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(2)これからは天国☉を目指して「本当の宗教☉」の修行の苦労を楽しんでください

(2)これからは天国☉を目指して「本当の宗教☉」の修行の
   苦労を楽しんでください


あなたがどんなに「できない」を連発しても今世は必ずやることになる
 これから先は、(いや、今までもそうだったのですが)人に嘘をついても、人を騙しても、
人に「いい子」のフリをしても、被害者になって楽をしようとしても、あなた自身がますます
苦しくなるだけです。神様は、どんなことをしても、全員に改心するように促していきます。
今までのやり方で天国を創ろうとしても無駄なことです。それをするということは、今までの
基準でウソの自分を演じるということ、言い換えれば、神様のルール違反を続けるということ
ですから、あなたの苦しみが増えるだけのことです。『自分が本当にしたいことをそのまま行
動する』ことです。今までのルールをすべて放しているならば、迷う(葛藤がある)のはオカ
シイことです。疑うのはオカシイことです。損得をやっているのは、死を恐れているのは、オ       P214
カシイことです。
 あなたがどのくらい自分を一つにしているか、自分の言ったことを行動しているかというこ
とが、本当のあなたの運命を決めます自分の選択が自分の運命を決めるのです。誰かが決め
てくれるのではありません。あなたの選択次第であなたの本当の生死が決まるのです。苦しみ
にしろ喜びにしろ、今までよりもハッキリと、より早く確実に、あなたの選択の結果が現れま
す。苦しみを感じたら、人を責めず、文句を言わず、すぐに行動を変えてください。長谷さん
といっしょに仲良く、大いに遊べなのです。
 あなたの「したい」を素直にしてください。「でも」と言っている限り何もできません。「で
も」はあなたの魂を殺す「自殺兵器」です。あなたは、いったいいつまでそれを言い続けます
か? その結果はあなたが体験することですからいつまででも好きなだけ続けて結構ですが、
今回は、あなたがどんなに「できない」と言っていても、必ずやるときがきます。後になれば
なるほどいっぺんに守っているものを手放すことになります。最期の一括払いは厳しいですよ。
『もし、それが来なかったらどうするの?』この質問に対しては『それが来たらどうするの?』
とお返ししましょう。その質問をしているあなたには一切それは見えません。長谷さんの言う
ことが起こるまでに長谷さんの言う通りにやっていれば大丈夫です。もちろん、今ここでもで
きることですから、二一世紀が今のまま続くという理屈はあっていません。長谷さんの言うこ
とが起きたとき、今までのやり方をやっていたら、突然、永遠の死が来ます。今までのやり方      P215
は「この世がこのまま続く」という前提のゲームです。どっちをやっていれば絶対確実でしょ
うか? 長谷さんの方法をやっていれば、どっちが来ても(二一世紀が別世界に転換しても、
しなくても)大丈夫なのです。つまり、より大きい仕組み通りにやっている方が確実なのです。
手放したものは取り替えるだけです。最期は長谷さんも全部手放して取り替えます。というこ
とは「二一世紀が来るか来ないか」という議論は無用だということです。『自分は今ここでど
うするか?』を正直に実行すればよいだけのことです。

今回は終わった瞬間に天国になる永遠には続かない修行(苦労)のプロセス
 「全部分かっていたら」わざわざ悩みません。でも「分かっていたら」面白くありません。
マニュアル通りにファミコンゲームをやっているのと同じですから。だから、神様は自由意志
をくれたのです。あなたが神様の心の通りにやっていれば、分からなくても何の不都合もあり
ません。あなたの欲しいものは欲しい時に欲しいだけ来ますから。自分の予定通りに進みます
から、一つ一つ現れますから、見えない方が面白いのです。神様の通りにやっていないから心
配があるのです。次にどうなるかわからないのです。自分がどうなるか不安なのです。先が知
りたくなるのです。本当は、人生は面白いものなのです。苦しんで掃除する間だけ修行なので
す。やっただけ返せばよいのですから、修行は永遠には続きません。終わった瞬間から天国の
遊びです。これは、やればわかるし、やらねばわからん。食べた人だけが、修行を終えた人だ     P216
けが、やった人だけが楽しめる世界です。一人一人が独立して行ける天国です。人の邪魔も人
のお供も必要ありません。今回に関しては、人の邪魔をするとか、人を連れて行くとか、人に
ついていくとか、そういうことはできません。
 神様が全員にお供して、お互いが足らざる(もの/智慧)を満たし合って、人間と人間が嬉
し嬉しで修行するのです。これを協力といいます。一人一人が独立して心の掃除をすることが
お互いのためになるのです。修行の間でも全員がこのことを分かっていれば嬉し嬉しの世界
(現実)を体験できるのです。神様は喜びしか渡していません。苦しみをつくれば苦しみを厳
しくして喜びに導くのです。戦いたいならば戦いたい同士が戦うようにしてあるのです。あな
たが戦いをやめない限り、戦う現実が続きます。あなたが責任転嫁をしたいから、責任転嫁の
状況をくれるのです。『責任転嫁をしていると苦しくなるよ』と教えるためです。責任転嫁さ
れている方もあなたと一緒のゲームがしたいのですから、あなたと同じです。お互い自業自得
ですから、神様は勝手にやらせているのです。そのゲームがしたくないならば、ただやめれば
よいだけです。あなたが今までのゲームを続けるならば、『自分は正しい』と言いつづけなが
ら、あなたは何も知らずに永遠の死に旅立ちます。この本に書いてあるものはすべて、この世
(岩戸)の中の人間のために、長谷さんという人間を通して神☉がこの世の外の世界を語って
いるのですから、長谷さんのただの意見だと思ったらあなたが大火傷をします。長谷さんはど
う思われても別に構いません。                                          P217

『できるかどうか?』の答えは『やってみればわかる』ただ一つだけ
 実は、人生は「自分を使った人体実験」の繰り返しです。あなたがあなたの学んだことを実
行していく繰り返しです。今まで何度もうまくいったことがいかなかったり、その逆だったり、
どうにでもなれと死ぬ気になったらうまくいったり、人がみんな成功しているのに自分だけ駄
目だったり、人が駄目だということがうまくいったり、というように一切保証はありません。
自分がどうなるかは自分がやらなければ分からないように作ってあるのです。あなたに効果が
あるかどうかはあなたが使って初めてわかるのです。つまり、すべてが初めての実験なのです。
あなたは「これは安全」「これは危険」と勝手に分類して、それに従って行動しているだけで
す。それは絶対的普遍的(いつどこで誰がやっても同じ)安全ではないのです。あなたが今ま
でのデーターで安全だと思い込んでいるだけです。だから、結果はその通りにはならないで、
慌てるという体験をするのです。
 何が安全なのか危険なのかはやってみなければ分かりません。自分が「できるかどうか」
「これをして大丈夫か」という答えは、自分がやると決めて行動を起こせば、その結果は簡単
に分かるのです。『やってもいいんですか?』と聞いてもそれに答えを出せる人はあなた自身
しかいません。あなたがいいと思えばやればよいのです。あなたが何かを避けていればできま
せん。神様はすべてOKだと言っているのです。この質問するということは人に責任を転嫁し      P218
ている裏返しです。あなたがどうなっても文句を言わないで、ルール違反を清算する気がある
ならば、死がないとわかっているならば、その質問は要らない筈です。初めからその質問は出
ません。やればわかるのですから。必要ないのです。あなたは『この電車はどうやって乗るの
ですか?』『この機械はどうやって動かすのですか?』『この国の法律はどうなっています
か?』『やっていただけますか?』『させてもらっていいですか?』『何か情報を頂けますか?』
云々といったような、今のシステム、人間の作品のノウハウ、自分のリクエストに対する相手
の意志を聞くことができるだけなのです。

二一世紀の世界の基準は『うまくいくのが当たり前(=うまくいかないのがオカシイ)』
 人生というのは、毎瞬、毎瞬、「今ここでどうするか」を選択し、体験し続けるゲームです。
「今」を遊ぶゲームです。結果を想像していても判断していても考えていても何も始まりませ
ん。あなたのメグリ相応の結果を体験しますから、人の前例は使えません。ルール違反があれ
ば悪くなりますし、なければ悪くなりません。よく、良くなり続けると不安になって『こんな
にうまくいっていいのか?』『こんなに簡単でいいのか?』『こんなに暇でいいのか?』と言う
人が居ます。あなたはうまくいくことを、楽になることを望んでいたのではないですか? 一
度良くなれば、悪くなることはないのです。何かと比べて悪く成ると言っているだけです。今
までと比べてどうですか? 赤ちゃんと比べたら、犬猫と比べたらどうですか? 『サボルの       P219
はよくない』『よくなった後には必ず落ちるんだ』云々と教わってそれを握ってきたから、怖
いから判断を始めるのです。まずは、それを掃除して(選択するのをやめて)ください。そう
いうことを言う人間は神様のことを知らない人間なのです。『あなたがさぼる意志があるかど
うか』が問題なのです。悪くしたなら苦労して善くなっていくのは当然です。
 神様のやり方は「うまくいくのが当たり前」なのです。人が何と言うかはほっといてくださ
い。あなたにサボル意志がないならば『さぼっているに決まってるんだ』と勝手にその人が決
めつけて言っているだけですから失礼な話です。神様の世界は「うまくいって当たり前」の世
界なのです。うまくいかない方がオカシイのです。これが二一世紀の生き方の新しい基準です。
悪くなる方がオカシイのです。あなたがその質問をするということは、まだ神様を信じきって
いないということです。だから、今、その質問をしながら、葛藤という苦しみを体験している
(神様が渡している)のです。あなたが『いいんだ』と受け入れれば楽になります。今そこに
いても安全とは限りません。それをやったら危険だとは限りません。そこにいることがそれを
することが本当に楽なのですか? 苦労をさけたつもりで、シッカリと、したくない苦労(苦
業)をしているのを知っていますか? したいことをすることで苦労するならば、あなたは苦
労しただけ善くなっていきます。

「本当の神様☉」の意志が分かっている人は自分からは批判も助言もしない           P220
 『今ここで(その瞬間に)何をどうするか?』を毎瞬毎瞬決めて実行していけばよいだけで
す。「今」の瞬間を遊べばよいだけです。苦しい体験も楽しい体験も自分の選択に基づく結果
(ドラマ)です。人間というのは肉体を通して物質で遊ぶ(肉体で験める)ゲームです。特別
に何かを学ぶ必要はありません。知識を仕入れても使わなければ「知識を仕入れる」という遊
びをして苦しんでいるだけになります。「その場その場にある材料を使ってどう遊ぶか」が人
生なのです。人間の世界から神様の世界まで共通です。それが「人生というゲームの遊び方」
のノウハウの要点です。「そんなことはオカシイ」と言えば、堂々巡りの滅びの地獄道に戻り
ます。これが真実かどうかはあなたが決めてください。あなた自身が体験を通して確認してく
ださい。『あなたはどうしたいのですか?』文句を言う人のことなどを考えずに、グチを言う
人は無視して、結果を考えずに、罪悪感を取って、あなたが本当にしたいことをそれをそのま
ま行動してください。
 神様は全部許しています。OKです。本当の神様の意志が分かっている人は、文句は言いま
せんし、自分から追いかけて助言をすることもしません。あなたが聞きにくれば教えますが、
自分からは情報(考え方)の押し売りはしません。あなたが困っていても絶対に自分からは手
を出しません。あなたが体験から学ぶ機会を取ることになるからです。でも、あなたが自分自
身の意志で真剣に質問してくれば、全力を出して渡します。あなたが何か制限を握っていれば、    P221
動けません。文句を言う人を無視することに罪悪感があるのに、神様に反しているという罪悪
感はないのですか? 『人に心配をかけるからできない』といいますが、心配しているのは自
分自身のことであって、相手のことではありません。相手が『あなたのためだ』と言うのは、
実は、それを言った相手自身のためなのです。二一世紀には『心配する人間』はいません。あ
なたのしていることに口出しする人間もいません。そういう人間は一人たりとも二一世紀には
行けないのです。心配や口出しや支配や被害者や文句や裁きのゲームをやっている方、そうい
うものを語る方は、二一世紀云々の前に心の大掃除が必要です。

「文句を言うもの勝ち」の被害者ゲームの人間が大きな顔をする時代はもう終わり
 「その時になればできる」「誰かがやったらできる」ならば今ここでもできます。道具(人も
含めて)があるけど「無い」ものとして行動すれば、今この世界で天国の生き方がシュミレー
ションできて、同時に、二一世紀の生き方が身につくのです。あなたの外にまだ道具(長谷さ
んや神示や宗教や本等々)がある今ここから「もう道具がない」と仮定でやらなければ間に合
わないのです。あなたは今までも「仮定」や「宗教」に基づいて動いてきたのです。あなたが
「二一世紀」に残りたいならば、今ここで「本当の宗教」を実践していってください。「その
時」が来たら、自分だけですぐ動けるように準備をしておいてください。もう後はありません。
『後でやればいいさ』はあなたの本当のイノチ取りになります。『自分だけやってもいいのか       P222
な?』があるならば今ここでその罪悪感を取ってください。『自分だけ一人ミロクに行っても
いいのかな?』自分だけ勝手な人間に気を使うゲームは終わりです。「文句を言う人間」はど
うぞほっといてください。勝手にやらせておいてください。気を使う必要はありません。「文
句を言う」方々は真コトの人の邪魔をしないでください。もう「文句言うもの勝ち」の被害者
ゲームの人間が大きな顔をする時代は終わっています。「ケモノ」が支配できる世界は物質の
世界だけです。二一世紀は組成の変わる別世界です。『そんなことはあるわけない』というな
らば、勝手にどうぞ、あなたには天国はありません。
 あなたは本当にそのままでいいのですか? あなたは何を悩んでいるのですか? あなたが
それがしたくないことならば、ワザワザ悩むことはありません。魂のあなたには何の制限も強
制もありません。制限や強制をはめているその本人(あなたも含めて)が神の世に行けないだ
けです。二一世紀は死んで生きる仕組みです。あなたは、ワザワザ自分で自分のしたいことを
やめて勝手に悩んでいるだけです。自業自得のお芝居です。あなたはなぜ自分の心を疑うので
すか? 今体験していることが「神様を疑っている神芝居」の結果です。あなたは、今までの
やり方がどういう社会を創るか、どういう体験を創るか、ということは、もう、いやという程、
体験している筈です。二一世紀には「問題の種」は一切持ち越せません。「裁きの心」がある
人間は一人たりとも行けません。今の世の物質しか使えない人間は二一世紀の道具は使えませ
ん。二一世紀の道具では戦争ゲームや被害者ゲームはできません。問題解決や二一世紀のシス  P223
テムをアレコレと考える前に、まず自分自身の心の大掃除をしてください。あなたの「悪しき
心Φ」をキレイサッパリ全部掃除しなければ、あなたには二一世紀という時代はないのです。
あなたが心の掃除が終わっていれば、世紀末の大異変も何も関係ありません。世紀末が怖いな
らば、あなたは何よりも先に、自分自身の心の掃除が必要です。

あなたがすべてを手放せば「超能力」も「宗教」もいらなくなる
 あなたのΦの心があなたの地獄の現実を創りだしたのです。あなたが文句を言うところは自
分しかありません。人に文句を言うのはお門違いもいいところです。人に文句を言うことは、
システム(人間のつくったもの)に文句を言うことは、神様に文句を言うことです。あなたが
神様に文句を言う心をもっているならば、あなたは二一世紀には生き返れません。☉以外はす
べて最期に大掃除ですから、Φしていればあなたダケが自然消滅しますから、☉から見れば、
世には悪などありません。あなたにわかるように悪という表現を使っているだけです。☉から
見れば「地獄」は大掃除が終わるまでの一瞬のお遊びです。☉から始まって☉に戻るだけです。
この道理、分かりますか?
 本当のあなたは肉体そのものではありません。あなたという魂が肉体という服を着ているだ
けです。あなたは神様によって「生かされている」のです。あなたは自分の力では何一つ産み
出せません。神様の創った肉体で神様の使った道具を使って「合成」と「分解」ができるだけ      P224
です。モノの形を変えることは出来てもその元の資源や仕組みを創ることはできません「物
理学」や「科学」や「力学」というのは神様の創った仕組みを物質の世界で確めただけです。
「医学」というのは人間の目で見える「肉体」の研究成果です。人間が神様を知らないならば、
不完全な目で肉体を研究していることになります。肉体を作れない人間に病気の原因をつきと
めることも病気の治療も永遠にできません。「宗教」というのは肉体の視点から出ていない人
間が「神様」を見ようとしたときにできるゲームなのです。分裂した心では「本当の☉の世」
は見えません。「☉の世」が見えているならば、宗教も科学も必要ありません。議論している
ということは本当の二一世紀はまだ見えていません。

あなたの「心の曇り」が神様の真の姿☉を隠した犯人
 「発明」というのは誰かが創りだしたわけではなく、神様が作っている仕組みに気がついた
だけです。物質の形というのは、自然界というのは、神様の仕組みそのものの型示しです。そ
こに神様の意志、神様の計画が全部表現されています。あなたが偏った見方で自分勝手に見て
いる限りは見えません。雲に隠れて見えません。神様が隠した訳ではないのです。あなたの心
の曇りが神様の真の姿を隠しているだけです。あなたが一つでも批判や否定をしていれば、神
様の本当の意志は分かりません。あなたがどんなに神様の知識を知っていてもそれはただの知
識です。あなたの語る二一世紀はニセモノの空想夢物語です。あなたが一つでも疑問や批判を    P225
しているならば、あなたの正しさはマヤカシ、ウソです。神様を分かったつもり、正しいつも
り、です。自分が正しいことをしていると錯覚しています。一つでも曇りがあれば「全」は見
えていません。長谷さんの書いていることが分からないのはあなたの見方が偏っているからで
す。人間の視点(体主霊従)ですべてを見ているからです。岩戸の中の肉体の目、立場、視点
ですべてを見ているからです。あなたが肉体そのものならば、あなたが自分の力で生きている
ならば、「『知らないうちに(無意識に)』やっちゃった」なんていうセリフはオカシイことで
す。あなたはすべて「意識的に」できるからです。もしあなたが、すべて自分でやっていると
言うならば、それは「無責任」ということになります。あなたに分からないことがあるという
のもおかしいことですし、誰かと戦って批判して潰そうとするのも、人をコントロールすると
いうのも変です。

本当に「神様」が分かったら「お勉強」はいらなくなる
 あなたが自分の力で生きているならば、「死」や「病気」を恐れる必要はありませんし、「神
様」だの「宗教」だの「運」だの「ツキ」だの「奇跡」だの「偶然」だのと言う言葉や概念を
創りだす必要ありません。「占い」や「予言」や「予知」や「超能力」も必要ありません。な
ぜなら、あなたはすべて知っていて、あなたは何でもできるのですから。あなたはすべて自分
の意志でやっているのですから。それこそ「責任逃れ」できません。人の邪魔をしたり、被害      P226
者を演じたりする必要はありません。そういう発想すらもありません。法律も裁判もいらなく
なります。全部お互い自身の責任なのですから、責任という議論もありません。『したいけど
できない』という発言もあり得ません。「神様」というのは自分を生かすハタラキそのものだ
と分かりますから、神様にお祈りしたり、神様に頼ることはしません。それは「神様」を思い
出すまでのやり方です。「神様」を思い出したら、自分に正直に自分の選択通りにやることが
神様を信じることになりますから、神様と自分は一体化しますから、自分の責任ですべてを遊
べばよいだけですから「お勉強」はいりません。

この世でもあの世でも通用する「普遍的常識☉」を身に付けてください
 あなたが『生かされている』ことを認めて、自覚して、すべてを手放して、「神様」に生死
を任せて、今今今に素直に行動していれば、「宗教」も「病気」も「死」も「予言」も「超能
力」も何も関係なくなります。人を責める必要も無くなります。神や仏を恨むことも頼ること
も無くなります。騙されることも無くなります。自分の力で生きていないのに自分の思い通り
の自分の欲しい出来事が起きるということを体験します。それが新しい時代の体験であり、そ
れが「本当の天国」なのです。
 これはあなたが実際にやってみなければ分かりません。『本当にそんなことあるの?』とや       P227
っている限り絶対にできません。全くアベコベの選択なのですから。あなたに一つでも疑いの
心があるならば、まずはその心をぜんぶ掃除することが必要です。あなたが「そこ」にいると
「あそこ」にはいけません。この世だけで通用する(この世で身につけた)やり方ではあの世
には返れません。あの世でもこの世でも通用するやり方を身につける必要があります。それが
本当の「普遍的常識」です。長谷さんの本に書いてあることを参考にして、あなた自身で普遍
的常識を身に付けてください。知識だけでは駄目です。実行してノウハウとしてマスターして
ください。頭で分かった知識を実行してあなたの「身」に付けてください。「癖」にしてくだ
さい。今まで学んできた「普遍的常識」は「普遍的」ではありません。物質の世だけの「海
外」や「宇宙」で通用しても、「あの世」では通用しません。本当の国際化(界際化=現界と
霊界の際)というのは、人間の世界と神☉の世界を一つにすること(☉に帰ること)なのです。
あの世の姿が分からないならば、あなたの知識は人間だけ勝手な常識です。


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