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(7)何でもかんでも神様に聞いていると天国はありません

(7)何でもかんでも神様に聞いていると天国はありません

『いいのかどうか?』はやればわかる                                              P180
 これをしたらどうなるか? これをしたら大丈夫か? あなたの質問の意図は、大丈夫かど
うかの真意は『死なないかどうか』『怪我をしないかどうか』『一人にならないかどうか』『人か
ら嫌われないかどうか』です。『人の評価が悪くならないかどうか』『ルールに違反しないかど
うか』『神様の生き方から外れていないかどうか』です。神様は全部許しています。神様が許
していないものはこの世(形にも心にも)にはありません。その質問をすること自体が神様の
生き方から外れている証です。あなたは何を心配しているのですか? あなたには「死」とい
うものはありません。
 『いいのかどうか』と聞くことは、神様を疑っているのと同じです。神様が『悪はない』と
言っているのに、あなたは『悪がある』と戦っているのと同じです。神様と戦っても勝ち目は
ありませんが、あなたは何をしているのでしょうか? 掃除があれば、死はありません。相対
二元のゲームをしている人の評価は全く関係ありません。あなたを悪く言う本人が神様の世の
悪人なのです。すぐに人の評価を求めるあなたは何をしているのですか? あなたが神の世の
ルール違反をしているならば。何をしても逃げられません。あなたが違反をしていないならば
何をしても大丈夫です。あなたという肉体がここで死んでもあなたは死んでいません。何が危         P181
険なのですか?
 実は、あなたがこういう質問をしていること自体が神様のルール違反の証です。『これから
も地獄を進める』と言っているのと同じことです。今この時点ですでに葛藤があります。喜び
はありません。あなたには天国ではない証拠です。うまく行かない状況を創って教えてくれて
います。『長谷さんが質問に答えてくれない』と文句を言っているようではあなたは天国には
到底行けません。あなたを分からなくしたのはあなた自身です。長谷さんに文句を言うのはお
門違いです。
 『やっても大丈夫かどうか』はやれば分かります。『この先どうなるか』は行けば分かります。
その時が来れば全部分かります。あなたは自分が悪くなる(であろう)状況を避けているだけ
のことです。あなたは苦労することをさぼろうとしていますから、あなたには天国はありませ
ん。あなたは完全にルール違反をしています。どんなに避けても無駄です。天国でない人間に
訊いても答えは出ません。神様はあなたが動かない限り、教えてはくれません。あなたが行動
を起こさない限り、行動させるためにどんどん苦しくします。『後で』はもうありません。大
掃除まで時間がありません。もう後がないのです。今ここで動くしかないのです。人に訊いて
できることは今でもできます。長谷さんがいても『長谷さんに訊かないでやる』という実験も
できますよ。

自分自身の悪を認めることが天国への第一歩                                   P182
 『神様はやさしい筈だ』とか『教えてくれるのが当然だ』とか言っているのは、シッカリと
古い宗教に囚われている証拠です。あなたが神の世のルール違反をしたから、あなたは何も分
からなくなったのですから、神様にも長谷さんにも何も関係ありません。『教えてくれないの
が当たり前』『分かって当たり前』『自分で出来て当たり前』なのです。あなたがルール通りに
やっていれば、神様はあなたに教える必要も叱る必要も大掃除をする必要もなかったのです。
神の世のルール違反をした、言わば犯罪者であるあなたにマコトを取らせる(教える/天国に
導く)ために、艱難辛苦の末に「情けと花の仕組み」つまり、大掃除の仕組みを構えたのです。
本当の神様は「ルール違反の者」には「鬼」なのです。甘いことを言っていると、それこそあ
なたが死んでしまうからです。自分が違反しておいて文句を言うあなたは一体何をしているの
でしょうか? 本来は、自分が自分で出来るのが当たり前なのです。
 一人一人の子(人間)を自立させるのが元の神様の目的です。獅子も崖から自分で登ってき
た子だけ助けます。ケモノではない人間ができないのはオカシイことです。神様は可愛い子に
は旅をさせるのです。自分で考えて自分で苦労して自分で学んで自分で全部できるようにさせ
るのが神様の方法です。怪我をしても体験を通して学ばせるのが親です。手出し口出しは最期
までしません。死んでも続く「魂の修行(学習)」ですから。
 あなたが自分自身を疑えば、他人に評価を求めることになります。人があなたを騙しても文           P183
句は言えません。あなたが「騙された」と言って責任転嫁をするならば、あなたは自分勝手な
人間です。あなたが自らの内の悪を認めなければ、人が悪、神が悪、社会が悪、になります。
どっちかひとつの裏表です。あなたが悪なのか、誰かが悪なのか。どっちが真実なのでしょう
か? 二つの理屈は全く別のゲームを創りだします。今までの社会システムは後者の理屈に基
づいて創りだされてきたものです。あなたが前者を選択することが、天国への第一歩です。ど
っちを選択するかで、自分自身にその結果が返ってくるだけのことですから、神様は両方とも
やらせていたのです。今までの世は後者に「賛成」する人間ばかりが「数の論理」で創りだし
たドラマだったということです。
 今の世の争いはすべて、『自らは悪くない』という宗教の基で成り立つものです。二一世紀
の宗教に責任転嫁などありません。自分の責任を自分でとれない者は二一世紀の「ヒト」にな
る資格はないのです。今ここから「したことに責任をとる」生き方を始めてください。今ここ
でそれが実行できないならばその心そのものになる二一世紀はありません。

二一世紀には問題を解結するための仕組みは無くなる
 「二〇世紀」の思考では「二一世紀」はありえません。二〇世紀のゲームは二一世紀では一
切できません。『神様を信じれば天国に行ける』という言葉にはトリックがあります。本当の
神様を信じるのならば、自分自身を信じてください。『自分自身を信じろ』という宗教では              P184 
「教祖様」や「教団」は成り立ちません。全員が自分自身の信者です。お互いに交換し合って
修行をします。岩戸の中の宗教では本当の神様も本当の天国も本当の二一世紀も何も分かりま
せん。
 「科学」も同じです。「二一世紀」は物質の組成も性質も力学も変わるのです。物理学の研究
ノウハウは持っていけても、知識やデーターは全く意味を成しません。神様を無視して『肉体
に心があり脳が肉体を動かしている』などという「体主霊従」の物質の体の医学は何も意味を
成しません。二一世紀には病気はないのですから、治す必要はありません。肉体を本物だと思
っているから、「病気」の原因や「死」についての決定的な答えを出すことができないのです。
 法律はいらないのですから、それを運用するすべての係活動は必要ありません。二一世紀に
は、問題を解決するための仕組み(システム/ノウハウ)は一切必要なくなるのです。
 全く一〇〇%の入れ替えです。総取っ替えです。まずは、二一世紀の道具を使う自分(心)
を立替え建て直ししなければ、世界や他人どころではなく、自分自身が二一世紀に行けなくな
ります。二一世紀の思考ならば、二一世紀のことは考えません。二一世紀は神様が創ると知っ
ているからです。そのまま遊んでいれば二一世紀が来ると知っているからです。ハルマゲドン
は何も関係ないと知っているからです。二一世紀になれば、自由自在に遊べることを知ってい
るからです。
 二一世紀を知りたがるその思考そのものが二一世紀に生きられない原因です。二一世紀の生      P185
き方をしていれば、今この世界の物質という道具でも同じ遊びができるのです。そのまま二一
世紀を迎えて道具を交換してもらえばよいだけですから、心配も恐れも何もありません。
 「二一世紀」というのは、新しい生き方をマスターした人間だけが体験できる全く別の世界
なのです。『今世の問題をどうしようか』などと議論していること自体が無知の証です。『俺が
何とかしよう』と言うならば、あなたが神であることになります。あなたは神様をコントロー
ルしようとしていることに気づいていますか? 神様を何とかしようとするということはあな
たは神様の神様になってしまいます。あなたが自分の力で生きているならば、死を怖がるのは、
死を自由にできないのは、分からないことがあるのはおかしいですね。何か異論があります
か?
 生死が自由にならないのは、分からないことがあるのは、人に質問するのは、自分より大き
い存在に生かされている(頼っている/自分でできない)証拠です。分からないことがあるの
は、神様のルールに違反している証拠です。あなたがまずそれを認めることから、心の掃除の
プロセスが始まります。これに関して、屁理屈をこねるようでは、天国どころではありません。

あなたは教わった通りに反応しているだけ
 今までの仕組みが、今の世がそのまま続くなどとタカを括っているとそれこそ取り返しがつ
かないことになります。今のまま続くか続かないか、どっちを選択した方が矛盾がないでしょ           P186
うか? 神様の力を知っているならば、「神が先で人が後」ということが本当に分かっている
ならば、あなたは今までのすべてのゲームができなくなります。一切、文句が言えなくなりま
す。「感謝しなさい」などとは口が裂けても言えなくなります。今のあなたは動けなくなりま
す。
 あなたは、『こういうことをしたら謝りなさい』と習ったから、謝っているのです。『こうい
うふうにされたらありがとうと言いなさい』と習ったから、感謝しているのです。あなたは、
ただ言われた通り、教えられた通りに動いているだけなのです。そして、そのルールから外れ
ていないかどうかを人の顔色を見ながら気にしながら行動しているのです。本当の感謝の意味
が分かったら、あなたから文句は一切出ません。心から感謝しているならば、感謝ということ
について考えることはありません。文句と感謝は同居できません。感謝が当たり前ならば、感
謝を請求することもしませんし『感謝の言葉を言わなければ』とも思いません。あなたの質問
というのは、あなたがいい子でいたいが為の「自分だけ勝手」なものなのです。人に聞くから
人に騙されるのです。
 すべてのすべてが満たし合い、お互い様です。お互いに本当のことが分かっていないのです。
お互いに神様のルールに違反しているのです。お互いに相手を責めることはできません。それ
をしている人間というのは、感謝のカの字も、反省のハの字もない、自分勝手な人間です。自
分が何をしているかを全く気づいていない、自己中心的な、近所迷惑な、超大バカ者です。          P187
 あなたが、創造の仕組みを全部分かっているならば、心というイメージはありません。魂も
心も形も一つですから、心という概念は創りようがないのです。心について議論しているとい
うことは心が分離している証拠です。霊(魂)と心と体が一つならば、すべて一つですから、
自分は自分です。『自分は誰か?』『自分はどこから来たのか?』などという馬鹿げた問いはし
ません。何でもかんでも全部分かりますから、神様を知っていますから、心の通り形ですから、
何の矛盾も、何の不都合も、何の疑問もありません。全部願いが叶っていますから、御利益を
求めてお参りするなどということはしません。何でも見通せますから、占いも予言も超能力も
求めません。
 神人合一、霊体一如になった(戻った)人間は、心というイメージは創りません。神、心、
身、しん、しん、しん、三位一体ですから何の問題もありません。自分の望んでいることは、
すべて形になります。それが天国であり、それがミロクなのです。疑いも裁きも必要ありませ
ん。あなたが歩いている時『歩いているのだ』とは思わないでしょう。その感覚ですべてのす
べてが心のまま形になるのが本当の天国です。あなたのイメージが形そのものですから、あな
たから見れば思いの通りですから、一〇〇%判断(疑い)など入る余地がありません。まずは
心を☉に戻すことです。

今の世の憲法は神の世の憲法違反                                            P188
 今の日本は、法治国家とは言いますが、『ルールを守れ』と教育しますが、実は、今の世の
憲法自体が神の世の憲法違反なのです。「☉」「完全自由」の世界に戒律を一つでも創れば、そ
れは自由の侵害ですから、それこそがルール違反なのです。ということは、憲法の下の今の法
律もすべて神の世の憲法違反ですから、向こうの世界ではすべて無効です。今度は、今までと
はアベコベになって、法律を使って自由を制限する(規制する/悪を裁く)方が「犯罪者」と
なります。
 神の世においては、すべてのすべてが逆転します。人間と神様が逆転します。上と下が逆転
します。善と悪が逆転します。縦と横が逆転します。陰と陽が逆転します。「体主霊従」を
「霊主体従」にするということは、神の眼ですべてを見る、神の世の基準ですべてを考えると
いうことです。
 神の世のルールに反することが本当の悪です。◐も◑も両方ともΦは変わりありませんから、
☉ではありませんから、ルール違反です。自由や平和や平等を壊すのがルール違反、破壊する
のがルール違反、危険にするのがルール違反であるならば、☉以外はすべて違反です。『~の
恐れがあるから取締まる(禁止する)』というルール自体が☉違反です。☉に違反すれば、自動
的に自分自身が制限されます。思ったようにいかなくなります。☉に違反すれば、自動的に制
限を受けますから、取締りは必要ありません。形を取り締まること自体がルール違反なのです。       P189
Φの基準を持っているから形に◐が見えるのです。自らが制限に感じるのは、自らのΦのせい
です。自らが原因であるものを相手のせいにすれば、それこそ☉違反ですから、やればやるだ
けどんどん動けなくなります。どんどん悪が自分に迫ってくるようになります。自らが思いど
おりにいかないのは自らのせいだと認めなければ永遠に楽にならないばかりか、最期の最期は
苦しんだ挙げ句、自然消滅です。

自分が自由ならば相手を制限するのはオカシイこと
 ☉の世になれば、裁きは無くなります。戦いは無くなります。全員が、すべて自分の責任だ
と分かっていますから、「責任」という概念も消えます。「責任」は外にはないのですから、責
任追求も損害賠償も成り立ちません。そういうゲームはありえません。今ここにそういうゲー
ムがあるということは、今のこの世は☉違反の人間が大手を振って闊歩できる悪人主導の地獄
の世界です。
 何をしても自由ということは、制限をつけることも自由なのです。あなた以外の人が制限を
つけても、あなたは自由にすることができます。どんな極悪なルールでも、☉を生きていれば、
あなたには関係ありません。関係ないから、裁く必要もないのです。文句を言う必要もないの
です。そういうことをするというのは、☉でない証です。人の決めたルールに対してとやか
く言うあなたがルール違反なのです。あなたが自由ならば、どんな法律があろうと、どんな制          P190
限があろうと、あなたには関係ありません。あなたは制限とは感じません。あなたにはただの
遊びに見えます。
 あなたが自由ならば、相手のルールを変えさせるというゲームはしません。そういうゲーム
をしようとも思いません。何をしても自由なのに、相手の悪を裁くというのは、戦うというの
は、神様と戦っている、神様を裁いているのと同じことです。神様を裁くのは結局自分を裁い
ているのと同じです。自分が本当に自由にできるならば、相手を制限するのはオカシイことな
のです。自分が自由に動けるのですから、相手を動かす理由はありません。『あんたが自由な
んだから、あんたが考え方を変えればいいだろう』という理屈は成り立ちません。この理屈は、
自分は相手を制限していて、相手にだけ自由にさせよう(自分は楽して相手を動かそう)とい
う自分勝手な理屈です。あなたが自由ならば、あなたが考え方を変えればよいのですから、相
手とは何の関係もありません。

今までの世は「死がある」という宗教に基づくゲーム
 神様の世界から見れば、死など何処にもありません。神様は生き通しですから、神様の子で
ある人間も生き通しの筈です。人間に死という想念があるというのは、人間が岩戸の中の自分
を自分だと錯覚しているからです。人間の世界を「生」と見れば肉体を脱ぐ状況が「死」とい
う言葉で表現されることになります。肉体を脱ぐと終わりだと思っているから死が恐くなるの            P191
です。死(悪/闇)というのはあなたが創っている「幻想」です。あなたが『死がある』『死
は終わりである』という宗教にまんまとはまって、そういう考え方を鵜呑みにして、その通り
に動いてきたから、死があるままなのです。死を恐がると死を使ってコントロールされます。
あなたが恐がっているから、いいように人に騙されるのです。あなたが騙された原因は、あな
たが自由になれない原因は、死という幻想を創っているあなた自身にあるのです。あなたに天
国がない原因は自分自身が『死を創る宗教』を選択したことにあります。その結果起きるすべ
ての出来事は、あなたの責任です。
 ☉のルール違反をしているあなたに、人を裁く、人を恨む、人を訴える、人に文句を言う、
資格などありません。あなたが勝手に闇を作り、死を作り、死を避け、闇を創り、闇を避け、
『怖い怖い』と大騒ぎしている一人芝居です。自業自得の茶番劇です。あなたを被害者にした
のは、何をかくそう、自分自身なのです。あなたがあなたの加害者です。あなた以外には、ど
こを探しても「加害者」なるものは存在しません。あなたが勝手に表面上の形に責任を探して、
『あんたが悪い』と勝手に決めつけているだけです。「損害賠償」と言いますが、あなたは一体
何を失ったのですか? あなたは何かを壊されたのですか? あなたの肉体は神様からの借り
物です。その肉体が使っているすべてのものは神様のものです。あなたの魂はどこも壊れてい
ません。あなたは魂ですから、この世では何も失っていません。あなたの目の前から消えた
(死んだ)あなたの子どもの魂も壊れてはいません。この世にあなたのものは何もありません。        P192
すべてはレンタルグッズなのです。
 あなたの肉体は神様からの借り物です。借り物が使っているものも借り物です。強いて言う
ならば、神様が神様のものを壊したというところですから、あなたには何も言う資格はありま
せん。「俺のもの」という幻想を持っているから、やったやられた、取った取られた、騙した
騙された、と大騒ぎすることになるのです。あなた(魂)が自由だから肉体が壊れると不自由
に感じるのです。神様は、肉体に傷が付くと痛い、不自由だと感じるように肉体を創ったので
す。

「借り物(仮物)」を握っていると「本物」の天国には行けない
 この世には「所有権」など何処にもありません。所有権があるのは、本当は「神様」だけな
のです。「売買」や「ビジネス」というのは、神様から出てきた心を行動して、神様が創った
資源を加工して創った形を「お金」という道具と交換するゲームをしているだけです。神様の
ものを勝手に所有して、独占して、それを取った者をドロボーだと言っているのが人間なので
す。神様から見れば、全員がドロボーです。☉していない人間は、借りを返していませんから、
そのまま返さないならば、本当にドロボーになります。「独占権」など、誰にもありません。
勝手に独占して、ドロボーを排除して、自分だけいい気になっているのが人間です。自分勝手
に神様のものを使っている人間が『人に迷惑をかける自分勝手なことは許されない』と言って          P193
も全く効力はありません。
 というわけですから、長谷さんの書いていることも、長谷さんに断りなく自由にお使いくだ
さって結構です。長谷さんの「商品」を使って頂いた方が、みんなが天国になるのですから、
長谷さんは「あなたの自分勝手」を止める理由はありません。長谷さんの書いていること(長
谷さんの提供する道具)を自分で験さずに受け売りで書いたり話したりしても結構ですが、あな
たに掃除がなければ、あなた自身が混乱してしまいます。長谷さんのしている話に関しては、
あなた自身が体験を通して確認していなければ使えませんから、長谷さんの「著作権」は自動
的に保護されています。
 「所有」という概念は、すべて『人間の法律では』という条件付きです。全員が、全部が、
レンタルなのです。今の世は「仮の世(借りの世)」です。神様に道具を借りて、☉のルール
違反を清算して、借りを返して、本当の世に行く準備をしている場所なのです。今ここにある
物質や物質を使ったシステム上の地位や評価を所有しても、あなたが心の掃除(☉違反の清
算)をしていなければ、全く意味はありません。借り物(偽物/☉に似せた物)はもうすぐ本
物に交換です。本物の心を持っていない人間には本物は使えません。☉に戻らなければ、☉の
世の道具は使えないのです。☉の世の肉体は着られないのです。☉の世にはΦの世の道具は持
ち越せません。☉の世はゼロの世ですから、借金(借り/ルール違反)は一切持っていけない
のです。今この世ですべてのすべてを清算して、キレイサッパリ☉にならなければ、二一世紀          P194
という天国には生き返れません。

今の世の「健常者」というのは全員「心体(神体)障害者」
 借り物を勝手に所有して、壊された、取られたと文句を言っているあなたの方が悪人です。
相手のお金も神様からの借り物で創った道具です。相手の魂は神様が生んだ神の子です。損害
だ被害だと大騒ぎして相手のお金を取るというのは、神様のものを取っているのと同じことで
す。自らの☉違反を清算するために苦しい状況が来ているのに、自らは正しいのだという理屈
を使って、その状況を誰かの責任にして、さらに、その誰かからお金を貰おうというなど、神
を冒涜するにもほどがあります。神様のものを取っただけ最期に返すのですから、取ったもの
をすべて返さなければ天国はないのですから、自らがドロボーだと早く気づいて「返済」を始
めなければ、「天下(☉下の)の大泥棒」として、☉のルール通りに処罰される(自滅する/
自殺する)ことになります。
 今の世の「健常者」というのは、全員、「心体障害者」です。自由に動ける肉体を持ってい
ながら『できないできない』を連発して自分の楽ばかりを求めて人を動かそうとする。超ふと
どき者です。心の掃除があれば、今この世で目が見えなくても、肉体を脱げば見えます。「視
覚障害者」が何を見ているのか、あなたには分かりますか? 目が見えないというのは真っ暗
というわけではないのです。「視覚障害者」の方が心の目は開いていますから、あの世では立         P195
場が逆転します。
 「身体障害者」というのは、形(肉体)の制限を受けて(不自由な肉体を借りて)掃除を助
けてもらう代わりに「心体障害者(=いわゆる健常者)」に、その人の姿(心体障害があるこ
と)を見せてあげるというお役目を果たしています。差引ゼロです。『障害者はいいな、だっ
て、天国が約束されているんだもん』などと言っているアマチャンには「身体障害者」の苦労
はとても耐えられません。今の状況に不平不満を言っているようでは、とても辛抱できません。
ボランティアをやって天狗になっているようでは、本当の奉仕はできません。形の体は動かせ
る筈なのに『できないできない』と言うならば、あなたはあの世では自分のことを自分ででき
ない障害者です。いったいどっちが可哀相なんでしょうかね。心の掃除がないならば、「形」
は見えていても、「真実」は何も見えていません。「見えない」の意味が全く違うのです。

長谷さんと戦うことは神様☉と戦うこと
 「響=キョウ=鏡=教=今日=協=興=郷=狂=共=経=計」こういう面白い話はまずこの
章のことが一〇〇%分かった上での話しです。神様の知識や神様の計画や神様の型示しをいくら
知っても、神様の意思が分かっても、それを実行しなければ何もなりません。今回のテストは
「実地テスト」だけです。長谷さんという二一世紀の生き方のトレーナーも、実地訓練と実地
試験の連続で、神様の意思を伝える伝道者、二一世紀の生き方のカウンセラー、魂の掃除のト
レーナー、ミロク旅行のトラベルガイド、魂の医師、神の世の智慧を教える教師、神の世のル          P196
ールの専門家、真コトの宗教の教祖の資格(免許皆伝)をもらったのです。長谷さんの持って
いるものは、一度身につければ永遠に消えない、心でも(死んでも)永遠に生涯使える智慧で
あり、テクニックなのです。
 長谷さんはノートやメモや教科書を何も見ないでも、何時間でも話ができますし、あなたの
どんな質問にも対応できます。あなたの質問は、結局のところ、『いいんですか?』だけです
からね。『岩戸の中の遊びの制限から抜けていいかどうか(死なないかどうか)』を聞いている
だけですからね。あなたが長谷さんに反論をしてくる理屈はΦの理屈ですから、☉の理屈を身
につけていれば、簡単に返すことができるのです。答えは一つなんですが、それが分からない
人間がウヨウヨしています。分かっていても、やろうとしない「さぼり魔」ばかりですから、
長谷さんが本当のルールをハッキリ教えるお役目をいただいたのです。長谷さん自身は掃除の
すべてのプロセスを通り抜けて、なおかつ、あなたに教えるための訓練もしてきたのです。だ
から、このようにハッキリと言えるし、実践的に本を書けるし、テキストの執筆でも、カウン
セリングでも、講習会でも、何でもかんでも、自由自在に使いこなせるのです。あなたには長
谷さんのしてきた体験はとても耐えられません。今の今の状況に一つでも文句を言っているよ
うでは、長谷さんの役目はできません。
 あなたは、長谷さんの真似をする必要はありません。あなたは自分自身の心の掃除をすればよ      P197
いだけです。あなたのすることは、キレイサッパリ魂の垢を落とすことです。あなたが掃除で
きていないのに人に教えても、ますます、穢すだけです。垢を人になすり付けるだけです。あ
なたが掃除をすれば、そのプロセスすべてが、それが誰かのためになっていくのです。長谷さ
んは肉体を離れれば、すぐに天国へ行きます。今ここでは、長谷さんの肉体は人間として、形
という教材を使ってあなたに☉を教えるための媒体なのです。肉体を通して魂から魂に☉を渡
しているのです。長谷さんはあくまでもあなたの掃除の道具、あなたの鏡です。長谷さんの言
うことが体験として全部分かっているならば、あなたは長谷さんと戦うのは無駄だとわかる筈
です。だから、長谷さんと戦うことは神様や自分と戦うことになる、長谷さんと戦っても何も
意味がない、と言っているのです。


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