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(5)自分自身が自分勝手なのだと認めて行動すれば 完全に自由になります

(5)自分自身が自分勝手なのだと認めて行動すれば
       完全に自由になります

あなたが何と言おうともあなたには「もう一つの現実」が存在する
 あなたの人生には、「これしかない」「こうするしかない」「そうせざるをえない」「しかたな
く」というものはありません。あなたが何かを怖がって、あなたがそれを避けているから、あ
なたがそれにしがみついているから、あなたがそう思っているから、あなたがそう言っている
から、それが続いているだけのことです。あなたが勝手に「死の恐れ」をつくっているから、
自分を死に至らせる可能性があるように見えるものを排除する「裁判所ゲーム」が始まるので
す。
 『自分が危ないから仕方なくやった』という理屈は魂の視点から見れば成り立ちません。相       P76
手の自由を奪うゲームを「攻撃」(自分が手出しした/自分から相手に戦いを挑んだというイ
メージ)の裏返しの「防衛」(相手がやったからした/自分を守るために仕方なく戦ったとい
うイメージ=人に悪を押し付ける)という言葉を使って正当化しているだけです。あなたは自
分が消滅しないようにという視点で相手のすることを見ますから、自分を危なくするように感
じるものはすべて悪者に仕立てあげることになります。その本人やその物やその動物が危険な
のではなく、あなたが勝手にそういうレッテルを貼っているだけです。結局は、あなたが常に
危険に脅えながら生きることになるだけですから、いいのですが。でも、それこそ自分勝手の
究極のゲームではありませんか?
 あなたが「悪い子」を避けて人の命を奪う自分勝手ゲームです。防衛も攻撃もその外から見
れば同じことです。どっちが悪いかと言えば、お互いに同じ穴のムジナです。むしろ、『相手
が俺を危険にさらしたからしかたなくやった』と責任転嫁している方が極悪のヘビの知恵の固
まりです。
 あなたがどんな選択をしようと「もう一つの現実」が存在します。『人の責任ゲーム(自分
の選択ではないという言い訳をする、実は「自分の責任のゲーム」)』をしているあなたには絶
対に見えない現実です。今までの現実とは裏と表の関係です。今までのあなたが知らないとこ
ろ(あなたから見たら『裏の世界』)で進んでいるゲームです。その現実は、あなたが『もう
一つの選択』をしたときに、長谷さんの語ることをすべて受け入れたときに、初めてあなたの      P77
内側に、そして、あなたの目の前に現れるものです。あなたが「ゼロ」になって心のゲームを
完全に切り換えたときに見える現実です。『そんなものはありえない』というのは、あなたが
『もう一つの選択』をしていない証拠ですから、それを言っている限り、そのセリフが永遠に
続くだけのことです。

天国を否定するあなたは「心体障害者」
 あなたに「あり得ないもの」や「?」や「恐怖」があるということは、あなたの心に「表と
裏がある」「光と闇がある」「善と悪がある」ということです。あなたが「闇の世界」を避けて
いる証です。天国というのは「闇の無い世」です。「無い」というのは一〇〇%無いことを言
います。
 天国の心には闇というものは存在しません。闇や悪や裏という概念(イメージ)はありませ
ん。あなたが「もう一つの選択」を避けているということは、片方しか見ていない証拠です。
「偏見」を持っている証拠です。「一方的な見方」をしている証拠です。あなたは肉体的には
「健常者」であっても、本当のあなたは片方しか動けない「心体障害者」です。あなたは「本
道」からそれているのに、それを本道だと思っているのです。中心からそれた直線を天国まで
続く直線だと思い込んでいます。あなたが「アル」と言って歩かない限り、「裏の世界」の景
色は見えません。「闇の世界」の実像は見えません。「闇の世界」の先の先は見えません。あな    P78
たに「分からないこと」があるのは、あなたの心体が片目しか開けていない証拠です。あなた
には片方の現実だけが真実として有りつづけます。あなたが何かを恐れていれば、あなたは闇
を避けますから、行動しません。従って、あなたは、永遠に『もう一つの現実(本当の天国)』
を体験することはできません。
 自分が体験していないからといって「無い」とは言えません。あなたがその世界を恐れて否
定しているだけです。あなたの今までの現実では「あり得なかった」だけです。あなた自身が
「両方ともある」と言わない限り、もう一つの現実はありません。天国は露と消えます。あな
たが「あり得ない」と言って歩かないから、あなたが「あり得ない」と思い込んでいるだけで
す。あなたが「あり得ない」と思っている世界を長谷さんが語っているのはどういうことでし
ょうか?
 「もう一つの現実」は、あなたが「やる」ということを「選択」して「行動」した結果、見
える(体験する)世界(現実)なのです。「見えたらやろう」というのは、アベコベです。天
国が永遠に実現しない、あなたの創る幻想ゲームです。見えてからやったのでは間に合わない
のです。

天国を否定するから天国がない                                       P79
 『誰かがやったらやろう』と思っても、それは無理です。その誰かのやることを「もう一つ
の現実を否定するような」あなたの今の観念(視点)で見ているのですから、誰が「もう一つ
の現実」を選択しているかは分かりません。あなたが長谷さんの言うことを信じないのがその
証です。あなたは長谷さんを否定しますから、長谷さんの言うことを聞きませんから、あなた
は実行しませんから、あなたにとっては、長谷さんの言うことは「ウソ」であり続けます。あ
なたは自らの天国を否定していることに気づいてません。「天国を否定するから天国がない」
という簡単な道理にも気づいていません。あなたは「自分の現実」が正しいことを証明し続け
ますから、それを否定するように見えるもの(「悪」)を裁き(否定し)続けます。あなたは悪
を裁けば悪が出るという仕組みに気づかないまま、神様を恨んで死ぬことになります。悪を裁
くあなたが悪を持っているのです。
 人の失敗(ミス)を裁くあなたが大きな失敗をしているのです。人のミスを突っ付くあなた
こそ悪を裁く悪人です。「『分かりました』と言って舌の音が乾かぬうちにまたやっている」と
人を非難するあなたが、何度も同じミスを続けているのです。『二度と同じことをしません』
と言ったのに、三〇〇〇年間懲りもせずに、何度も何度も同じことをやっているのはあなたの
方なのです。
 あなたは、「人に苦情を言う」「人を非難する」「人の夢を否定する」「人に請求する」「人に        P80
干渉する」ことが本当の誘惑だと気づいていますか? あなたの「イライラ」や「困難」はあ
なたのせいなのです。人のせいではないのに人に苦情を言うのは、あなたが自分自身が悪だと
認めていない証です。人にせいにしている、悪を裁いている証です。悪裁くのが真の悪です。
あなたが悪も死も苦も避けていないならば、あなたは人のすることを黙って見ていられる筈で
す。

あなたが見ている形には相反するように見える二つの意味がある
 「お金持ち」がどうやってお金持ちになったかはあなたには分かりません。お金が欲しいあ
なたがお金持ちやビジネスを批判しています。『長谷さんもビジネスや人集めをしているじゃ
ないか』と言います。『長谷さんも人を裁いているじゃないか』と言います。長谷さんはその
つもりはありません。マチガイはマチガイです。長谷さん自身がどういう心でやっているか、
が問題なのであって、表現や形自体をああだこうだつ言っているあなた自身が長谷さんを裁い
ているのです。
 自分がしていることを人にするなということが、実は、本当の「悪」なのです。このトリッ
ク、分かりますか? 形には悪はありません。してはいけないこともありません。儲けてやろ
うという心、騙してやろうという心、やっつけてやろうという心、支配してやろうという心、
言うことを聞かそうという心、その心が問題なのです。悪は自滅ですから口出しは要りません。     P81
「お金が集まる」のか、「お金を集める」のか、「お金がある」という形は変わりませんが、ど
ちらのやり方で「お金」がそこにあるのかは、外から見ては分かりません。「お金を集めてい
る」のに「集めていない」とウソをついても、その本人がうまくいかなくなるだけです。本人
がどういう気持ちでその行動をしているか、が問題なのです。その本人がどういう気持ちでや
っているか、を考えずに、形だけを見て、一つの意味しか見ないあなたの方こそ「人を裁いて
いる」のではないでしょうか?
 外にある形をあなたがどうみるか、という問題です。外にあるものが悪の心で形になったも
のであっても、あなたが悪だと見なければよいだけです。人からお金を取っても『その人は借
りただけであって後で返すのだ』と思えばよいだけです。その人が取りっぱなしならば、どっ
ちにしてもその人は最期に返さねばなりません。あなたとは何の関係もないのです。あなたは
長谷さんの表面だけを見て勝手に推測しています。「これしかない」「こうに決まっている」と
決めつけます。でも、自分が決めつけられると怒ります。あなたは自分勝手だと思いません
か? 長谷さんがあなたを決めつけても、それは長谷さんの問題であって、あなたがそれを裁
けば、あなた自身が墓穴を掘ることになります。長谷さんが仮に悪人だとして、あなたが長谷
さんを批判するのならば、あなたは長谷さんと一緒に地獄に行くことになります。地獄にご一
緒しましょうか? それとも、長谷さんをほっといて、あなただけは天国に行きますか? ど
ちらでもお好きな方をお選びください。                                      P82

あなたを自由にしてくれるものはあなたの内側にある
 あなたが見ている表面上の形を創る方法は無限にあります。ワザとやったのか、過失でやっ
たのかは本人だけが知っていることです。勝手に『故意に違いない』と決めつけないでくださ
いね。あなたなら怒るでしょう。失礼な話ですね。相手がたとえ故意にやったとしても過失だ
とウソをつくこともあります。それは相手の問題であって、ウソをついたその本人が落ちるだ
けです。あなたが相手を疑えば、あなたも同じ穴に転落です。相手が故意ではなかったら、あ
なただけが落ちるだけです。形は同じでも、そこに至る道やそこに至るゲームはたくさんある
のです。相手が「人の責任ゲーム」をしているかどうかは、「人の責任ゲーム」をしているあ
なたには見えません。「『悪裁くが悪だ』と長谷さんは悪を裁いている」というあなたこそ悪を
裁いていることに気づいていますか? いつまでも固定観念で形を見ていると、最期にどんで
ん返しを食らうことになります。
 あなたが、あなたの外の顔色(状況)を見ながら自分の行動を決めている限り、あなたは永
遠に自由にはなりません。あなたの外には、あなたを自由にしてくれるものはありません。あ
なたが外に頼っているから、あなたは「騙される」のです。あなたの内側にだけ「自由の素
(原料)」「天国への入り口」があります。あなたがあなたの自由の素を裁いているから、あなた
はいつまでも自由にならないのです。外に探すことになるのです。あなたがこの道理に気づか     P83
ない限り、あなたには天国はありません。外を探している自分が自分の自由を侵害しているこ
とに気づかずに、人に対して『自由の侵害だ』と言い続けて、人に迷惑をかけ続けることにな
ります。あなたが自分の自分勝手な理屈、幻覚に気づかなければ、最期はあなたが永遠の不自
由(死)を迎えることになります。あなたが無実の罪に陥れた「神様」や「人間」は、あなた
とは関係なく、全員天国へ行きます。

あなたの見ているものはあなた独自の宗教に基づく映像
 この本は、あなたのこういう部分を映す鏡です。長谷さんが善か悪かと判断しているあなた
の心が天国への道を閉ざしている犯人なのです。すべてのすべてがあなた自身(自分自心=自
ら分けている自らの心)の基準で見たらそう見えるということに過ぎません。あなただけに見
えている現実です。それ自体は善でも悪でもありません。あなたの持っている基準がそういう
景色が見える原因です。あなたに悪があるから、外を見て『悪だ』と言えるのです。「それ」
を『悪だ』とあなたが決めているから「それ」を見ると「悪だ」と見えるのです。全員が
「悪」に見えるならば、その人はそれをしません。その人にとってはそれが正しいと思うから
するのです。善を悪と言えるのは、それ自体は善でも悪でもないからです。どっちでも見える
からです。これを中立と言います。
 あなたが見ているものはあなたの内にあるものです。あなたの心の姿です。あなたが『いや、       P84
外に悪がある』『あいつが俺を危険にするんだ』というならば、あなたが『外に悪がある』『あ
いつが俺を危険にする』というゲームをしている証拠です。悪は内にあるのか外にあるのか、
あいつが危険なのか、自分が危険な心を持っているのか、どっちも成り立ちます。どっちを選
んだ方が争いが無くなりますか? あなたのしていることを見れば、あなたの選んでいる宗教
は丸見えです。
 あなたがあなたの外を裁くならば、あなたの(心の)内に「外に悪がある」という「宗教
(固定観念/基準)」がある証拠です。一つの意味(宗教)しかないとしたら、議論にはなり
ません。議論になるということは、相反する(ように見える)もの(二つの視点)が存在する
ということです。どっちを取るかは一人一人が決めればよいことです。『どっちが正しいか』
という議論は成り立ちません。戦いを創るだけです。あえて結論を出そうというならば、『ど
っちの方が全員が自由になるか』という問いかけをすることです。あなたがそれを認めなけれ
ば、あなたは外の状況や人の言動や神様を裁き続けて、最後に間違いに気づいたときにはもう
遅い、あなたに待っているのは永遠の死です。あなたから見ると、たしかに悪は外にあるもの
だけれども、それはあなたの中にあるものが映っている(投影されている)だけなのです。長
谷さんを悪だというのは自由ですが、ここに書いてあることはすべて長谷さんのという人間が
「正しい」と思っていることです。長谷さんという人間の内なる会話を実際に形にしているも
のです。長谷さんとあなたが違う現実を見ているだけのことです。長谷さんとあなたの宗教が      P85
違うというだけです。長谷さんはあなたの宗教についてわざわざ口出しすることはしません。
長谷さんの見方もあなたの見方もどちらも自由であって、あなたがその宗教の通りに行動した
結果は、すべてあなた自分自身に返ってくるだけだからです。

あなたが自分の「悪Φ」を認めなければ天国はない
 長谷さんが正しいと思うことをあなたが間違っているという理由は何でしょうか? あなた
が、長谷さんの表現しているような形(表現/論理)を「間違いだ」と教わったからです。あ
なたのその基準が原因です。長谷さんが正しくないならば、長谷さん自身もそう思う筈です。
神様が悪を許しているのは、全部自分自身に返るだけだからです。間違いを裁くが間違いで
す。全員一致の間違いならば、間違いだとも思いません。間違いが正しいとも言えるのですか
ら。自分の基準が原因なのに、人が原因だと言うのは、人を裁くのはどういうことでしょう
か? すべてのすべてはあなたが原因なのです。あなたが源なのです。あなたが外を裁けば裁
くほど、自分の内をさらけ出すことになります。あなたの表現を見れば、あなたの心はすべて
見えるのです。外には悪は一切ありません。長谷さんが「無い」と言っているのに、あなたが
「ある」と言っているのはなぜでしょうか? 一体原因はどこにあるのでしょうか? あなた
が見ている悪の根源は自分自身なのです。
 あなたが自分自身の悪を認めない限りは、あなたは外を裁き続けます。人のせいにし続けま      P86
す。人に責任転嫁をし続けます。外に原因を探し続けます。誰も責任転嫁を引き受けてくれな
くなったら、最期はあなたに戻ってきます。あなたが与えたもの(出したもの)があなたが受
け取る(自分に返る)ものです。あなたが受け取っているものはあなたが与えたものです。
内=外、外=内、私=あなた、あなた=私、あなたの外はすべてあなたの鏡です。あなたがそ
れを認めない限りは、あなたに天国はありません。あなたが自分の責任だと認めれば、責任転
嫁はできません。責任転嫁をするということは自分の責任を認めていないということです。自
分の責任ではないから人の責任だというのです。あなたの言うことを聞けば、あなたの心はす
べて見えてしまいます。内に悪あれば天国(二一世紀)はありません。あなたに待っているの
は死です。あなたがあなたのしたことの責任を取って、あなたの「人間ゲーム」は天国を前に
して終了です。永い間、お疲れさまでした。

「本当の宗教」というのはあなたの内側に存在する
 『あなたの内にすべてがあります』という教祖様をあなたが信じているならば、あなたには
もうその教祖様はいらなくなります。『自分の内にすべてがある』と言っているのですから、
あなたがそれを聞いた瞬間にその教祖様もその教祖様の説く宗教もお役御免になるのです。ど
んなに分厚い経典があったとしても、この一文をあなたが本当に分かれば、外の教祖様も経典
の勉強も御布施もその教団の中での苦しい修行も要らなくなります。あなたがいつまでもその     P87
教祖様にくっついているということは、あなたは本当のこと(真実/要点)を理解していない
ことになります。あなたは教祖様を信じる(=宗教を信じる/神を信じる/仏を信じる)とい
うことがどういうことなのかということを分かっていません。あなたは自らの嵌まっているト
リックに気づいていません。あなたは永遠に真実を知ることはできません。求めているものは
何も見つけることはできません。永遠に自由になりません。そのまま行けばあなたは何も知ら
ずに消えます。そのあなたをいつまでもそこに止めておくならば、教祖様自身が何も分かって
いないということになります。分かっていない教祖様についていけば分からないままです。地
獄どころか、あなたは永遠にいなくなります。
 宗教団体や教祖様が「ビジネス」をしていないならば、あなたを自分のところに引き止めて
おく理由はありません。あなたの内側にすべてがあるのですから、あなたが自分の内側の声を
聞くためにはあなたを自由にする必要があるのです。あなたがそのことに気づくまでのお役目
ですから、あなたをそこに止めておくのはオカシイことです。何も分かっていない宗教(学
問)をいくら信じても(研究しても)、何も分かっていない教祖様(先生)にいくらついてい
っても、何も分からないままです。自分が分かっていないのに人を導くとしたら、分かってい
ないことを人に教えることになります。信者や生徒にウソを教え続けることになります。お互
いに真実を知らないまま、信者(生徒)もろとも滅亡の運命を辿ります。あなたが『もうわか
ったから脱退する』と言っているのに、アレコレ説得をするならば、あなたがそこからいなく       P88
なったら何か都合が悪いからです。人を引き止めるのは、人に押しつけるのは、人に何かさせ
ようとするのは、自分に都合が良い(悪い)からです。『あなたのためよ』は何の意味もあり
ません。あなたが『死んでもいい』というならば、それを止める理由はありません。『死んで
もいいのか?』という脅しは相手の都合の発言です。
 これは、いわゆる「宗教」だけではなく、人間の社会のすべてのゲームに言えることです。
あなたと誰かの一対一の関係もしかりです。実は、本当の「宗教」というのは、本当の「学
問」の答えというのは、あなたの内側にあるものなのです。あなたがあなたの教祖様であり、
信者なのです。あなたがあなたの先生であり、生徒なのです。あなたがあなたの心のままに動
いて、あなたの体験からあなたが学ぶのです。あなたの宗教をあなたが実践してあなたが確認
すればよいのです。あなたがあなた自身の神であるというのはこういうことです。あなたがあ
なたの言う通りにすべての現実を創り出しているのです。皆が誰かの神様になっているから、
人の自由を邪魔して、人のものを取って、人の遊びを壊して、訳が分からずに、社会(世)を
目茶苦茶にしたのです。天国を地獄に変えたのです。あなたは自由が恐いのですか? あなた
は地獄にいたいのですか? あなたが怖がっている限り、本当の自由はありません。この「逆
説(=パラドックス/トリック)」、分かりますか? この道理が分からなければ、あなたは地
獄の宗教のまま滅亡です。さて、あなたはどうしますか?

あなたがいるから「右(手)」と「左(手)」がある                               P89
 あなたの外側にあるものは、すべてあなたの内側にあるものが映っているだけです。あなた
の外は自分自身の内を見るための鏡、道具に過ぎません。その道具や鏡の像を消そうとしても
意味がありません。あなたの外にあるものにあなたがどう反応するかをみれば、あなたがそれ
にどういう意味付けをしているかが分かります。あなたが内に持っている基準が分かります。
あなたの宗教が分かります。長谷さんはあなたの発言を聴けば、あなたのしているゲームが分
かります。あなたが見ている意味は、あなたの外側にあるもの自体の意味ではありません。そ
このところを取り違いしないようにしてください。ここのところを勘違い(神違い)すれば、
神(宗教)を間違ったまま、永遠の死を迎えることになります。その人が悪いのでもないし、
その出来事自体が否定的なのでもありません。あなたが、自分の中でそういう意味を付けてい
るからそう見えるのです。あなたがいるから外がそういう風に見えるのです。あなたが悪だと
思っているから悪に見えるのです。
 「良い」も「悪い」も両方ともあなたが持っているものです。あなたがいるから「左手」と
「右手」があるのです。あなたがいるから手を合わせられるのです。あなたが両手を合わせな
い限り、自分自身の持っている目がすべての原因だと気づかない限り、あなたがあなたという
存在に気づかない限り、二つの相反するものは統合できません。あなたが分けているから分け
て見えるのです。仏様や神様に手を合わせるのは、このことを教えるための型示しです。手を     P90
合わせて神様や仏様に拝んでも、心の手を合わせなければ(一つにしなければ)あなたには天
国は永遠にありません。

あなたが人を責めているのは自分を責めているのと同じこと
 外にあるものを裁き続ける(責め続ける)ということは、あなたがこのメカニズムを理解し
ていないということです。実は、あなたが責めているのは、他でもない、自分自身なのです。
人を責めるということは、自分を責めているのと同じなのです。本当は、人の責任も自分の責
任もないのです。すべて「自分の責任」です。よって、「責任」という概念はなくなります。
あなたがこの文章自体を裁くならば、あなたは全く分かっていないアホです。『赤子になれ』
というのは『ゼロで聞け』ということです。あなたが赤子にならないから、何も分からないの
です。あなたがこの本を裁いている限りは、何も変わりません。どんどん悪くなります。あな
たがこの本の要点が分かっていればこの本を裁くことは出来ません。あなたがこの本の要点を
分からない限り、この本からは何も学べません。この本を裁くあなたが神様から見れば悪人な
のです。統合の神様の言うことを裁くならば、あなたは神様を二つに分けていることになりま
す。あなたの神様は二つに分ける神様です。永遠に天国はできません。あなたはそのまま分裂
して、飛び散って、宇宙の塵と消え去ります。                                   P91
 あなたが神様を責めているからあなたには自由がないのです。責任追及ゲームは地獄を進め
るだけです。戦いの末に共食いとなって共倒れになる。世界丸潰れの幻想のゲームなのです。
それこそが、楽をして天国を創ろうという、天国を創ろうとして天国が創れない「空想論」で
す。あなたが責任転嫁を続けられるのは、文句や裁きが平気でできるのは、こういうメカニズ
ムを知らないからです。この仕組みが分かっているならば、絶対にできないゲームなのです。
『人の責任にはできない』そういう結論にしかならないのです。あなたは人を責めておいて、
自分が「責められる」と怒りだします。ところが、「人を責める」ということは、実は、自分
を責めているのです。ある場合は自分を責めて、ある場合は自分を責めない(=人を責める)
というのは、あなたが一つになっていない証拠なのです。今までは、こういう考え方は想像も
しなかったかも知れませんが、これがあなたという存在についての真実なのです。これが人生
の創造メカニズム、宗教のメカニズム、世の混乱の本当の原因です。根本的解決をしたいなら
ば、根本を直さなければ絶対に無理です。混乱しているのは社会や人ではなく、あなた自身で
す。メチャクチャなのは、あなた自身なのです。

あなたが「自分のしたことに責任を持つ」と決めれば何でもできる
 あなたがしたいことは、あなたが『したいからする』『したらどうにかなる』『何を言われて
もいい』『死んでもいい』と決めれば全部できることなのです。あなたが自分のしたことに責       P92
任をもつことを決めさえすればできるのです。あなたが「悪者」になりたくないから、あなた
は外に原因を見つけて、勝手に原因だと決めつけて、やらないだけです。『自分が悪者になり
たくない』ということは、実は、『人を悪者にする』ということです。あなたが誰かのせいに
しないことを決めればしたいことは何でもできます。こんなことを言うと、『人を殺してもい
いのか?』という人がいますが、「人を殺す」(「取られたら取り返す」というのも同じです)
ということは、あなたの感じている感情(「恨み」「憎しみ」)が誰かのせいだと、「人の責任」
にしていることが前提にあります。この時の、あなたが感じている感情を創りだした宗教は、
『あんたがしたいことをさせてくれなかったからこうなったのだ。だからあなたを恨む(憎
む)』です。そして、それが感情という形で肉体に出てくるのです。あなたも人も自由ならば、
絶対に犯罪はありえません。あなたが何かをできなかったのは、あなた以外の誰の責任でもあ
りません。あなたが人の責任にして、外の状況をコントロールして、人に頼って何かを手に入
れようとするゲームをしていたから、できない状況になっているのです。『人の責任にするの
をやめればできる』ということを教えるための教材なのです。その教材を使うか使わないかは
あなたの自由意志であり、その結果はあなたにすべて返ってくるだけです。神様は一切強制は
しません。教材やノウハウだけ渡して、後はすべてあなたの自主性に任せているのです。すべ
てのすべては、あなたのやっているゲームが原因なのです。                         P93

あなたは何をしているときも一〇〇%自分勝手なゲームをしている
 あなたは、あなたが何と言おうと、どんな言い訳をしようとも、どんなときも、結局、自分
勝手なことをしているのです。あなたがこれを否定すればするほど自分勝手の上塗りをしてい
るだけです。そして、あなた以外の人達も同じです。お互いに文句を言ったり、干渉したりす
るのは、自分勝手なゲームなのです。あなたも相手もお互いにお互いを責める資格はないので
す。喧嘩も戦争もお互いの自分勝手ゲームの創りだした作品です。あなたがそれに気づいてい
なかっただけ(気づいても認めなかっただけ)なのです。すべての自分の体験に関してお互い
に相手の責任にはできないのです。責任転嫁というのはアホのお遊びです。子どもの喧嘩です。
「大人」も神様から見れば何も知らない子どもです。全部分かっていれば、何の問題もトラブ
ルも起きません。責任の押しつけ合いをやっていても何も解決しません。天国がどんどん遠ざ
かり、死の瞬間が近づくだけのことです。『どっちが悪いか?』という責任追及ゲームをして
いても、何の意味もありません。お互いに自分の責任なのですから、その答えは出ています。
「良い」「悪い」というのはお互いが自分の都合で勝手に決めていることです。「取られたら取
り返す」「傷つけられた恨みを晴らす」ゲームが永遠に続くだけです。「裁判所ゲーム」の最期
は共食いの共倒れ、世界丸潰れのゲームです。
 あなたが体験しているすべての出来事は、あなたが「人の責任ゲーム」を選択したところか       P94
ら始まっているのです。あなたの問題の、社会問題の大元は、「自分は悪くない」というゲー
ムです。「人の責任ゲーム」を選んだ自分の責任です。そのゲームを綺麗サッパリやめない限
り、問題がどんどん増え、戦いが激しくなり、天国は無くなります。でも、そのゲームは後少
しでできなくなります。「人の責任ゲーム」を続けている人間だけが天国に行けなくなります。
ヒト(人の責任にしないゲーム)は天国へ、ケモノ(人の責任にするゲーム)は滅亡へ振り分
けが始まっています。

本当に「人の気持ちを考えている」ならば人をコントロールできない
 すべては、あなたがやっている、あなた自身の都合によるあなた自身のための選択の結果で
す。あなたの都合であなたが選んでいる結果です。全員が自分勝手です。誰も責めることはで
きません。今までしてきたことは逃げられません。これから体験することを人の責任にしない
で辛抱していることで(人を動かすのではなく自分が動くことで、自分が考え方を自由にして
別の方法を考えて行動することで)今までの「人の責任ゲーム」で楽した分だけ苦しんで天国
へと向かいます。これが掃除のプロセスです。「人の責任にすれば自分だけが永遠の死を迎え
る」それを知った上で、お互いに自分のしたいことをしてください。お互いに干渉なしで自分
の勝手に自由に心のまま動くということです。その結果として、お互いに迷惑を掛け合うこ
とがなくなり、あなたも含めてみんなのためになるのです。みんなが自由になるのです。みん      P95
なが天国になるのです。あなたが永遠に天国を体験できるのです。まずはそれを認めて、今ま
でしただけの責任をとることから始めてください。「自分だけのため(我善し)」に行動するの
ではなくて、「自分自身のため」に正直に行動することが大切です。それが人のため、神様の
ため、そして自分のためです。
 本当は、「自分のためが人のため」なのです。本当に人のこと(気持ち)を考えているなら
ば、「人を責める(邪魔する/否定する/支配する/操作する/干渉する)」というのはオカシ
イことです。『人の気持ちを考えなさい』という人間が、一番、人の気持ちを考えていないの
です。人の気持ちを考えていたら人の自由を一つでも制限するのはオカシイことです。自分が
人にしただけ苦しくなっているのですから、文句は言えません。人のことを考えているならば、
自分の知っていることを隠す、自分の学んだものを隠すというのはオカシイことです。お互い
に自分のもっているすべてを公開し合って必要なものだけ交換し合って遊べばよいのです。損
得は無い筈です。どこにも責任転嫁する理由はありません。長谷さんは長谷さんの学んだもの、
研究の成果、来ているメッセージ、体験、すべてのすべてを公開しています。あなたは試行錯
誤(思考錯誤)する必要はありません。長谷さんが得た結論(成果/ノウハウ/データー)を使
って、天国で遊ぶための準備をはじめてください。天国の生き方の練習を積めば積むほどここ
でも遊べるようになります。今ここから練習していかなければ、天国はありません。どうぞあ
なたのためにご自由にお使いください。                                       P96

 あなたはいつまで自分だけ勝手な「自分滅亡のゲーム」を続けるのでしょう? 天国のヒト
になりたいならば、今ここから天国の生き方を始めてください。天国での生活の準備が出来た
ヒトだけが天国へ行けるのです。今までのやり方では天国は生きられません。「後の真釣り」
にならないように、今から「真釣り」を始めてください。あなただけでも天国に返って来てく
ださい。これらについての詳しいことは他の所にも書いてありますので、必要ならば、その部
分を見てください。


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