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(3)あなたの病気はあなたの「真釣り外し(魂のルール違反Φ)」のお知らせです

(3)あなたの病気はあなたの「真釣り外し(魂のルール違反Φ)」
   のお知らせです

あなたの病気は病気にならないように心配していることが原因
 あなたも医師も「病気」の本当のメカニズムについては、全く知りません。「病気」の原因
を形の世界に探すのがその証拠です。あなたが健康なときに病気になることを避けようとして
いるのがその証拠です。あなたは、病気でないときに病気のことを心配しています。あなたは
仕事を続けるために病気にならないように気をつけています。あなたがどんなに気をつけてい     P129
ても病気になります。病気になって仕事ができなくなります。病気を治そうとして病気を悪化
させています。薬を飲んだり手術をしたりして余計な苦しみを創っています。副作用を抑える
薬の副作用でますます苦しんでいます。あなたは何のために病気にならないようにしているの
ですか? あなたの病気の原因は一体何なのでしょう? あなたが今までやっていたことは一
体何だったのでしょうか? あなたがそのやり方をしているから、そのやり方をやめさせるた
めに違う方向へ進んでいることを気づけるように、神様が精密な肉体を創って「病気(肉体の
破壊)」にしてお知らせしているのです。
 あなたの人生は、健康で楽しむために病気にならないように(事故にならないように)「万
が一対策」の連続です。あなたの人生というのは、病気にならないように、教えられた知識に
基づいて、したいことをせず、食べたいものも食べず、したくない運動をして、健康診断に時
間やお金を使って、楽しみや自由を自分で制限しています。あなたの人生は心配の連続で、楽
しむ前に終わってしまいます。あなたはしたいことをしないうちに病気になり、最期には『こ
んなことならしたいことをしておけばよかった』と言って後悔することになります。誰かのす
ることをさんざん反対しておきながら、その人がしたいことをせずに死を迎えたとき『こんな
ことならしたいことをさせてあげればよかった』と後悔することもあります。実際は、あなた
が外から見て勝手に判断しているだけで、その人がしたいことをしたかどうかはあなたには分
かりません。その人の表面上の状況を見て、病気がちだから可哀相だとか、長生きしたから幸    P130
福だとか、勝手に決めているだけです。

「魂の病み(闇)」の表現である病気は「医学」では治せない
 本当は、あなたには、誰かに何かを「させてあげる」ことはできません。その人が自分のす
ることを選べるだけです。あなたがその人のすることを邪魔していただけです。このセリフ自
体がそもそも必要ないものなのです。後悔するならばなぜそうしたのですか? 後悔するなら
なぜやらせてあげなかったのですか? その生き方、その考え方そのものが病気を創りだす原
因です。あなたがあなたに制限をつくって葛藤をつくったのが病気の原因なのです。表面上の
状況だけを見て、形を分類してアレコレ言っていることが、真実を何も知らない証です。あな
たは、病気にならないようにすることがしたいのか、別のことがしたいのか、それをハッキリ
させた方がよいかもしれません。あなたの生死や病気はあなたの自由にならないものです。あ
なたが病気になるのは、それを避けよう、病気にならないようにしようとしてアレコレ抵抗す
る(そうなることを心配する)ことが原因です。病気にならないようにしようとして逆に病気
になっているのです。全くアベコベです。
 あなたの肉体上の病気というのは、あなたの魂の治療のプロセスでもあるのです。あなたの
魂が死なないようにするための出来事でもあるのです。無理をしたり、いやなことをしようと
したりすると病気になるのはそのためです。魂の休憩でもあり、回りのコントロールへの抵抗      P131
でもあるのです。肉体上で物理的に動けなくなればいやでもできなくなるからです。仮病かど
うかは外からみてはわかりません。本人は仮病ではないのに仮病だといわれてますます病気に
なってしまうこともあります。『いやなことをしたくないから仮病を使ったんだ』とあなたは
人に言いますが、本当にその人は仮病なのですか? あなたはなぜ人の言うことを疑うのです
か? あなたはウソをついたことはないのですか? 全く同じことです。病気の原因を知らず
に病気を治そうとしても無駄です。魂の病み(闇)の表現を薬で直せると思いますか? 形の
犯人探しをしている科学を基の医学が進歩するほど難病が増えます。医学を進歩させたのは病
気を誰かのせいにする、あなた自身です。自分の真釣り外しを知らないあなたです。医師のミ
スを責める資格はありません。人間の手には負えないのだということを認めるまで、無駄な抵
抗をやめるまで、肉体の執着を手放すまで、神様は続けます。

「疑いの心(心の葛藤Φ)」自体が本当の病気
 あなたが健康になろうとしているとき、健康を保とうとしているとき、あなたの人生はそれ
だけのために終わってしまいます。あなたがそれを続けているならば、それがあなたがその人
生でしたいことです。『したいことがあるけど病気になったらこまるから、怪我をしたらこま
るから』と健康を懐しそうに感じる(過去に誰かがそれをして怪我をしたのを、死んだのを見
たことがある場合そう感じる)と、自分が「したい」ことをやめてしまいます。あなたのした         P132
いことは健康を保つことですから当然です。あなたがしたいことをやめることがストレスの原
因であり、それが肉体に現れたのが病気です。物質を壊さないとわからなければ神様はそうし
ます。物質を壊して修繕までの間は自由が制限されますから、そういう状況(仕組み)を創っ
てあなたがしていることをお知らせしているのです。あなたは「統一性」のある行動を取って
いませんから自分のしたいことはいつまでもできません。あなたが健康を探しているならば、
あなたはそのときは健康ではありません。
 あなたが健康を守っているならば、あなたは今健康であっても守らないと病気になると思っ
ています。これは『自分が何かしておかないと神様が自分を病気にしてしまう』と言っている
のと同じことです。その思考自体が病気を創り出した原因ですから、病気になることを避けな
いことで病気から解放されるのです。あなたにメグリがあれば病気になることは避けられませ
ん。あなたにメグリがなければ病気にはなりません。あなたには元々は病気などありません。
病気になる必要があればどんなに抵抗しても無駄です。抵抗するほど重くなります。事故や怪
我も同じことです。あなたは自分が望む状況と比べて不自由な状況を病気と言っているだけで
す。人が外から見て、その人の「正常」の基準から外れたものを病気と言っているだけです。
長谷さんもある人から見れば「精神病」かもしれませんね。あなたがすべてを清算して元に戻
れば病気という概念も心配も消えます。あなたの魂には病気も障害もありません。あなたの
「肉体上の苦しい状況は病気である」という宗教が病気を重くしていくのです。神様からみれ      P133
ば『病気になったらどうしよう』というのが、既に病気そのものなのです。「心の葛藤」「疑い
の心」こそが、本当の病気(障害)そのものです。

あなたが健康や病気を手放したときに本当の健康がやってくる
 病気を心配しているあなたは今は健康なのですから、健康になろうとする必要はないのです。
本当の健康とはいったい何でしょうか? 本当の健康というのはすべてを神様に任せたときに
初めて体験するものなのです。それまでは病気も怪我も事故も避けられません。あなたが神様
の心が分かれば、「病気」と言われている状況も病気ではないのだと分かります。「死」を心配
する必要もなくなります。あなたやあなたの回りの人間が死んだとしても、それは本当の死で
はありません。形の上でどういう死に方(肉体の脱ぎ方)をするかというだけであって、事故
死でも病死でも殺人でも怪我死でも自然死でもどんな病名でも関係ないのです。どれが善くて
どれが悪い、どれが上でどれが下というわけではありません。あなたのメグリが一番楽に取れ
る方法が形になるのです。人も同じです。可哀相も酷いもないのです。死産も長寿も関係あり
ません。魂には年霊はありません。神様から見れば「死」などないのです。「死」を問題にす
ること自体が、「問題」を持つ「病気(障害)の魂」である証拠なのです。あなたが、健康に
なろう、病気を避けよう、としているならば、神様に任せたことにはなりませんから、あなた
は「本当の健康」を知らないことになります。                                   P134
 死を避けるために病気を避けているくせに、医療ミスを責める、その心が病気の原因ですか
ら、悪いのは自分です。あなたが健康になりたいと言うならば、あなたは今、心の病気(負傷
者)だということになります。あなたは「心体障害者」です。あなたが病気を避けている限り、
薬を手放さない限り、死を恐れている限り、肉体を自分だと思っている限り、神様を信じない
限り、すべてを任せたらどうなるかということは分かりません。あなたは病気を避けるための
対策を取り続けるからです。『死んだらこまるから薬が手放せない』『どうしたら死なないで済
みますか』云々と言っている間は、病気の心配からは自由になりません。あなたは、自分で勝
手に「死」を創って「死」を避けて「死なないように」して自分を苦しめる一人芝居をしてい
ることにお気づきですか? あなたが健康も病気も死も全て手放したときに、初めて本当の健
康がやってくるのです。あなたが生死を神様に任せたと言うならば、病気や死を心配している
のはオカシイことです。病気を早く治そう、死にたくない、というのもオカシイことです。
『人間としてはそれは当然だろう』というのはトリックです。『自分は魂だから死はないんだ』
ということを信じたならば、死の心配をしないでください。あなたが言った通りに一〇〇%行
動をしてください。この辺りで、生死は神様に任せて、好きなことをして遊んでください。あ
なたは「病気」と「健康」のシーソーゲームをしているのです。「病気ゲーム」をやめれば
「健康という思考」も消えます。「死」から自由になれば「健康」も「病気」もあなたの現実か
ら無くなります。結局は、健康も病気も同じことなのです。                           P135

あなたの外側の人が言うことはどんなものでも「一〇〇%」ではない
 医師が知っていることは、「一〇〇%」ではありません。医師にはあなたの魂の体験は分か
りません。医師にはあなたの痛みも感覚も現実も体験することはできません。あなたのメグリ
も肉体の仕組みも知りません。あなたの心の対話を体験することはできません。あなたの外側
にいる人には、あなたの本当の姿は一切知ることはできないのです。あなたの外側だけを見て、
今まで学んだ事例に当てはめてあなたを診断し、方針を決め、治療や処方をするだけです。あ
なたがそういう状況になったのはあなたにとっては初めてですから、あなたに有効な治療法は
やってみなければわかりません。あなたの外にいる人間には、本当のあなたを評価することは
できません。その人ができることは、自分の基準で、自分に置き換えて、自分の知識と比較し
て、あなたの外側の表現を判断することと、自分の心の対話や体験をあなたに語ることだけで
す。あなた以外の人には、あなたのすべてを、あなたの現実を、あなたという魂のメグリ(病
気の原因)を見ることはできません。
 あなたの病気を治せるのは、あなただけです。あなたの行動次第です。あなたという魂は病
気ではありませんから、新しい服(肉体)に着替えられる魂になっていれば、病気で死んでも
生き返れますから、人生の続きができますから、何も心配せずに遊べます。遊べないというな
らば、あなたは「心の病気」です。あなたが何を信じるかはあなたの自由です。あなたがどう      P136
すれば健康でいられるかといえば、それを考えないことです、したい時にしたいことをして、
食べたいときに食べて、寝たいときに寝て、トイレに行きたいときに行けばよいのです。食べ
るものを食べて腸が一杯になれば自然に出てきますから、一日一回トイレに座る必要はありま
せん。便秘というものはないのです。したくなったらどこにでもトイレはあります。何も毎朝
座る必要はありません。何時間寝ようと何時間起きていようと病気とは関係ありません。一日
二食でも一日一時間睡眠でも何も関係ありません。物質の栄養と魂の健康は関係ありません。
あなたが勝手に気にしているだけです。

「死」から自由になれば「行動」も自由になる
 あなたは、今まで学んだ「健康法」とやらで、『こうすると健康になる』『こうすると病気に
なる』云々という基準で自分のしていることや人のしていることをあなたが気にしているだけ
です。睡眠や食事や栄養についてのいろいろな学説がありますが、どれも一〇〇%ではありま
せん、あなたが『死んでもいいし病気になってもいいしその時に考えればいいさ』とやれば何
も関係ありません。『そんな考え方はよくない』という宗教を受け入れる必要はありません。
魂に死はないのですから、どんな考え方をしようと自由です。死が不幸であるとか殺人が悪で
あるとかいうのは、魂から見れば単なる宗教です。「死」をそういうとらえ方で見ると「危険
だからやめなさい」「死んだら困るから」云々という一連の宗教が創りだされるのです。「死ん      P137
だら困るから」というセリフ(宗教)が、実は、本当の死(魂の死)の素なのです。『危険だ』
ということが危険なのです。
 『八時間寝なけりゃだめよ』『一日三食食べなければ病気になるよ』『なま物を食べたら食中
毒になるから』云々というのは余計なお世話です。コントロールです。メグリがあれば病気に
なって、メグリが取れれば病気は無くなります。「病原大腸菌」を食べた人間が全員死ぬ訳で
はありません。「死」の恐れを持っていれば、どんどん不自由になっていきます。食べたいも
のが食べられず、したいことができなくなります。たとえ伝染病が流行っていようと魂には影
響ありません。『自分と他人は関係ないんだ』と自分が言えば、自由になります。病気とは関
係なくなります。『そんなことは信じられない』とあなたが言えば、このことは永遠に信じる
ことはできません。あなたは行動しませんから、あなたの体験として証明することはできませ
んから、あなたは確認できませんから、永遠に自由にはなりません。『なま物は危ないから食
べるな」というのは宗教です。一〇〇%成り立たないものを使って何かを強制したり脅したり
するのは、☉違反、魂の自由の侵害です。
 伝染病のはやっている地域の人だからと排除するのは差別であり、イジメであり、実はそれ
をしている本人が自らの首をしめているだけです。『差別された』と文句をいう方も同じこと
です。『自分が病気になると困るから、人を排除しよう』という思考自体が病気になる原因な
のです。あなたがΦでなければ、何も関係ありません。                            P138

自由を制限することが本当に危険なこと
 どんなに普遍的に見えるような理屈でも、結局は、すべてのすべてが宗教です。一〇〇%で
ないから「問題」が起きるのです。一〇〇%誰にでも使えるものでないものを使って自分や他
人をコントロールするから病気や怪我が増えるのです。一〇〇%でないものを強制するから、
選択するから、どんどん困難が増えるのです。「したくないことをする」「したいことをしな
い」ことが病気や怪我が無くならない本当の原因なのです。今の世には「全員に当てはまる宗
教」はありません。絶対はありませんから強制をすることはオカシイことです。「メグリ」が無
い者に「制限」をはめるならば、それはイジメになります。どんなやり方を選択しようと自由
です。死はないのですから死の危険というのは幻想です。自由を制限することが本当に危険な
ことなのです。魂が死ねば肉体はありませんからね。あなたは霊ですから、あなた自身に死は
ありません。肉体の障害というのは神様からの借り物が壊れただけです。死というのは借り物
の服(肉体)を神様に脱がされただけです。その方があなたにとってプラスになるからです。
肉体死んで魂生きるのが天国の仕組みです。
 あなたは、あなたが信じたものをあなたが実行して、その結果『学者の研究通りの結果が出
ない』『普通はこうだ』という基準に照らして『自分は普通ではない』と悩んでいるだけです。
赤ちゃんの授乳や月経の周期、身長、体重、健康診断の検査結果、事故率などなど、基準を外    P139
れるとすぐ心配する癖をやめてみては如何でしょうか? それがあなたの悩み(ストレス/病
気)を創りだす元です。「被害者」というのは、神様のものを勝手に所有している人間だけが
使う自分勝手な言葉です。自分のしていることを棚に挙げて、人を責めて楽をしようとする人
間の専門用語です。自分のしていることの責任を取っていない「自分だけ勝手」な魂のするこ
とです。病気に関するアンケート結果を見て、あなたが死ぬ方に入るか生きる方に入るかはあ
なたが決めれば、選べばよいのです。あなたが自分を死ぬ可能性の方に入れることを選択して
悩んでもそれはあなたの責任です。こういう類の悩みは、あなたが自分自身の意志よりも、時
間や人に合わせることを選んでいることがそもそもの始まりなのです。あなたが責任転嫁をし
ているから、人のせいに見えるだけです。あなたが何かの責任だと思っているから、外に原因
が見えるだけです。外に原因が見えるからそれを避けようとするだけです。あなたが人に合わ
せるのは自分が困るからです。人のためではありません。結局は、何を選択しようとも、すべ
てはあなたの自分勝手です。あなたの自由選択の結果です。

損害賠償を請求するあなた自身があなたの損害の加害者
 医者が何と言おうとあなたが今後どうなるかは絶対に分からないのです。あなたがその怪我
やその病気で死ぬかどうかは分かりません。あなた以外の人が一〇〇人に一〇〇人死んでいる
としてもあなたが死ぬかどうかは言えません。『絶望的です』と言った医者が『奇跡です』と        P140
言いなおす可能性もあります。可能性ゼロというのはありません。一〇〇%もありません。ゼ
ロも一〇〇も同じコインの裏表です。同じように、あなたがどの飛行機に乗ったら事故にあう
かは分かりません。あなたがニュースで見た墜落機はもう墜落しているのです。同じに見える
形の飛行機に乗るのを避ければ事故にならないと思っているだけです。事故原因を究明しても
無駄なことです。後は一人一人が自分がそれをどう解釈するかという問題です。あなたは、自
分が悪くなるのを避ける理由を、自分の責任を、人に押しつけているだけです。『あの航空会
社は危ないから乗らない』というのは、自分勝手な理屈の迷惑な話です。それこそ「我善し
Φ」の理屈を使った「魂の遊び妨害」です。
 あなたが乗りたくないから、死んだら嫌だから、怖いから乗らないのです。その航空会社が
危険な会社なのではありません。整備士やパイロットは悪くありません。事故の「被害者」の
家族が勝手に損害賠償ゲームをしているだけであって、本人がどう思っているかは分かりませ
ん。死んだ人の気持ちは死んだ人にしかわかりません。「あの子はきっと悔しい思いをしてい
る」と事故死した人間の親が思っているだけのことで、それは「あの子」の気持ちではありま
せん。「あの子の恨みを晴らすために」云々というのは、それを言っている本人の気持ちをス
ッキリさせるための理屈です。どんな死に方をしようと、そこで死ぬことがその人のためにな
るからそこで死んでいるのです。でもその人自身は死んでいません。あなたは自分がどこで死
ぬか分かるのですか? あなたの車はどこで故障するのですか? どうすれば完全に事故を回    P141
避できるのですか? それについての案が出せないならば、あなたは人を批判する資格も損害
賠償を請求する権利もありません。自分のものを失ったのは自分のメグリが原因なのです。相
手のせいにするのはお門違いも甚だしいのです。

あなたのことを語るときは外側のものと比べても意味がない
 あなた以外の人のデーターは必ずしもあなたには当てはまりませんし、あなたの乗る飛行機
と同形機の事故率を調べても、あなたが乗っているその飛行機の事故は予測できません。あな
たはあなたであり、その飛行機はその飛行機です。一つとして同じものはありません。事故に
あう原因はメグリです。同じ飛行機に乗った人が全く同じ怪我をすることはありません。何故
こういうことが起きるのか説明できますか? 死ぬ人と無傷の人がいる理由は? 事故自体が
大掃除、死ぬか無傷かが掃除の度合いの違いと置き換えれば、外の出来事と自分の体験は関係
ありません。あなたが掃除を終えれば外の形の出来事などあなたという魂には何の関係もない
のです。恐れていること、人に責任を転嫁していることは、あなたの違反の証です。自分の犯
罪の証拠を自分で提出しているようなものです。あなたのことを語るのに、あなたの外側の基
準と比べても意味がないのです。
 あなたにとって何が真実なのか、あなたにとってどの方法が有効なのかは、あなたが一つ一
つ実験して確かめていく必要があります。有名な(これもトリックです、あなたが自分の可能       P142
性を限っていると誰かを凄い人に見ることになります。)学者の研究だといっても、全くアベ
コベのことを「決定版」として発表している場合もあるのです。学者が「ウソ」を「ホント」
だと言って公開していてもあなたにはその学者は責められません。ウソとホントが見分けられ
ないあなたに責任があります。学説というのは必ず覆されます。どんどん新しい情報が出てき
ます。全くアベコべの説が真実になることもあるのです。あなたが外側から仕入れた情報とい
うのは、すべてあなたにとってはまだ実験していない仮説です。あなたがそれを使ってみて、
初めてあなたにとっての真実になるのです。あなたが使って初めて知識が智慧に変わるのです。
あなたの財産になるのです。あなたが使った結果が学者の言っていることと違っても、それは
単にあなたの場合はそういう結果にならなかったというだけで、別にその人がウソをついたわ
けではありません。あなたはそうだったというだけです。もしかしたら、その結果が出る前に
あなたがやめてしまっているのかも知れません。


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