言うから、
あなたは動けないのです。『それでいいかどうか?』の基準は何ですか? あなたはどう思う P163
のですか? 神様はどんな考え方でも自由にさせています。だからこそ、地獄も天国も犯罪も
戦争もあるのです。あなたが神様の心ならば、迷う理由は無いはずです。あなたが思った通り
に実行すればよいだけです。人が迷惑を被ったと言うならば、それはその人の方に原因がある
のであって、あなたがその人に迷惑をかけてやろうと思っていなければよいことです。故意で
なければ何をしても構いません。自分の言う通りに素直に実行していけばよいだけです。とて
も簡単なことですが、難しくしたのはあなたです。
● あなたが何も制限しなければあなたの欲しいものは喜びの中で手に入る
あなたが、何かの形を、『こうやって』『いつまでに』と方法と期間を限定して、創ろう、手
に入れようとして、それがその通りに手に入らないならば、その原因は真釣りを外したあなた
の側にあります。あなたが本当に天国を生きているならば、計画する前に想い通りに実現しま
す。実現したことがあなたの想いと完全に一致します。人間からみたら同時でも時間のズレが
あります。あなたが計画したことが〇.〇〇一秒後の実現してもあなたは同時だと思います。
『計画する前に実現した』と思います。あなたはこれを「奇跡」と言っているだけです。「奇
跡」という言葉は天国を生きている人間には存在しない言葉なのです。あなたが相手に文句を
言っているならば、不満があるならば、そのこと自体がルール違反なのです。あなたは、自ら
がルール違反Φをしておいて、あなたの計画通りに、あなたのシナリオ通りに、外側を変えよ P164
うとしています。うまくいかないのが、人を責めるのが、人にせいにするのが、あなたのルー
ル違反の証です。うまくいかないという状況はあなたのルール違反が創りだす現実です。あな
たは、自分自身が動くのが、自分が考えややり方を変えるのが恐い(そうすると体験したくな
い状況が起きると思い込んでいる=イメージしている「悪や苦」を避けようとしている)から、
自分はそのままで相手を変えようとするのです。相手のルールを自分に都合よくかえて、何も
損しないで、苦労しないで、嫌な体験はしないで、できるだけ楽して、痛みは最小限にして、
自分の欲しいものを得ようとしているのです。
あなたは「自分が正しい」という理屈を次々に持ち出して『損するバカはいない』『あんた
は自分勝手だ』『人を傷つけていいと思っているのか』『困っている人を助けないのは人間じゃ
ない』『神様は弱いものを助けるんだ』云々ともっともらしい理由をつけて、何とか相手を動か
そうとします。あなたがそういうことをしている時は、相手を悪くして自分が良くなろうとし
ている時ですが気づいていますか? 相手の「罪悪感」を操作して自分の想い通りの状況を作
りだそうとしているのです。そういう時には、自分が優先で人の予定(人の気持ち)はどう
でもよくなっています。あなたは檻の中のものを操作してその中で天国を創ろうとしているの
と同じです。あなたはそこで自由になれば楽なように錯覚していますが、結局は、あなたは自
由にはなりません。相手をコントロールしている時はその相手が必要ですから、その相手から
出ない範囲に、自分がコントロールできる範囲に止まることになります。あなたは自由になろ P165
うとして、逆に、戦いを創って制限を嵌めて、わざわざ自らの首をしめているのです。偽の天
国を創るために人を苦しめているのです。人を苦しめるだけではなく、自分も苦しんでいるの
です。相手があなたの言うことを聞かなければ、あなただけがその枠の中に止まって苦しむだ
けですから、結局、自分だけがバカを見るだけです。あなたがどんなことをしていようと、最
期は、あなた以外の人には何の影響もないから、神様は悪も善も許して自由にさせているので
す。あなたが自分の天国をつくるために人をコントロールする必要はないのです。それは一〇
〇%必要ないゲームです。人を傷つけずに天国が創れるのです。
● あなたは自由になろうとして不自由にしている
あなた以外の人も同じ仕組みです。自分だけ勝手と自分だけ勝手がぶつかり合うから、戦い
になり、お互いに動けなくなるのです。あなたがどんなに計画しようと、どんなに策略を巡ら
そうとも無駄なことです。やればやるほど自分の首を締めるだけのことです。あなたはそれを
続けても、あなたの欲しいものは手に入りません。その時の、あなたのしたいことは、相手を
コントロールすることです。コントロールしたいからコントロール出来ています。あなたは何
に不満があるのでしょうか? あなたがそういうことをしている時は、あなたが望んでいる本
当の想いの通りにはなりません。相手が動いたとしても、想い通りになったように見えても、
それは、あなたがそれで満足しているだけであって、あなたがコントロールをやめて動けば、 P166
もっともっと素晴らしい出来事があったはずです。あなたはそれを拒否して、楽をして、人の
邪魔をして、制限付きの自由を手に入れただけです。あなたは、何の葛藤もなく、誰の邪魔も
せずに、誰にも文句を言わずに、すべて、一〇〇%思い通りになっていますか? なっていな
いとしたら、あなたの側に問題があります。本当の天国を望むなら、まずはあなたが態度、姿
勢、やり方を改める必要があります。あなたは、人をコントロールして自由になろうとして、
どんどん自らを不自由にしているのです。
あなたが欲しいものは、あなたが方法と手順と時間を制限しなければ、その時その時に一つ
一つ与えられます。それを繰り返すことであなたの欲しいものはすべて与えられます。あなた
が『これでよい』と言えば、それしか与えられません、あなたがそれで満足しているならば、
別に構いませんし、あなたが、人と競争することで、人をコントロールすることで、何かを手
に入れることが好きならばそれでも構いません。それは、お互いに迷惑なゲームなのですが、
相手の方もそのゲームに参加しているのですから、お互い自業自得ですから、それを選ぶのも
あなたの自由です。でも、お互いをコントロールしあうことなく、お互いのものを奪い合いす
ることなく、お互い戦うことなく、お互い邪魔しあうことなく、お互いの欲しいものを渡し合
って、お互いが喜びの中ですべてを手に入れる方法があるのです。『そんなものはない』と言
っていたから今のあなたには「ない」のです。あなたがそういう方法があることを認めていな
いだけです。あなたがそれをするのが怖いだけです。あなたが都合悪いと勝手に思っているか P167
ら今は選択していないのです。自分の都合で相手のやり方を批判して、枠の中の天国を創って
平気な顔をしているのが、今のあなたなのです。
● 外に悪や原因があると言っているあなたが自分を心地悪くする原因
あなたが、人をコントロールして手に入れたものは、人にコントロールされて手放すことに
なります。あなたがその方法を選んだのですから、それでよいと言ったのですから、「取られ
た」というのはオカシイことです。あなたのもの(所有物)は一つもありません。すべてが神
様からの借り物です。あなたが勝手に所有しているだけです。神様はそれも許しています。あ
なたがそういうことをすればあなたが苦しくなるだけだからです。あなたは神様のものを取っ
ておいて人をドロボー扱いしています。あなたは自分が悪いことをしているとは思っていませ
ん。神様が見えていない証です。あなたは、神様がいなければあなたは何もできないのです。
イノチがあるから何でもできるのです。生死は神様次第です。神様はドロボーのあなたにも道
具をくれているのです。あなたのやり方が問題なのであって、道具や相手には問題はありませ
ん。あなたには真の感謝はありません。
すべては神様のものですから、あなたのいる世界には、一つとして悪いものや汚いものはあ
りません。全部が聖地、全部が神様の響きから出来ているのです。聖地を穢したのはドロボー
の心を持った人間です。聖なる世界と俗なる世界に分ける心を持った人間です。今でもあなた P168
の外側は神様の響きだけです。あなたの外にあるものが悪いのではなく、あなたが神様と違う
ことをしているから、心地悪く感じるのです。波動が悪いのはモノではなくてあなたの方です。
外側は神様のものですから、すべて神様の波動です。あなたがその波動よりも低いから共鳴し
ないのです。細菌が病気の原因だ、あいつのせいで、天気のせいで、肉がよくない、神社の波
動が悪い、誰かの考えが、社会が、被害が、云々と言っているのが、あなたが人のせいゲーム
をしている証です。あなたが外を悪だと言っているから悪に見えるのです。外には悪も原因も
ありません。外を悪だという響きは神様の響きではありません。自分の波動が自分に返ってい
るだけです。自業自得を人のせいにするのがあなたが不自由な原因です。この見方を否定する
ならば、あなたは永遠に自由になりません。
● 自分にウソをつくことは本当の天国を遠ざけることになる
あなたが「行動した」ということは、「それでよい」と言ったのと同じです。「やった」のに
「やっていない」とウソを言っても、神様は全部見ています。あなたの心は全部お見通しです。
神様はあなたが自分に正直に生きているかどうかを見ているのです。あなたがあなたにウソを
つくと心が分裂している証拠ですから、神様にウソをついている(抵抗している)のと同じで
す。今までは神様があなたの自由意志を尊重して、自主的改心を待っていたから出来たことで
す。これからはだんだんとウソがつけなくなっていきます。本来は、印鑑も契約書も宣誓書も P169
保証人もいりません。全員が正直に生きているならば、全員が信頼の元に動きますから、形の
証拠(紙切れ)などいらないのです。そういうものがあるということは、今の社会は、疑いの
心、ズルの心を持った人間の集合体だということです。契約書や印鑑に力を持たせる法律を創
っても、それを破る者を取り締まる法律が必要になります。ズルをするということがどういう
ことなのかわかっていないからです。
ズルをすれば、インチキをすれば、誤魔化せば、自分自身の天国が遠のく(本当の死が近づ
く)だけで自分にとってはかえって不利になるだけです。それがわかっていたら、法律が無く
てもズルや違反はできなくなるはずです。悪は自滅ですから、逆に、取り締まることもできな
くなります。それをすれば、自分も悪と共に自滅することが分かっているからです。できるの
は知らない証です。「自分のもの」はありませんから、所有権(独占権)ゲームも、取られた
壊されたゲームもありません。ズルの世の中では、証拠を偽造すれば、正直者を抹殺すること
もできます。形の証拠がすべての証明になるから、一人一人の意志など関係なくなっています。
本人が何と言おうと、人が『ウソだ』と言ったらウソになるのです。人が人を支配するゲーム、
人が人を裁くゲーム、人が人の資格や信用を与えたり取ったりするゲームでは、永遠に自由も
天国も安全も平等もありません。
● あなたは神様がお見通しなのを知らずに神様を欺き続けている恥知らず P170
「取った取られたゲーム」から何が起きても、それは自業自得です。そこから何が起きよう
と、怪我しようと、殺されようと、モノが無くなろうと、あなたの選択の結果です。すべては
あなたの責任です。あなたのメグリ(ルール違反/ドロボーの心)が原因です。あなたが人の
せいにしたり、悪くなるのを避けていることが、あなたの悪人(神の世のルール違反者)の証
拠です。文句を言うのは、自分勝手だということになります。あなたは自分の無知をさらけ出
しています。あなたは自分の力では何もできないことを白状しています。今までのゲーム、そ
のやり方では「二一世紀」はありません。「二一世紀」というのは、ドロボーの心を掃除した
者だけが行ける「永遠の天国」だからです。今まで改心していないあなたが『二一世紀になっ
たらやります』と言ってももう神様は聞き入れません。『「二一世紀」になったらやる』という
のはもう通用しないのです。やっていなければ「二一世紀」に行けないからです。そういうセ
リフを吐くというのは、真釣り外しの証です。何も分かっていない証拠です。神様には丸見え
です。あなたは、自分勝手な二一世紀を創って、自分勝手な理屈で、楽して天国に行こうと、
苦を逃れる方法をアレコレ画策して来たのです。
あなたは、神様が全部知っていて、分かっていて好きにさせていたとも知らずに、三千年間、
神様を欺き続けて来たのです。ズルができるからといってズルをしてきたのです。いい加減な
神様を勝手に作り上げて、目茶苦茶をしてきたのです。今の世に、人のことを裁ける者も、本 P171
当に笑える者も、一人もいないのです。長谷さんの本が完全に分からないならば、あなたは人
を責める資格はありません。神様の意志が完全に分かっていません。あなたはルール違反です
から、人のことをトヤカク言えません。人のことより自分のことを心配しなければ天国はない
のです。「過去のデーター」云々という理屈を使わせてもらえば、過去のデーターから言った
ら、あなたの言うことを口だけで信用することはできません。宣誓書を書いて実印を押しても
駄目です。あなたが本当に反省して神様のルール通りに生きると宣言するならば、その通りに
行動してください。神様は行動以外は一切認めません。あなたが心でズルしようと思っている
ならば、そんなことをしても無駄です。あわよくば、適当にやって、ダダをこねて、誤魔化し
て楽をしてミロクの天国(「二一世紀」)へ行こうと思っているならば、そんなことは神様は百
も承知、あなたのサボリ心は神様からは丸見えです。あなたが行動しないならば、あなたは口
だけの約束です。行動したらリスクがある(損するのがいやだから)からしない(この場合、
「できない」という言葉を使います)のです。行動することが、そのリスクを受け入れる(取
っただけ返す/責任を取る)証拠です。行動が保証人、宣誓書、実印です。あなたが自分で言
ったことを行動したときだけ、神様はあなたの改心を認めます。
● あなたが天国を生きているならば将来のためのストックはいらない P172
あなたは、今まで、本来はやる必要のないゲームに、あなたの時間を使って、自由を使って、
苦しんでいたのです。それは相手にとっても迷惑なゲームです。人に迷惑をかけていない人は
一人もいません。あなたがここでそれを自覚しない限り、あなたがそれに気づかない限り、
「時間がない」「自由がない」「できない」「悪を裁く」「不満がある」「苦情が出る」「死を恐れ
る」「危険を避ける」現実がいつまでも続くことになります。そういうあなたには「二一世紀」
はありませんから、そのままやるならば、あなたは自由になれずに死んでしまう運命が待って
います。あなたにそれができるのももう少しの間だけです。今から改心すれば、まだ、何とか
間に合うかも知れません。すべてはあなた次第です。あなたが「本来のやり方」で生きている
(行動している)ならば、「時間がない」「欲しいものがこない」ということはありません。そ
れを人のせいにすることやそういう不満を言うこと自体が何を意味するか知っていますから、
人を責めませんし不満にはなりません。あなたが人を責めたり、不平不満を言うのは「人の責
任だゲーム」をしている証です。
あなたには『必要なときに必要なものが必要な量だけ』やってきます。神様は今いるだけのも
のは必ずくれるからです。あなたが「不足している」と感じるならば、その状況から学ぶもの
があなたが必要なものなのです。あなたが必要なものや情報はその時になれば与えられます。
今は使わない過去の知識を学んだり、起きてもいない将来を心配したりするのは、あなたが失 P173
敗や損や悪くなる状況や死や病気や怪我を避けているからです。あなたは悪くならないで天国
に行こうとしているならば、それは叶わない相談です。あなたが今、死や損や地獄をイメージ
してそれを避けているならば、あなたは天国ではありません。あなたのルール違反は明白です。
悪くなるのを避けるというのは「罪を認めない」のと同じです。あなたは神様を無視して来て、
今も神様を信頼していないのは明白です。『しただけのことをしたら天国にしてあげるよ』と
いう神様を信頼するならば、貯金も保険も借金も過去の知識も未来の予測も、将来の準備のた
めのストックは何も必要ありません。今のあなたも『今のゲームは違う』ということを学ぶた
めに必要な状況をもらっているのですが。
● 悪くなるのを避けると最期には「本当の死刑台」が待っている
あなたが真釣り外しをしているならば、楽を求めるほど苦しくなります。失敗して損して怪
我して真実を体験から学んで苦労して辛抱してしたことを清算していくのですから、そういう
状況を避けるならば、あなたは天国には永遠に行けません。それどころか、自分で自分を滅亡
の死刑台へ案内しているのと同じなのです。神様が言っていることを信頼するならば、恐れを
避けるための準備をすべてやめることです。その場その場で自分に出てくる声の通りに動くこ
とです。肉体上でどんなに得をしても楽をしても、真釣り外しをしていれば、最期に纏めて苦
労することになります。最期の苦労は地獄の地獄のそのまた地獄の苦労になりますから、神様 P174
は今から一つずつ渡しているのです。今の苦労を避けているようでは、最期に発狂した挙げ句、
自殺することになります。あなたがこれを「ありえない」「認めない」「オカシイ」云々と言う
ならば、あなたは今、天国の生き方をしていないということです。神様を無視している証拠で
す。これからも天国のやり方をする積もりはない、神様を信用しないということですから、そ
れなりの結果は覚悟していてください。
● あなたが楽に早く簡単に済ませようとするならば最期は本当のイノチを失う
あなたが、「ドロボーの心」のままで、自分の責任を認めずに、相手を責めて、相手を悪く
して、自分のシナリオ通りに、楽に、早く、簡単に済ませようとすれば、それに応じたものし
か手に入りません。あなたが動かずにあなたの回りを想い通りにしようとすれば、あなたは人
のものを、神様のものを奪っていることになります。すべてはあなたの心のままに形になりま
す。あなたがドロボーして手に入れたものは永遠にあなたのものにはなりません。あなたから
出ていくときが必ず来ます。あなたが今の状況に満足しているならば、それは、形の上で、形
の量で、形の綺麗さで、金額で、前例で、誰かと比べて満足しているだけのことです。あなた
がドロボーの心のままならば、最期はあなたがあなたのものをドロボーして、自分が自分を責
めつづけて、自殺することになります。最期の清算(借りの一括払い/メグリの総決算)とい
うのは、人間からは想像を絶する修羅の地獄での体験なのです。それが分かっているならば、 P175
逆に、今ここで不平不満など言えなくなる筈です。あなたは死の危険(悪くなること)を避け
ているのですから、本当のことを知ったら、今度は、今までの「人の責任だゲーム」の方が恐
ろしくてできなくなる筈です。
● 「破壊」を悪だと言うあなた自身がずっと破壊をし続けている
あなたが本当に望めば、あなたは永遠に自由になることもできます。この世紀末に何が起き
ようと、あなたは二一世紀に生き返れます。つまり、あなたは新しい地で永遠の人生を謳歌で
きます。本当に不老不死となります。肉体を自由に入れ換えてもらって遊べます。次の世には
破壊の心は持っていけませんから、破壊という概念はありません。そういうものがあるという
ならば、あなたは二一世紀には生き返れません。ただ古くなったら取り替えるだけのことです。
『そんなことは宗教だ』『そんなことはありえない』と言っているならば、あなたが『ありえ
る』と言うまでは、あなたはそれを選択しませんから、それは永遠に実現しません。『宗教だ』
『科学だ』と分ける『二分思考』が分裂、破壊の元です。そのままではあなたは最期は消え去
る運命の魂ですから、神様は最期の最期にすべて教えて、最期の改心のチャンスをくれている
のです。あなたがそれをガンとして受け入れないならば、あなたはそのまま「魂の癌」が悪化
します。つまり、あなたは後少しで消え去る運命です。あなたが自分自身で「天国」を放棄し
たのですから、それも自業自得です。 P176
≪ (4)あなたの内側にあなたという存在についての真実があります。 | | HOME | | (6)「人の責任だ教Φ」から脱退して「自分教☉」で歩いてください ≫ |