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(4)自分の外から仕入れた声よりも自分の「本心」を優先させて行動してください

(4)自分の外から仕入れた声よりも自分の「本心」を
優先させて行動してください


『私がしたいから』という理由でやっていれば悩みや葛藤はない
 あなたが今までのパターンを続けている限り、あなたはそこでできないことを誰かや何かの
せいにして、その発言を繰り返して、回りに当たり散らして、イライラして、悩み続けること
になります。あなたの恐れが創りだしたわがままな一人芝居です。それこそが、あなたにとっ
ても、回りの人達にとっても神様にとっても、最も大きな迷惑なのです。『人に迷惑だからし
ない』と言って「したいこと」をせずに、葛藤を創って回りの責任にしていることこそが、本
当の迷惑なのです。
 あなたは、ただ自分自身に素直に、人のせいにせず、自分の外側や自分以外の人に前例を探
そうとせず、たとえ誰もやっていなくても、たとえ全員が反対したとしても、『私がしたいか         P60
ら』という理由だけで、本当にしたいことを正直にすればよいだけなのです。神様は何も禁止
していません。神様は戒律は一切創っていません。戒律ゲームの集団の常識を受け入れてあな
たが勝手に禁止しているだけです。あなたがあなたの手に入れた立場を守るためにやっている
一人芝居です。
 あなたが何も心配せずにその瞬間にしたいと思ったことをそのまま素直にやれば、その悩み、
その葛藤は、簡単に解決します。いや、あなたが初めからそうしていれば、あなたには悩みや
葛藤やストレスというものは一切存在しなかったのです。本当は、あなたの中には「喜び」の
体験以外は存在しえないのです。ここに来てまでも、あなたはまだ得意の『でもやっぱり現実
は』というゲームをやりますか? それをすれば、あとは毎度お馴染みの堂々巡りのゲームが
始まるだけです。

「他人教の教義」よりも「自分教の教義」を優先させてください
 あなたの悩みや葛藤は、あなたが自分自身に言っていることとあなたのやっていることが違
うことから創りだされる、言わば、あなたの創りだした芸術作品です。あなたの表現というの
は、あなたが感じたことを自由に好きなように加工して表現した成果ですから、あなたの感情
というものも立派な芸術作品であり、あなたは立派な「芸術家」です。ですから、それがどん
なものであっても、あなたがあなた自身に贈っているプレゼントに他なりません。どんなに出       P61
来ばえが悪くても、自分以外にどこにも文句を言うところはありません。あなたが、それがお
気に召さないならば、別のやり方で創り直せばよいだけです。どうぞ、あなたが本当に創りた
い作品を創ってください。
 あなたには本来、葛藤も悩みもストレスも無いのです。あなたが創りだしている、抱えてい
る(と思い込んでいる)葛藤や悩みや問題は、今まで教えられきたこと、今まで回りのみんな
がやっていることの中からあなたが選んだ「してはいけない」「すべきでない」「これをすると
自分が危ない」云々、という観念(行動指針=外からもらった私心=他人教の教義)を自分の
「本心(=自分教の教義)」よりも優先させていることがその原因なのです。なぜ本心を疑うの
ですか? あなたの「本心」というのは「本神」の声そのものなのです。あなたが「本心」を
疑えば、疑心暗鬼の世界が続きます。本当の神様を疑えば疑いの神様です。本当のキを濁らす
からギとなるのです。疑心で行動すれば偽(ギ)の世界を歩き続けて、本当の天国を目の前に
してあなたは本当の死です。
 あなたの本心を素直に行動してください。あなたという教祖様の言う通りに素直に行動する
有能な信者になってください。長谷さんを信じる、神様を信じるということは、あなた自身の
言う通りにするということなのです。長谷さんを信じるということは長谷さんを信じない
(教祖様にしない)ということです。長谷さんについてくるということは、自分自身について
いくということです。長谷さんの歩いた道を自分で歩いて来るのは構いませんが、長谷さんの      P62
「追っかけ」をしても何もなりません。目に見えた長谷さんの真似をしても意味はありません。
あなたがあなたの心を歩いてください。あなたの心の真似をしてください。あなたの本当の真
の心に似せてください。長谷さんを追いかけてくるならオナラをぶっかけますよ。ま、それは
冗談ですが、あなたがこのことを理解できれば、長谷さんも外の教祖様もマニュアルも要らな
くなります。あなたは本当に完全に自由になります。人からも社会からも神様からも死(恐
れ)からも、です。肉体の死を避けて『そんなことはありえない』と言えば、あなたは、永遠
に本当の自由を体験しないまま本当に死にます。

あなたが自分を守ってくれると思っているものはあなたの邪魔をしている
 実は、あなたが『自分を守ってくれる』と思い込んでいるものは、あなたを守っているので
はなくて、逆に、あなたの夢の実現を、あなたの自由を、あなたの本当の天国を邪魔している
のです。なぜなら、あなたはそれを選ぶことで葛藤や悩みを創りだして、心地が悪くなってい
るのですから。夢が夢のままで止まっているのですから。あなたが持っている『自分の守って
くれる』『こうすれば自分を守れる』というものは、あなたを守るために全く役に立っていな
い無用の長物です。
 これでは、あなたは安全でも何でもありません。あなたが勝手に安全だと錯覚しているだけ
のことです。あなたは、実は、最も危険なことをしているのです。あなたが本当に安全である      P63
ならば、何も守る必要はありません。あなたがしていることは、危険にならないように「安全
という幻想」にしがみついているに過ぎません。「安全神話」はどんどん崩れていますが、ど
うしますか?
 このゲームの中には、口では『安全だ』と言いながら、常にそれを手放す不安があるという
矛盾が存在することに気づいてください。今のあなたのやり方は矛盾を創りだすノウハウです。
あなたが行動を通して「本当の安全は自分の中にある」ことを自分自身の体験から知るまでは、
あなたの葛藤や悩みや問題、恐れや不安や後悔は、永遠にあなたについてまわることになりま
す。つまり、あなたは自らが『安全だ』と錯覚しながら、永遠に『危険な』状況の中にい続け
ることになるのです。それは自分自身が創っているものですから、あなたがそこから抜け出す
ためには、抜け出そうとして自分の外を探すのではなく自分の内を見ることが必要です。危険
の中に安全あり、です。
 あなたが今ここにあるものをそのまま行動することで、あなたは本当の安全とは何かを身を
以て体験していくのです。まずは、人の中に安全を探すより、あなたがこれを認めて、行動す
ることが先です。行動すれば体験を通してあなた自身に証明されます。『本当かどうか』と疑
えば、永遠にその疑問は解けません。そして、何も分からずにあなたのイノチの灯を消すこと
になります。

「人の責任ゲーム」はあなたが選択した「自分に責任があるゲーム」                P64
 あなたが「してはいけない」と思っているものは、単に人がそう言っていただけです。あな
たがそういうふうに教わってきただけです。そう言っておかないと自分が都合が悪いと思って
いる誰かが、あなたにそういうふうに教えてきただけです。この世自体にそういうものがある
わけではないのです。あなたが何らかの目的で勝手にそれを選択してそれにしがみついている
だけのことです。あなたが何かを恐れているから、そういうものに引っ掛かっただけです。あ
なたが何かを避けているから、それを選んだだけです。あなたはそれを選択することで苦しい
状況に居続けています。今のあなたは天国ではありません。一つでも葛藤があれば、そこは
「地獄」なのです。
 今までのあなたが選んできた観念(やり方/宗教)では天国を創りだせないことはもう明白で
す。あなたは一体いつまでそういうゲームをやりますか? あなたが何を体験しようとも、そ
れを選んだのはあなたですから、誰にも責任はありません。それを選ばなかったらあなたに都
合が悪いから、あなたがそれを選ばなければ死ぬと思っているから、そう教わったから、それ
がいやだからそれを選んだだけです。あなたが死を恐れているから、人の評価にこだわってい
るから「ウソ」に引っ掛かったのです。あなたの保身や身欲があなたのその体験の元にあるも
のです。
 あなたも自分勝手、相手も自分勝手です。あなたも自由、相手も自由です。お互いに自分の      P65 
都合で選んでいる関係なのです。お互いに自分勝手だとしたら、お互いに何をしようとそれを
やめさせる権利はどちらにもありません。あなたが自由ならば、相手を制限する理由はありま
せん。悪が自ら滅びるならば、あなたは悪を止める必要はありません。あなたが天国ならば、
人が何をしていようと関係ありません。人を何とかしようとしているならば、それはあなたに
都合が悪いからです。自分に都合が悪いから、人のすることを止めるのです。
 『あなたのためよ』の本当の意味は『私だけに都合がよい(あなたがそれをしないと自分が
都合が悪い)からよ』なのです。あなたが「外の悪が自分を危険にする」と思い込んでいるか
ら、誰からかそういうふうに教わってきて、そういうふうになるのが、それがいやだから、外
に見えている悪を消そうとするのです。あなたのしていることは「自分だけ勝手」なゲームで
す。あなたはそれが自分を滅ぼすことになるのを知らないから平気でできるのです。あなたが
人に『するな』と言うとしたら、それこそ自分勝手な、『自分だけのため(我善し)』の行動で
す。
 お互いに人(相手)の責任にしているとしたら、その「人の責任にするというゲーム」も自
分自身が選択しているのですから、人の責任ではなくなります。あなたは「自分の責任」であ
るものを人の責任にしているという矛盾した行動をしていることになります。あなたは自分の
責任を自分でとらずに、都合が悪いものだけ人に押しつけているのです。責任の押し付け合い
は共倒れです。                                                    P66
 あなたは完全に自由な存在です。あなたの選択はすべてあなたの責任です。あなたは常に選
択するかしないかの自由があります。

あなたが創った幻想はあなたにしか消せない
 人の責任にし続ける限り、あなたは、すべてを自分が選択していることには気づきません。
自分のご都合よろしく生きていることには気づきません。あなたは、長谷さんがこうして教え
てもまだ気づかないでしょう。あなたが自らのご都合で自分のすることを正当化する理屈をつ
くっているのです。「悪が外にある」という宗教を選んでいると、「自分は悪くない」というこ
とになりますから、いつまでたっても自分自身が、自分の体験する悪を創りだす「悪の根源」
であることを認めません。あなたがそれを認めなければ地獄の体験の末に「滅び」です。悪裁
くは神裁くことです。
 あなたは一つでも葛藤があることがすでに「地獄」だと気づいていません。「天国」に行く
か行かないかは自分の心次第だと気づきません。あなたは長谷さんの言うことを否定し続けま
す。あなたが、すべての困難の原因が自分の「恐れ」にあると気づいて、すべての選択の理由
が自分に都合がよいからだと気づいて、その行動を改めていけば、あなたの天国は簡単に実現
します。あなたは苦労を避けることをしなくなります。自分のせいだから人にせいにはできな
いと分かります。                                                   P67
 あなたが「自分の責任」を認めれば、人に責任を押しつけることはできなくなります。責任
をとるというのは、人の責任を被ることとは違います。あなたが人の責任を被るのは、それを
しなければ自分に都合が悪いからです。自分から相手が離れていくのが怖いから、自分が相手
の責任を引き受けているのです。人の責任にしていれば、人の言う通りにしていれば、一見楽
なように思えますが、実は、自分の自由を自分で制限しているのです。「人の責任」という幻
想はあなた自身が創っているのです。人に原因があるということは神様に原因があるというこ
とと同じです。あなたがあなた自身(神様)に、『あやま知で過って誤りのゲームで地獄を創
ったこと』を謝ってください。あなたが本当に心から謝ってお詫びするなら感謝(神謝)の心
を今ここから実行してください。
 あなたが創っている幻想はあなたにしか消せません。あなたが創っている制限はあなたにし
か外せません。あなたが「誰かのせいだ」という幻想を握っている限り、あなたが制限してい
る限りは、長谷さんが何と言おうとあなたは絶対にこれ自体を認めません。でも、長谷さんが
あなたから見てアベコベのことを語れるということは、あなたと反対の見方(宗教)もあると
いうことです。
 どちらが天国に行くやり方かは一目瞭然です。あなたが長谷さんの提案を否定するならば、
あなたは地獄を生きています。天国には裁きも拒否も否定も疑いも批判も悪も死も危険も反対
も何もありません。あなたがそのままでは天国はありません。あなたが創っているその幻想は     P68
あなたを「本当の死」に導くものでしかありません。あなたが創ったものはあなたにしか作り
替えることはできないのです。長谷さんはあなたがあなたの現実を作り替えるための材料を提
供することができるだけです。あなたが本当の天国を体験するにはあなたの見方を完全に逆転
させる必要があります。

あなたはあなたが選ばない限り人の言うことを聞く必要はない
 あなたは、本来、無条件に誰かの言うことを聞く必要は全くないのです。あなたは、自らの
意志を無視してまで、人の言うことを聞く必要も、人に言い訳する必要も、人の自分勝手な理
屈での文句に気をつかう(人がどう反応するか/どう感じるかということに責任を負う/人の
気持ちを考える)必要もありません。もちろん、あなたが『言うことを聞かなければ自分が困
る』と思っているならば話は別です。あなたが困るのはあなたの勝手な都合です。あなたの自
分勝手な理屈です。あなたが人の言うことを聞くのは、すべてあなた自身のためなのです。相
手には何の責任もありませんから、あなたが体験した結果について相手を責めることはできま
せん。
 あなたが相手に文句を言っているならば、相手への感謝の心はありません。あなたが分から
ないことを教えてくれて、できないことをやってくれたのですから、あなたには文句を言う資
格はありません。あなたが研究できないことを研究して材料をくれているのですから、あなた      P69
がその同じことをしたらどれだけ時間とお金と労力がかかったかを考えれば、あなたには文句
は言えないはずです。もっとこうしてほしい、もっとわかりやすくしてほしい、と希望を出す
ことはできますが、文句は言えません。あなたは「分からないことを教えてくれるのが当然
だ」と勝手に思い込んでいるから、それが一番危険なことであると気づいていないから、それ
が平気でできるのです。
 あなたがそれをする必要があるならば、あなたがその人にコントロールされている(される
ことを選んでいる)証拠です。あなたがあなたを「恐れ」という幻想でコントロールしている
から、人のいうことを聞くことになるのです。あなたがあなたをコントロールしているからあ
なたは誰かをコントロールし、誰かがあなたをコントロールする(誰かにコントロールされ
る)ことになるのです。あなたは自分のことを自分でできないくせに、人に頼っているくせに、
思い通りの結果にならないと文句を言いだします。相手が悪いから、相手がミスしたから、と
自分の文句を正当化しようとします。まったく自分勝手もいいところです。人がどんなコント
ロールをしようと、脅しをかけようと、あなたに「死」という幻想がなければ、神様の本心を
知っているならば、何にも影響はありません。相手がどんなにミスをしようと、あなたの持ち
物を取ろうと、あなたはすべてを笑って聴いていられます。あなたのもの(財産)というのは、
あなたの体験だけなのです。あなたの体験はあなた独自のものであり、あなたが体験したこと
は、あなた以外には奪える人はいません。あなたがあなたの自由を奪っていると、最期の最期    P70
にあなたの体験(財産)を奪うことになります。
 一人一人のした体験がみんな違うからお互いに提供しあうことで、仲良く遊べるのです。お
互い違うのが当たり前なのに、違うからこそ参考になるのに、それを批判したり、それを否定
したりして、相手を潰して自分を正当化し、自分だけの理屈にしがみついて楽をしようとして
いるから、あなたは本当には遊べないのです。お互いの違いを認めて交換しあえば、どこにも
戦いなどありません。「略奪(取り合い)ゲーム」をしているから、いつまでたっても平和も
自由もないのです。

完全自由とはお互いの立場を完全に認めること
 あなたが『モノを持っていれば自由になれる』という幻想をつくる心をまず掃除しなければ、
本当の天国はやって来ません。あなたという魂の体験だけは誰にも取ることはできません。そ
の体験こそが永遠に残っていくあなたの本当の財産なのです。財産をつくるための形の道具を
奪い合いしても何も残りません。奪い合いをしたという体験が財産になるだけです。モノを奪
っても、モノを壊しても、それは魂から見ればただのゲームです。その行為自体を取り締まっ
たり、裁いたりしても何の意味もありません。そういう状況をつくる心こそが、今の世の混乱
の真の原因なのです。
 あなたが人の言うことを聴いて思い通りにならなくても、それは、あなたがあなたの意志で、       P71
あなたの都合で選んだことですから、その結果体験することについては、誰にも文句は言えま
せん。結局は、あなたがどんな選択をしようとも(選択してもしなくても=選択しないという
選択をしても)誰にも文句はいえないのです。だとしたら、あなたが自分のしたことに責任を
もてば、人を責めなければ、あなたは全くの自由になります。と同時に、自分の責任からは逃
れられません。完全自由とはお互いの立場を完全に認めるということです。文句をいうのはオ
カシイことなのです。
 長谷さんの表現を見て『もっと優しく言ってくれてもいいじゃないか』なんて、あなたは言
うかもしれません。あなたは全くアマチャンですね。神様が優しいと思ったら大間違いですよ。
それは今までの岩戸の中の宗教の『ヨシヨシ、いい子ね』の、お母さんの神様だけでの話です。
子どもが地獄に行く道を行こうとしたら、親はあなたを叱ります。叱らなければあなたは気づ
かずに地獄に落ちるからです。厳しく言わないとあなたは動かないからです。あなたが優しさ
に騙されていることを気づかないからです。痛い目を見ないとやめないからです。あなたが優
しく言って聞くならば厳しくはしません。優しい姿をした悪魔を天使だと勘違いしていれば、
厳しく叱らなければあなたは勘違いしたまま死んでしまいます。あなたを優しく怒るか、厳し
く怒るか、そんなことはどうでもよいのです。どっちでも同じことです。「人を傷つける言葉」
などというものはありません。あなたのアマチャン心が創りだした幻想です。あなたが被害者
を演じているから見えるものです。『俺を傷つける言葉を言ったから』というのは、相手を責       P72
める理由にはなりません。どんな表現をしようとも相手の自由です。あなたが、それを勝手に
一つの見方で見て、勝手に意味をつけて、勝手に反応しているだけです。あなたのアマチャン
一人芝居で、人に迷惑をかけないでくだいね。

あなたの「優しさを求める心」があなたを地獄に誘う
 長谷さんが語っていることは、そういう次元の話ではありません。神様は、あなたが危ないこ
とを知らせるためには、どんな姿にもなります。本当の神様(お父さん)というのは、素直な
者には仏ですが、逆らう者には鬼になります。『優しさ教』や『ヨシヨシ教』の虜になってい
る子どもには鬼になります。それが本当に子どものため、あなたのためです。優しさを求めて
いると、優しくしてあなたを信者にする教祖様もいます。罪悪感や恩を着せて、『そんなこと
すると危ないぞ』『悪魔についていくと危ないぞ』『~してやったのにしないのは』等々と言っ
てあなたに魔の手を延ばします。あなたが表面上の表現や形で見ていると見分けがつきません。
あなたが「優しさ」を求めているのが原因です。あなたが楽して心地よく天国に行こうとして
いるからそうなるのです。
 本当の天国は苦労なくして行けません。あなたがコントロールされることに同意しているの
ですから、相手は悪くありません、何が起きても、一切文句は言えないのです。あなたは自分
を心地悪くするものに文句を言いますが、全く、いつになったらその甘やかし心を捨てられる      P73
のですか? 長谷さんが、今この場で、本当の神様とはどういうものかということを教えまし
たから、以後、取り違いしないようにしてください。まだ、『長谷の神様は悪魔だ』などと言
っているならば、もう勝手にしてください。あなたの自分勝手なアマチャン心はもうどうにも
ならないようですから。
 あなたがそのままでは最期は死んでしまいますから、神様は鬼になって悪魔になって厳しく
叱ります。あなたに強制する人間がいるとしても、あなたがそれを選択したらその瞬間から先
に起きることは、すべてあなたの責任です。人が何と言おうと、どんな脅しをかけてこようと、
あなたには、そのゲームをやめてもう一つのゲームを選ぶという自由が残っているのですから。
 あなたの優しさ求める心はあなたを地獄に誘う道具となります。自分が自分で自分を地獄に
導いているのと同じです。あなたは魂ですから死はありませんし、死んでも掃除は続きます。
天国というのは、魂の世界での話です。肉体から見れば、あなたが心の世界に入ってから実現
する世界なのです。心が天国ならば、今ここでも天国になることもできます。魂と肉体を分け
ている境を全部キレイサッパリ外してください。あなたが心の岩戸を全部開けないと岩戸の外
には行けません。
 あなたが人の責任にし続けるならば、長谷さんの言うことを否定するならば、この世界には
『人の責任ゲーム』というものしかないと思っていることになります。あなたの人生はずっと
永遠に誰かのコントロール次第だということになってしまいます。あなたは誰かに人生を預け      P74
続けることになります。あなたがそのゲームの中で自分が自分の思い通りの心地よい現実を見
たい(天国を実現したい)ならば、そのゲームの中で自分を守る方法(相手を排除する方法)
を探すしかなくなります。あなたには、永遠に、天国も、完全自由もありません。
 あなたのしている『人の責任ゲーム』というのは幻想です。それは人を頼っているあなたの
心を使って支配しようという誰かの企みによって創りだされる幻想です。とはいっても、それ
はあなたが楽したい心を持っているから引っ掛かっただけで、あなたがしっかりと自立して
いれば、そういう企みがあっても何も関係ありません。騙されたのはあなたの責任です。行き
着く先が、恐れを使ったコントロールであり、その裏返しとして、恐れを使ってコントロール
されるのです。あなたがその相手を批判する(悪を裁く)としたら、それがあなたがそのゲー
ムを続ける原因です。
 あなたが欲しくないならば、選ばなければよいことです。どんなに不味い食べ物を売ってい
る店があっても、客がいなければ潰れます。その店自体を批判して、潰そうとしているのが今
までのゲームなのです。あなたのしたいことは『悪を潰すゲーム』ですから、あなたこそが相
手の自由を侵害する悪人になります。悪は自滅します。需要がなければ潰れます。悪を潰した
いという人間がいれば、その対象としての悪はあり続けます。『被害者』を使って『俺を傷つ
けたのは(苦しめているのは)あんただ、謝れ!』というのも上を潰して満足しようという自
分だけ勝手なゲームです。                                             P75
 あなたが悪を潰そうとしているならば「悪裁くが悪」が社会ルールになれば、悪は自滅です
から、あなたは自殺をしていることになります。あなたが外を何とかして自由になろうとして
いるならば、それはコントロールして支配して王様になろうとしている人間と大差はありませ
ん。いや、独裁者そのものです。あなたには永遠に自由も天国もありません。☉の人間にはコ
ントロールは効きません。☉している回りは天国になって、あなただけが自滅します。


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