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(3)今この瞬間から「あの世のルール☉」で一〇〇%「この世」を遊んでください

(3)今この瞬間から「あの世のルール☉」で
   一〇〇%「この世」を遊んでください


始めの始めの「アの世」のルールが天国を創る神様☉のルール                   P228
 「あの世」というのは、始めの始めの「アの世」です。あの世(親のいる世)が先でこの世
(子の世)が後です。「アの世」のルールが神様のルールです。全員が天国になるルールです。
あの世でもこの世でも通用する普遍的法則(ルール/ノウハウ)です。「あの世」は完全に自
由な世界ですから、制限を創ることもできるのです。自由を禁止すれば制限の世。制限を禁止
すれば自由に戻ります。創ったものを壊して戻るだけです。制限の世にある制限(問題)を含
む法則(常識/ルール)を一つでも普遍的だと言うならば自由はありません。その中で自由に
しようとすれば、誰かを制限することになります。混乱を抑えようとすれば罰則が増えていく
ことになります。自由になろうとすればするほど制限が厳しくなります。初めに空間があるか
ら家(ハコ)が作れるのです。戸が閉められるのです。心の枠や心の戒律も、心が自由だから
作れるのです。部屋の中を元の世だと言っているのが、閉まっている戸が先で開けるのが後だ
と言っているのが、今のあなたなのです。アベコベです。理屈が合いません。オカシイですね。
初めは岩戸がないから閉められるのです。「あの世のルール」で生きれば、あの世、元の世、
二一世紀に生き返れるのです。この世の人間全員に成り立つ「天国の方法」です。神様の創っ     P229
た全宇宙に適用する「普遍的ノウハウ」です。

「子の世」で「アの世」の法律違反の罪を償えば天国に戻れる
 何でもかんでも形だけで考えるから、「アの世」のルールが見えないのです。「あの世」が恐
ろしくなるのです。長谷さんの書いていることを否定するならば、あなたはハコの中の目(ル
ール)にしがみついています。制限を創った「子の世」のルールの善悪の善人も悪人も神様の
ルールから見れば全員犯罪者です。元の自由な☉の世を壊した破壊者です。人の自由を奪う犯
罪者なのです。悪人が何をしていても「アの世」のルールで生きていれば何も関係ありません。
悪人を裁くのが「本当の悪人」なのです。犯罪者は自らの犯罪を償って、責任をとって、初め
てシャバに出られるのです。「この世の自由」は神様の目から見れば、自由でも何でもありま
せん。「子の世」自体が「あの世」のルール違反を償う、「アの世」のルール違反の心を掃除す
るための「仮の世」です。神様のルール違反者の刑務所なのです。刑務所の中にいるのに、何
も知らずに、勝手な理屈を作って「お勤め」をさぼってきた者ばかりです。読経しても「お勤
め」にはなりません。長谷さんの書いていることに対してツベコベ屁理屈を言うならば、あな
たはルール違反の証です。「コの世」でしてきたことをすべて清算しなければ本当の自由、天
国、「本物の世」には出られません。岩戸というのは「☉の刑務所」と「☉の娑婆」との出入
口です。「☉」にとっては刑務所も遊び場です。☉ならば自由に遊べます。☉ならば自由に出      P230
入りできます。Φならば出られません。まずは、あなた自身の岩戸(制限)を完全に開いてく
ださい。最期の一本の制限の糸も切ってください。あなたにはどんな状況であろうと選択する
かしないかの二つの選択肢があります。「せざるをえなかった」という状況は一つたりともあ
りません。「できない」ということは魂にとってはありえません。

あなたの元は(肉体の視点から見た)心の世界にある
 あなたという魂が『やりたい』と言っている限り、それは必ず形になります。霊界が先で、
現界(限界/幻界)が後です。「アの世」が先です。霊界(心でイメージする世界)にあるこ
とは現界で形になります。神様のすることは人間の世界に現れます。「それはありえない」と
いうのは「ありえない」のです。それをよく覚えておいてください。あなたが「否定するも
の」は全部存在します。「反物質」というのはあなたが否定している世界そのものです。あな
たがあなたの心をすべて受け入れて行動することで相反するものを統合することで、相反する
世界があることを体験することができるのです。あなたが心を分離しているから物質の世界で
体験できないのです。あなたの心には両方の世界があります。あなたは片方の世界だけ、あな
たが信じているものだけを行動して肉体として体験してきたのです。あなたの元は(肉体の視
点から見た)心の世界にあります。あなたが行動することによって心の世界を体験します。あ
なたがすべてを行動しなければ、あなたには天国はありません。あなたが天国の心で行動でき    P231
るようになっていれば肉体を離れても天国です。

あなたが「天国の心☉」ならば「コの世」の道具でも「アの世」の道具でも遊べる
 天国の心ならば「この世」の道具も「あの世(天国)」の道具も使えます。地獄の心ならば
「天国の道具」は使えません。あなたが長谷さんの書いていることを否定するのも肯定するの
も自由ですが、あなたが受け入れたものだけがあなたの体験となります。あなたがすべてを受
け入れれば、あなたは天国に返れるのです。あなたは元々の天国を否定したからその世界にい
るのです。否定したものを再び肯定すれば天国です。「逆の逆は真」です。これは人間の目か
ら見た表現であって、天国には否定という概念はありません。戦いもありません。悪もありま
せん。裁きもありません。そういうものを想像すること自体、あなたが天国ではないというこ
とです。あなたがそういうものを想像している限り、あなたは二一世紀(天国)には生き帰れ
ません。「そんな世界はありえない」という「そんな世界」はあなたの心でイメージしたもの
です。あなたがイメージした世界があなた(魂)がいる世界です。その世界を否定すれば、あ
なたはその世界に戻ることはできません。あなたが肯定した世界だけに行けるのです。後少し
で、肯定否定の心を持つ人間が存在できる場所はなくなります。これが本当の永遠の死です。
長谷さんの言うことを宗教だと言っているならば、あなたには二一世紀はありません。「宗教」
って何ですか? あなたが善と悪の心Φをもっていれば天国はありません。                 P232

まだ誰もやっていなくてもそれはあなたの選択を制限する理由(言い訳)にはなり得ない
 この道理が分からなければ、これを否定するならば、天国はありません。今までそういうこ
とをしていたから、あなたには天国がなかったのです。天国の心で「この世」の道具を遊べば、
あなただけは天国を体験できたのです。長谷さんの本も宗教も哲学も必要なかったという訳で
す。後は、あなたがどうするかを決めればよいだけです。何度もしつこくいいますが、あなた
の選択の結果は、あなたがどんな言い訳をしようとも、その言い訳も含めてすべてあなたの責
任です。あなたからどう見えようとも、神様は一番楽な体験で天国に導いてくれているのです。
あなたには「選択する」「選択しない(選択しないということを選択する=他の選択をする)」
という二つの選択肢(実は一つ「これをやるかあれをやるか=これをやればあれはやらない」)
が常にあります。上も下もありません。「すべき」も「すべきでない」もありません。あなた
の回りがすべて「NO」でも「選択する」ことはできます。あなたの回りがすべてYESでも
あなたは「選択しない」ことができます。誰もやっていなくても、それはあなたの選択を制限
する理由にはなりません。長谷さんがこの本を書けるのはなぜか、もう一度考えてみてくださ
い。あなたが実行して体験してください。

神様の「最期の強制執行」は悪(人)を救うためのもの                         P233
 最初にやった長谷さんは一体何を基準に選択するのですか? 初めの一人はどうやってやる
のですか? 『あんなこといわれちゃやらないわけにいかないだろう』というのは、自分の責
任をのがれようとする言い訳です。『だから、やったのだ』と言っても、その結果については
結局あなたの責任なのです。そろそろ責任転嫁をやめたら如何ですか? 神様はもう我慢しま
せん。もう堪忍袋の緒が切れています。天国が近いですから、神様のルールを厳格に適用して、
全員の掃除を進めます。最期のギリギリまで「子どもたち」の好きにさせていたのです。受け
入れないというあなたには最期は強制執行しなければ、あなたは死んでしまいますから。人間
の強制執行は悪を潰すためのもの、神様の強制執行は悪を救うためのものです。しただけ清算
しなければ天国はありませんから。人間と神様の大きな大きな違いです。『裁く心を捨てよ』
と言うことばを裁けば天国はありません。分裂の心ですべてを見ていたからどんどん分からな
くなっていったのです。否定したものを一つ一つ肯定していけばよいだけです。肯定している
ならば実行できる筈です。心で(死んで/真で/☉で)生きればミロクに生けるのです。とて
もシンプルな道理、あなたには分かりますか?
 あなたが何と言おうと、どんな「もっとらしい」言い訳を考えようと、あなたの責任は逃
れられません。言い訳や理由を探す間、したいことはできません。あなたがしたいことは実現
しません。言い訳を考えるだけ時間の無駄だということです。自分の自由を自分で奪って人に     P234
文句を言っていたのが今までのあなたです。あなたはあなたの天国を自分自身で奪っていたと
いうわけです。すべてのすべてが自業自得なのです。あなたの現実の創造者はあなた自身なの
です。これが『あなたがあなたの神』という意味です。あなたがしたいことをしてもしなくて
も、その結果はすべてあなたの責任です。「したいことをしない」という選択をしたのはあな
たです。「したくないことをする」という選択をしたのはあなたです。あなたは今までは誰か
の責任にしていたかもしれませんが、それは、責任転嫁という、責任逃れをする無責任なゲー
ムを勝手にやっていただけです。全く迷惑(枠)な失礼(失霊)なゲームです。ゼロ(霊)を
見失って、神様への礼儀も感謝も忘れ去って枠の中で迷っているから、文句や苦情を言っても
平気でいられるのです。自分のものは壊れていないのに、いい気になって損害賠償を請求して、
何の責任もない人からお金を取って自分の不満を解消してのうのうとしていられるのです。感
謝と文句は裏表です。文句と感謝があるならばニセの感謝です。ニセの天国、ニセの自由です。
あなたが天国ならば文句を言わないのが当たり前です。

あなたがどんな理由をつけようともすべてあなたのしたことはあなたの責任
 『誰かがやったからやった』と言っても、『したいからした』と言っても、どちらも同じこと
です。あなたが『やる』という選択をしたことには変わりありません。『あいつが言ったから』
『やらざるをえなかったから』『危ないから』『相手に悪いから』というのは、自分の責任を逃れ      P235
るための理由には一切なりえません。責任はすべてあなたにあるのです。「正当防衛」も「殺
人」にはかわりありません。「防衛」と「攻撃」の心が同居していれば、いつでも「防衛」が
「攻撃」に変わります。「陸上自衛隊」と言おうと「陸軍」と言おうと同じことです。「やっつ
けてやろうと思うこと」も「核爆弾の実験という行動」も結局は戦いのゲームの結果です。
「警察」も「泥棒」も相対二元の中の善悪◐◑のゲームです。心の中は同じΦです。形の表現
だけの是非や善悪を議論しているのは「人間の視点」で自分勝手をしている証拠です。形や表
現の善悪、正誤を議論して、潰し合いをしている心Φ自体が、☉の世から見たら悪です。あな
たは死んでも死にません。あなたは肉体を自分だと思っているから、勝手に「死ぬ」と思って
いるから、人を殺して自分(肉体)を残せると思うのです。神様のものを壊して自分は助かろ
うとする勝手な人間です。あなたがそういうゲームに同意していれば、その中ではあなたの論
理は正しいですが、誠の神様☉には通用しません。

「真コトの道☉」には責任という概念も議論もありえない
 「選択するかしないか」という選択もあなたの意志で決めているのです。あなたがどんな選
択をしようとも、すべてあなたが責任をとることになるのです。あなたがどんな選択をしよう
とも、その結果はすべてあなたの責任なのです。言い訳や理由や理屈を創ってからやろうとし
てもその分だけ時間の無駄です。「時間」がなくなったのもあなたの責任です。苦労をするの      P236
もあなたの責任です。あなたは誰にも文句を言う資格はありません。文句を言わないことが責
任を自覚している証です。それがあなたの心の掃除を進めるのです。あなたはまだまだ悩みま
すか? それとも、したいことを始めますか? どうするかはあなたの自由意志で決めてくだ
さい。マコトの道には責任という概念も議論もありえません。自らが責任を取るのが当たり前
ですから。議論している人間は真実を何も知らない大アホです。自分勝手な魂です。あなたは
誰も気にせずに、罪悪感を持たずに、したいことだけを素直にやればよいのです。失敗して怪
我して病気して死んで魂が磨かれるのです。肉体を離れても続く心の掃除です。肉体の生死は
何も関係ありません。生死一如の大掃除です。

「完全自由(天国)」には制限や戒律は一〇〇%ない
 あなたが今までにやっていた選択も、すべてあなたの自由意志で決めているのです。「文句」
を言う人はあなたの自由意志を侵害しています。自由意志の本当の意味が分かっていません。
自分に都合のよい自由意志です。それに対して反論するあなたも相手の自由意志を侵害してい
ます。「自由の侵害」に文句を言うあなたも、悪を潰そうとするあなたも、同じことです。「自
由意志」に条件は一切ありません。『そこまでいったらまずいよ』という条件をつけるかどう
かも自由意志に任されています。あなたがどんな条件をつけるか、どんな制限の中で自由意志
を行使するかも、すべてあなたの自由意志なのです。神様は完全に自由です。そのままやるのが   P237
神心です。あなたが本当に完全に自由ならば、悪を裁く必要もありませんし、邪魔する必要も
ありません。そういうことをしているということは、あなたはまだ神心(☉)ではありません。
あなたが勝手に作りだした神様、勝手に作りだした自由、あなただけの天国です。あなたに都
合のよい天国です。完全自由ということは一切戒律も制限もないのです。あなたが本当に自由
ならば、文句も不満もあり得ないのです。

「お互いの自由意志」を完全に認め合うことが本当の「愛」
 お互いの自由意志を完全に認め合うことが本当の「愛」なのです。認めれば一切文句も口出
しもできません。殺人も犯罪もあり得ません。認め合っていれば、お互いに完全自由です。
「自由にしたら混乱する」というのはウソです。あなたが完全自由ならば、あなたには何の不
都合もないのです。本当の愛は『無条件』なのです。『してくれたらする』『してくれないなら
しない』『してやったのに』『してくれないのは』というのは本当の愛ではなくて、単なる見返
りを求める、自分は損しないようにする「取り引き」でしかありません。「自分勝手な愛」で
す。無条件は完全無条件です。本当に「愛」しているならば、いつまででも一緒にいられます。
お互いに何のコントロールも必要ありません。何をしても自由ですから、気を使うということ
は必要ありません。それを要求したり、それを気にしたりすること自体が、本当の自由でも愛
でもない証です。自分勝手に心を分裂させているから、戦いになるのです。心が一つならば、      P238
お互いに一心同体と同じです。本当に愛しているならば、形の上ではなく、一個の塊として一
緒に居られます。肉体が別でも心は一緒(異体同心)にいます。死んでも一緒にいるのだと分
かっていることが本当に愛しているということです。危ないからやめさせるというのは、愛や
自由をはき違えているのです。自分が危なくならないための、自分の不安を避けるための自分
勝手な思いやり、自分勝手な愛です。まずは自分を愛することです。☉の一つの心から人間の
数だけの表現(考え/行動/言葉/システム/姿等々)が生み出されたのです。全てが価値が
あり貴重です。この世にあるものは全て☉の愛の化身なのです。自分だけが正しいという天狗
魂が、☉の神様を知らない人間が、世の混乱と最後の大掃除を招いたのです。天国に戻りたい
なら、自分にはめている制限を完全に(一〇〇%)外して、Φの世(のゲーム)から死ぬこと
です。

お互いの自由意志を一〇〇%認め合って行動することが本当の愛を体験するための第一歩
 「一緒にいる」という肉体上の目に見える関係は、心で一緒にいることのその結果です。一
緒にいるために何かしようとするのではなくて、お互いにしたいことをして結果として一緒
にいるのです。論理の逆転が分かりますか? 戦いをしたい同士が戦って、満たし合いたい
者同士が満たし合っているのです。形は創るのではなく、魂の動きの結果、成るものなのです。
形は神様が創るものなのです。お互いが自由気ままに行動できるような状況を「愛」「自由」       P239
というのです。「愛」にはコントロールもしつけも見返りも協力要請も思いやりも必要ありま
せん。一人一人が自由に気ままにやっていればお互いに干渉しないで済みます。お互いの体験
を自由に交換すれば何倍もの情報を得ることができます。心地よい人とはいつまでも一緒にい
ることができます。一緒にいたいからと言って人の自由を制限するのは、逆にその人を引き離
しているのと同じです。「しろ!」と言うのも「してくれる?」と言うのも同じです。相手の
行動を完全に自由にできないならば、あなたの「愛」は自分勝手な愛です。「誰の責任か」と
いう議論は、責任回避ゲームの中の条件付きの責任についての議論です。自分勝手なやさしさ
や思いやりを持たないこと、お互いの自由意志を一〇〇%認め合って行動することが本当の愛
を体験するための第一歩です。そうすれば必然的にコントロールも干渉も邪魔することも必要
なくなります。それが実は、本来の夫婦、家族のあり方なのです。それが家族以外の人たちも
愛する、自由にするための第一歩でもあるのです。形の上では一緒にいてもお互い自由ではな
いのが今までの家族です。今の「人類愛」の議論はまやかしです。

神様は今までの道具を全て壊して新しい道具で再生する計画ですべてを仕組んでいる
 形を保とうとして、人やシステムをコントロールをすると逆にその形を壊すことになります。
赤字を解消しようとか、黒字が減るのを止めようとかすることは、清算を拒否することです。
「赤字(損)」になったのは今までの「借金ゲーム」の結果であり、ゼロの世界に「黒字(得)」       P240
があるのもオカシイことです。これはお金だけの話ではありません。今の世のすべての問題の
根本にかかわる話です。壊れることを止めようとすると、もっと大きく壊れることになるので
す。「壊れる」というのは、必要ないものを分離して再構成する準備です。「損」は「得」を解
消するゲームです。「破壊」は否定的な出来事ではありません。創ったものは壊れます。「創
る」ことと「壊す」ことはイコールなのです。神様はすべてを壊して別の道具で再生する計画
ですべてを仕組んでいます。あなたがしたことの責任を取らずに、自らの「破壊(喪失)」を
避ける、自らの執着を手放さない(人をコントロールする)ということは、自らで自らの天国
を捨てているのと同じです。神様の存在を認めていないのと同じです。地獄Φの心では天国☉
は生きられません。二一世紀に生き返りたいならば、自らのしたことの結果をすべて受け入れ
ることです。心の掃除☉をすることです。

混乱を収拾しようとするよりもまずあなたの「人の責任だゲームΦ」を収拾してください
 「混乱(CON FUSION)」というのは、「再び統合する」ということです。今までの世は「混
乱の世界」です。自分だけ勝手な魂(幽体)が作りだす地獄の作品です。「法律」というのは、
罰則で形の混乱を抑えるために存在する(創りだした)道具に過ぎません。法律が必要な状況
では、「規制緩和」は混乱を創りだすだけです。天国にシステムが変われば法律も必要なくな
ります。規制緩和を渋っても、最期は完全規制撤廃せざるをえなくなります。責任が自分にあ      P241
ることを自覚すれば、法律はいりません。『自分のしたことだから混乱しても仕方ない』『混乱
するのは収拾の前段階だ』と認めれば一〇〇%規制緩和が今ここでできます。「意味不明のこ
とを口走る犯人」に精神鑑定が必要だと言いますが、そう考える本人自身が「正神☉(本当の
神様)」の言うことの意味が分からないのです。「人の責任だゲームΦ」をしている人間は、
『死がある』とか『二一世紀はこのまま続く』とか『自分の被害は誰かの責任だ』云々とワケ
の分からないことを口走っています。「正神鑑定」が必要なのは、そのセリフを吐く本人自身
です。その発言をしていること自体が、「正神病」の証拠ですから、神様は鑑定(神定)の必
要はありません。自分のしたことを自分で責任を取るだけですから、今ここが「正神病院」
「刑務所」ですから、自分で気づくまでそのままほうっていたのです。神様は「気違い」も
「殺神犯」も「窃盗犯」も「死刑囚」も「罰金刑」も全員一緒に勝手に泳がせて、最期は、自
首して自主的に罪を償った「前科を償った魂☉」だけを救い上げるのです。最期の最期は「人
間」も「幽霊」も全員一緒に大掃除して天国を創るのです。今ここから、一人一人が自らの責
任を自覚した上で自分の内の法律を全部外せば、天国への道が開けるのです。

「自分の責任」を一〇〇%自覚した魂☉だけが行けるのが「二一世紀」という新しい時代
 まずは、それぞれが自分のしているゲームに気づいて(認めて)、個人レベルで新しい時代
の準備をしていくことです。全体をなんとかしよう。外を変えよう、形を直そう、悪を消そう、        P242
破壊をやめさせよう等々としていると余計に混乱することになります。修羅の地獄での大掃除
で混乱した挙げ句、滅亡の道が待っています。一人一人が「『人の責任ゲーム』は自分が選択
した『自分の責任ゲーム』だ」と認識して、「人の責任ゲーム」をやめて、自分のしたことを
全て清算するという自覚をもってそれを行動するところから本当の変革が始まります。今の人
間に分かるように言えば、「二一世紀」というのは、天国の心☉だけで創った時代なのです。
地獄の心Φを持つ者は行けない世界です。今はもう、人や社会やシステムを変えたり、悪を潰
したり、破壊を止めようとしたりする時期ではなく、一人一人がどうするか(行くか行かない
か)を選択する時期なのです。破壊や損失を全て受け入れて、掃除をして、自己責任を自覚し
た魂だけが行けるのが二一世紀なのです。

あなたは「仮の世」で「本当の世界」に返るための修行をしている「仮者」
 回りはどうだろうとあなたからまず始めてください。自分のしたことに対して相手がどう反
応しようとも、ただ自分の意見を言うだけ、相手の反応についてのコメントをしないことです。
コメントをするかどうかも自由意志ですが、それをすると、またお得意のゲームが始まること
になることを知っておいてください。本当の☉の神様の言う通りに行動することが、自らの掃
除を進め、二一世紀の素となります。あなたの外を掃除するのが掃除ではありません。あなた
の行動から創り出されるすべてのゲームは、あなたが選んでいるゲームです。今までのすべて     P243
の体験(人類の歴史)は「人の責任ゲームを選んだ自分の責任」なのです。全員が自分の責任
なのです。お互い楽しいゲームもできます。お互い苦しいゲームもできます。「トラブルゲー
ム」を創りださないためには、お互いに一切干渉しないことです。それができる状態を自由と
いうのです。お互いにそれができる状態を平等というのです。「天国」や「平和」という形を
創り出すことではありません。形はあくまで結果です。くれぐれも取り違えしないようにして
ください。あなたが天国にするのではなく、あなたが心を天国に戻せばあなたが天国に行って
天国を体験するのです。この世のものは掃除のための仮物(借り物)であり、あなたは本当の
世界に返るための修行をしている「仮者」なのです。

「神様」から見たら「地獄という世界」は初めからない
 すべては神様の意のままになっているのです。あなたが神様を取り違いしていたから何も分
からなくなっただけです。今回は世界自体の出産です。今回は宇宙(世界)自体の輪廻転生な
のです。今度、転生できれば、もう、二度と地獄の世には戻りません。地獄は永遠に消え去り
ます。神様から見たら三〇〇〇年は一瞬です。ここで掃除をしてしまえば、全部天国になりま
す。つまり、神様から見たら、地獄という世界は初めからないのです。今回は、天国の心にな
っていない魂は消え去ってしまいます。言い換えれば、天国の心に戻った魂だけしか生き残れ
ません。この世のものに執着しているならば、死を避けている(肉体に執着している)ならば、      P244
その視点から動くならば、故意に破壊をするならば、悪を潰そうとするならば、壊れるのを止
めようとするならば、形を壊す(壊れるのではなく、故意に壊す)ならば、あなたには天国は
ありません。神様の「トキ」は進んでいます。もう少しで世界の大掃除が始まります。そして、
二一世紀が来ます。あなたがそれまでに自らの大掃除を終えていなければ、あなたにとっては
「二一世紀」はありません。あなたが今までしたことの清算をしていない分だけ大掃除が厳し
くなります。あなたが二一世紀に生き返りたいならば、心の掃除をすることです。最期の「三
歳苦難」というのは、最初で最期の大掃除なのです。もう二度と地獄にはなり得ません。すべ
てのすべてを天国に戻す(☉世に返す)のが今回の大掃除なのです。

「二一世紀」を迎えられるかどうかはあなた個人の心のあり方次第(一人一人の問題)
 あなたが二一世紀に生まれ変わるかどうかというのはあなたの心の掃除次第です。長谷さん
がこの本に書いたことを一つでも批判している(「?」を付けている)ならば、あなたは掃除
が必要です。まずは、ここに書いてあることをすべて受け入れて行動することから始めてくだ
さい。そのプロセスで起きる出来事を使って掃除をしてください。何が起きても決して人を責
めないでください。辛抱していてください。どんなことが起きても、絶対に自殺だけはしない
でください。あと少しの辛抱です。人のものを取ろうとせずに今持っているもので凌いでくだ       P245
さい。今あるものを使って神様の大掃除が終わるのを待っていてください。今ここで肉体的に
どんなに悲惨な状況になろうとも死のうともあなた(魂)には死はありません。あなたの肉体
にすべての栄養があります。土も泥水も毒草も最期の最期はすべて食べ物になります。あなた
が行くのか行かないのか、二一世紀というのは、あなた個人の心のあり方次第(自分自身の問
題)であることを自覚してください。二一世紀というのは一人一人の現実なのです。今のこの
世界で心の掃除を終えて、☉に戻って、☉の神様の創った天国に生き返った魂☉が集まって創
り直す「地上天国」が二一世紀なのです。あなたが二一世紀に行けなければ、あなただけに二
一世紀がないのです。人ごとではありません。後少しの間、最期の最期の万古末代二度とない、
一度コッキリの三年間の大掃除、見事に耐え抜いて、魂磨いて、すばらしい時代(ミロク/天
国)を迎えてください。永遠の天国を一緒に謳歌しましょう。


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