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新しい時代の生き方についての要点 P61~P87

この本は「今までの本の新しい読み方」「今までの話の新しい聞き方」を書いたものです
 ある意味では、この本は、「今までの本の新しい読み方」「今までの話の新しい聞き方」「今
までの常識の新しい見方」を書いたものと言えるかもしれません。今までの本も今までの人の
話も今までの常識も、あなたが見方(視点/基準)を変えれば、別のものが見えてきます。
「温故知新」あなたが今まで接してきた本や話や常識、あなたが信じられなかったもの、あな
たが否定していたもの、今まで学んできた(体験してきた)ことをもう一度、全く別の視点で
見直せば、たくさんの真実が見えてきます。あなた自身でそういう再学習(自学自習/独習)
ができるようにするのが、この本の目的でもあるのです。ですから、今ここでは、今までのあ
なたの見方はちょっと棚にあげておいてください。この本を読みおえるまではちょっとしまっ
ておいてください。今までのあなたが遊んでいた人間の世界とは全く違う、今までの人間の常
識は全く通用しない、未だ誰も行ったことがない「全く新しい別の世界の常識」を学ぶつもり
で読んでください。今ここでこの「新しい常識」を学ばなければ、あなたが永遠に死んでしま
うと思って、真剣にやってください。                                         P62
 この「新しい世界」には、今までの人間のゲームの常識は、一切通用しません。あなたがど
んなに専門的に学んでいても、神様について知っていても、意味がありません。大人も子ども
も男も女も日本人も外国人も知識人も一般人も何も関係ありません。全員が「赤ちゃん」から
のスタートです。みんなが「幼稚園」からのスタートです。「新天地の常識」を「全くのゼロ」
から勉強し直すのです。そういう世界の常識を学ぶようなつもりで読んでください。今までの
知識や常識は学習の邪魔になります。二一世紀は人類全部がそういう世界に行くことになるの
ですから『俺は関係ない』と言えば、あなたは永遠に死ぬことになります。あなたがそれでよ
いなら長谷さんは別にそれで構いませんが、あなたが本当にやる気があるならば、どうぞ、も
う一度幼稚園生に戻って、「本当の本当に正しいこと」を学び直してください。今のあなたに
は、こういうふうに言った方が、この本の情報を受け入れやすいかもしれませんから、失礼な
がら、敢て言わせていただきました。

この本を一〇〇%実行しなければ、あなたは何も得るものはありません
 今のあなたが何と言おうとも、今のあなたにどう見えようとも、まずは『この本はそういう
ことが書いてある本なのだ』と「本心から信じる」ところからスタートしてください。そして、
「自分が信じたものを一〇〇%実行する」ことを心に決めて実行してください。そういう心が
ないとこの本が語る本当の真実はあなたには見えません。あなたの体験としてこの本の真実が    P63
分かれば、それがそのまま「二一世紀」の生き方を学んだことになります。『長谷さんの書い
たことはすべて真実(ホント)なのだ』と一〇〇%信用して読み進めてください。一%でも疑
うならば、あなたは一〇〇%疑っているのと同じことです。長谷さんの書いたことを始めから
疑って読んでいるならば、すべてが「ウソ」に見えてしまいますから、あなたにとっては、こ
の本を読む意味はなくなります。あなたの視点の転換は永遠に達成できなくなってしまいます
から、あなたの天国は永遠にありません。一〇〇%長谷さんを信じるならば、自動的に一〇〇
%今までの常識を手放したことになります。
 これは、この本をあなたのための有効な道具(材料/鏡)にするために、何よりも最も大切
なことです。今まではどうであれ、この本に関してだけは、「この本の中の情報が本当なのか
嘘なのか(正しいのか間違っているのか)」「長谷という人物は本物なのか偽者なのか」という
ような「分離思考(疑いの目/裁く心)」を持って読んでいる限りは、あなたがこの本から得
るものは何もありません。あなたが『この本から何かを得たい』『本当の真実(マコト)を知
りたい』と思っているのならば、今ここまでに書いたことを価値判断せず、すべてそのまま素
直に受け入れてから読み進めてください。あなたが『そんなことはできない』『そんなことは
無理だ』と言っても、長谷さんは、ここに書いてある通りのことを繰り返して言うだけのこと
です。長谷さんは、あなたが分かるまで、いつまでもオウムや九官鳥になって、同じことを復
唱します。長谷さんが「ニセモノ」だということを暴くために読むならばそれでも構いません。       P64
どうぞご自由におやりください。最後はあなた自身が「ニセモノ」(長谷さんが「ホンモノ」)
だということが証明されるでしょう。
 重ね重ね本当に本当にしつこくなりましたが、この本を読もうとしている(読んでいる)あ
なたに、長谷さんから以上のことをお伝えしておきます。この本を読み進めるにあたっては、
今まで書いたことを本当の本当にハラに据えて、アタマに置いて、シッカリと自覚して読んで
いってください。あなたが疑いの心を僅かでも持っているならば、あなたはこの本を「読んで
いない」ことになります。あなたが実際に行動しないならば、この本は実になりません。この
本をただ眺めていてもこの本に文句を言っても、何も得るものはありませんから、その積もり
でどうぞ。

あなたがこの本を読んでいるのは一〇〇%思い通りになっていないからです
 長谷さんがここまでしつこく言っても、『俺はそうは思わない』『長谷の勝手な思い込みだ』
『そんなことは出来るわけがない』『長谷は傲慢だ』云々とおっしゃる方もいらっしゃるでしょ
う。でも、前にもしつこく言いましたが、この本にある情報は、長谷さん自身が閃いたこと
(心から出たこと/仮設)を長谷さんが学んだことと比較しながら、長谷さんの日常生活での
「人体実験(実践)」を通して確認した成果ばかりです。つまり、一つ残らず、すべてのすべて
が長谷さん自身の「実践研究」を通して裏付けを取った上で公開している情報なのです。あな      P65
たが何と言おうと、この本に書いてあることはすべてのすべてが「真実」「マコト」ですから
改めて、念のため。
 実を言うと、あなたが今まで『正しい』と思っていたことも、長谷さんと同じ理屈で、あな
たが教わったことをあなたが試した結果、確かにその通りになったから『正しい』と確信して
いるだけのことです。でも、あなたが今この本を読んでいるということは、一〇〇%自分の想
い通りにはなっていない(自分の真実を疑っている/分からないことがある/確認したい)と
いうことです。ということは、あなたの教わってきたことは「天国をつくるやり方(すべての
疑問を解決する智慧)」ではないということです。『長谷のバケの皮を剥いでやれ』というのは、
結局は、あなたが間違っていることが明らかになるのを恐れているのです。あなたが長谷さん
を「自分にとっての危険人物」だと見ている(あなたの中に「安全と危険」が同居している)
ということです。長谷さんが邪魔者である、あなたにはまだ天国はないということです。つま
り、あなたこそ「ウソ」の見方をしているということですから、あなた自身が「自分のバケの
皮」を剥いでいることになります。長谷さんも、あなたも、両方とも正しいとしたら、さて、
どうしましょうか?長谷さんの言うことが、あなたから見て反対に見えるのは、信じられな
いというのは、長谷さんとあなたの「根本」にあるものが違うからです。「表と裏」ですから、
永遠に一致することはありません。あなたが長谷さんを批判しても、長谷さんはあなたを批判
しません。あなたはお好きにどうぞ、です。                                      P66
 長谷さんも、今のあなたと同じように、初めてこれらの情報に出会った時は、とても信じら
れませんでした。長谷さんは、初めは誰かを通してこの情報に出会いましたが、今回は、長谷
さん自身が確認した上であなたに初めてこれらの情報を渡す役に回った訳です。これらの情報
に出会う前の自分自身の体験を思い起こしていくと、自分の悩みや疑問を解決するためには、
もうこれを信じるしかありませんでした。そうは言っても、初めてのことですから、『そんな
ことあるのかなあ』『そんな馬鹿なことは~』『そんな夢みたいなことは~』『そんなことはで
きるわけがない』云々と思いながら、アレコレと抵抗していました。でも、どんなに疑っても、
結局、ここに戻ってきてしまいますし、どんなに否定しようとしても、どんなに反論しようと
しても、実行するのをやめようとしても、よけいに苦しくなるだけで、すべては無駄な抵抗だ
とわかりました。それからは、ハラを決めて、死んだ気になって、回りがどう言おうとも、今
までは非常識だ不合理だ気違いだと教えられてきたことであっても、自分がいいと思うことは
片っ端から、勇気を持ってどんどん実行していきました。そのプロセスでは、損すること、怪
我すること、一人になること、批判されること等々を何度も何度も体験していきましたが、そ
の状況を通過していく度に、今までのやり方が「間違っていた」(つまり新しく学んだやり方
のほうが「正しい」)ということを確信するような「証拠(現実/奇跡)」を体験していき、
『これこそが真実だ』と一〇〇%確信するに至ったというわけです。

この本の情報は長谷さん以外のすべての人に対しても通用するものです。           P67
 この情報に出会う前までの長谷さんが信じていたことというのは、長谷さんが生まれてこの
かた、今までの社会システム(常識)の中での「教育(しつけ)」を通して学んだものばかり
です。そして、他でもなく、あなたも、長谷さんと同じ「教育」を受けてきたのです。長谷さ
んとあなたは「教育」という同じシステムを使って教えられた、全世界共通の全く同じ「宗
教」に洗脳されている(いた)というわけです。ということは、長谷さんに成り立つことは、
あなたにも成り立つということです。言い換えれば、この本の中の情報というのは、長谷さん
以外のすべての人に対しても通用するものであることになります。さらに、外国の教育も、
形は違えども、結局は、同じ理屈、同じ常識、同じ仕組み、同じ基準に基づいたものですから
(根本は同じですから)、長谷さんの提案する情報というのは、世界共通に通用する智慧(ノウ
ハウ)であるとも言えるのです。
 この本に書いてある情報は、あなたが今までの「教育」で学んだものとは、全くアベコベ
(裏と表の関係)の情報です。今までの「ウソの目」で見たら、『信じられない』『許せない』
『認められない』情報ばかりです。今までの「教育」は、ある価値観だけを「正しい」として
強制(もう一方の反対概念を「間違い」として排除)していますから、その「正しさ」を保と
うという行動しかしませんから、ある枠の中だけでの体験しかできないようになっているので
す。『してはいけない』と学んだことはしません(したら怒られます)から、『してはいけない         P68
こと』をした人の体験は「間違い」として排除しますから、それをしたらどうなるかは体験で
きないのです。自分が体験していない現実以外のものが現れると『信じられない』『ウソだ』
『許せない』『認められない』となります。それは、あなた自身の体験が偏っている証拠です。
あなたの中に「ホント」と「ウソ」が同居していることになります。あなたは全体が見えてい
ないことになります。あなたは表(善)の世界しか見ていないことになります。「偏った目」
で見ている限り、全体(「全」=本当の善)は永遠に見えません。あなたは今までの教育を通
して、そういうふうに見えるように教えられてきたのですから当然のことです。でも、それを
言ってしまえば、元も子もありません。今までの教育(教師)を批判しても何も解決しません。
別の見方で教育というものを見直せばよいのです。

長谷さんは「教師」でも「教祖」でも「親分」でもありません
 あなたがそのままの目でこの本を読めば、今までの洗脳(トリック)は永遠に外れません。
永遠に長谷さんの視点にはなれません。長谷さんの言うことが一つでも「?」ならば、あなた
は長谷さんの言うことが何も分かっていないということです。あなたのその見方自体を変えな
ければ、真実は何も見えません。教育というのは言わば『教える側の持っている偏見(偏った
視点)を押し付ける宗教』なのです。「神様」とか「神様用語」を使う教育を「宗教」と言い、
「人間」とか「科学用語」を使う教育を「学校」と言っているだけのことで、やっていること          P69
は『一方の目だけから見た教育』なのです。つまり、「政教分離」も「学校教育の中立」も全
く意味のないお題目となります。全部を知らない教師(教祖)が教えることは「本当の真実」
ではないのは自明の理です。あなたが今まで何を学んだかは明らかです。今のままの教育制度
ならば、あなたがどんなに「高等教育」や「専門教育」を受けても、教育を受ければ受けるほ
ど真実から遠ざかっていくだけです。「疑問」が一つでも解決しなければ、あなたが学んだこ
とは「天国」は永遠に創れない方法(智慧)であるということです。勉強すればするほど「ア
ホ」になるということです。
 今のあなたから見れば、長谷さんも「ある見方を強制」しているように見えるかもしれませ
ん。でも、長谷さんの提案をすべて受け入れれば、あなたが自由になるのです。今までの教育
は、それを受け入れれば、あなたは不自由になっていくのです。長谷さんはあなたに対して提
案はしますが、強制はしません。あなたがこの本の情報をどうするかはあなたの自由です。長
谷さんはテストをしたり、やらないからと言って怒ったり、あなたを追いかけていったりはし
ません。あなたがあなたの今までの体験と比較して、自分の意思で選択して、自分の責任で実
行すればよいのです。あなたの選択があなたの現実として返ってくるだけです。長谷さんはあ
なたへの教材(鏡)を提供しているだけですから、それをどう料理するかはあなたの役目です。
長谷さんは「教師」でも「教祖」でも「親分」でもありません。長谷さんはあなたの人生を変
えるためのただの道具なのです。                                           P70
 この本の価値というのは、長谷さんがそうしたように、あなたが今まで学んだことをすべて
白紙にしてこの本を読めば(この本で学び直せば)、あなたにも長谷さんと同じ体験ができる
というところにあるのです。逆に言えば、これをまた今までの基準を持ち出して『そんなこと
は~』云々と始めれば、あなたは、いつまでも今のままだということです。長谷さんが何度同
じことを繰り返そうとも、あなたがこういうことを続けていれば、この本を読んでいる意味が
ありません。この本に書いてあることを、あなたがどう思おうと、どう感じようと、どう解釈
しようと、長谷さんにとってはすべて「真実」ですから、長谷さんは、この本に書いたことに
関してあなたと議論する気などさらさらありません。今までの見方から見れば、全てアベコベ
(裏表)ですから、たとえ議論したとしても、永遠に平行線のままです。議論するだけ「時間
の無駄」です。お互いの「信じているもの(見ているもの)」が裏と表ですから、絶対に一致
した結論は出ません。

この本の情報に関しては「ホントかウソか」の議論をしても全く意味がありません
 長谷さんの言うこととあなたの言うことが「どっちが正しいか」という議論に結論を求める
ならば、お互いに「自分が正しい」のですから、結論は初めから出ています。あなたにとって
はあなたが正しいし、長谷さんにとっては長谷さんが正しいのです。お互いに自分の正しいと
思う道を歩けばいいだけです。あなたが自分の道を歩くのに長谷さんが都合悪いと言うならば、    P71
あなたの正しさは誰かと比べた正しさです。長谷さんの正しさというのはあなたが何をしよう
と全く関係のない正しさなのです。あえて結論を出すならば、「お互いが違う見方をしているだ
け」「お互いに自分が正しいと思うことをすればよい」ということになります。これ以上あな
たが長谷さんに対して何かしようとするならば、後は、「自分が正しいことをいかに相手に認
めさせるか」というゲームになるだけのことです。それが今までの世の基本にある大きなメカ
ニズム(宗教)なのです。
 というわけで、この本の情報に関しては、「ホントかウソか」「正しいか間違っているか」と
いう議論をしても全く意味がありません。長谷さん自身は、この本の情報を全部「採用(選
択)」していますから、後は、あなた自身が「採用(選択)するかしないか」という、あなた
の側の二者択一、つまり、あなた自身の「個人的な問題」になります。あなたがお好きなよう
にご自由におやりください。あなたがどちらを選択しようと、長谷さんには何の影響もありま
せん。もちろん、どうしても議論したいという方は、長谷さんのいないところで、どうぞご勝
手におやりください。あなたがどんなに抵抗しようとも、最後は長谷さんのいうことを認めざ
るを得なくなりますが、どうぞ、長谷さんを無視してあなたの思うように自由に遊んでいてく
ださい。でも、それが何を意味するのか、がわかったら、あなたはもう二度と、議論というゲ
ームはできなくなります。

この本に書いてあることを今までの価値観を使って判断しても何の意味もありません     P72
 この本は、あなたが今まで学んできた常識(視点/知識)とは全くアベコベの、全く別の視
点から書いてあります。ということは、あなたがここに書いてあることを今まで学んできた価
値観を使って判断しても何の意味もないということです。あなたがここで一つでも価値判断を
入れれば、この本に書いてある「真実」は何も見えません。あなたの見方(眼鏡)をそのまま
にしておいてこの本を読んでも、あなたにとっては何も得るものはありません。まずは、今ま
で学んだことをすべて白紙に戻して、改めて初めから学ぶつもりで、この本に書いてあること
を素直に受け入れるということを実行してください。受け入れた上で、自分の体験と比較して、
どうするか決めてください。
 この本は、あなたがかけている今までの眼鏡を交換するための材料をあなたに提供していま
す。何でもかんでもアレコレと屁理屈をこねて価値判断をする。あなたのその見方自体を取り
替える(掃除する)ための本なのです。あなたの見方(癖)をそのままにしておいてこの本を
読んでも、その見方からみている限り、この本に書いてある「要点」は何もつかめません。で
すから、あなたがこの本から「真実」を知りたいならば、この本を読むにあたって、「今の自
分がどう思うか」ということは、ちょっとのあいだ脇に置いて、この本を読み終えるまでは、
この本に書いてあることに関して一切の価値判断を入れないことです。少なくとも、この本を
読んでいる間だけは、すべてを初めから学ぶ、全く何も知らない「子ども」になりきっていて        P73
ください。『すべてをゼロから学び直そう』という姿勢で取り組んでください。長谷さんは、
本当にしつこく何回も何回も言いますが、これが、この本を読むにあたっての最低条件なので
す。
 この本を読むにあたっては、今のあなたがどう思おうとも、『そんな馬鹿な』と思っても、
とにかく、ツベコベ言わずに、まずは、素直に『これから教わることはすべて本当のことだ』
と思い込むことから始めてください。読んでいる途中で、『そんなことは無理だ』『そんなこと
はおかしい』と思っても、嘘だと思っても、腹が立っても、ムカついても、拒否したくなって
も、文句を言いたくなっても、「長谷さんの間違い」を訂正したくなっても、長谷さんを殺し
たくなっても、今回に限っては、ちょっとの間だけ辛抱してもらって、最後の「◦」まで全部
読み切ってください。
 何かカチンとくることがあると辛抱できないで、すぐに感情的になって、人のせいにして、
苦情を言って、当たり散らして、屁理屈をこねて、自分の心地悪さから逃れようとするのがあ
なたの今までの癖です。それを続けていても、あなた自身が何をしているのかということは、
永遠に気がつきません。人の気持ちなど構わずに、「自分だけ勝手」な屁理屈でそれらをすぐ
に行動することが今までのあなたの癖ですから、今ここでまたそれを繰り返しては、今までと
何も変わりませんし、この本を読む意味がなくなります。とにかく、最後の最後までなんとか
辛抱して、今ここから、最後の最後の「◦」まで全部読み切ってみる。というゲームを実行し        P74
てください。あなたが長谷さんの書いてあることをどう思っていようと、とにかく最後まで読
んで、自分と全く反対の考え方を学ぶというのも、あなたにとって無駄なことではないはずで
す。長谷さんの心理を研究しても面白いかもしれませんよ。この情報は長谷さんしかあなたに
渡せないものです。今までやっていたように、途中で投げ出しては、最後の最後まで全部読ま
なければ、この本を読む意味がありませんから。

「籠の鳥」が「自由の鳥」に籠に入るように強制しているのが今の教育です
 「外にあるものをどうみるかという基準を何も学んでいない(基準ゼロ)の子ども」に価値
判断というゲームはありません。つまり、あなたがこの本を読んで、何らかの反応をしている
ということは、あなたは、まだ、「今までの常識」という基準を握っている「大人」のままだ
ということです。「偏見」という眼鏡をかけている「真実が見えない身体障害者」です。「ウ
ソ」の世界を「ホント」だと思い込んでいる「大アホ」です。あなたが「子ども」になりきら
なければ「ホント」の世界は絶対に見えません。「偏見の世界の大人」を演じている限り、あ
なたには「子ども」の世界は見えません。「大人」というのは制限の世界を生きる「籠の鳥」
なのです。「籠の鳥」が「自由の鳥」に籠に入るように強制しているのが「教育」なのです。
それに気づいて、籠から出る方法を教えている方々もいらっしゃいますが、籠を大きくしてい
るだけですから、完全に籠から出ることは出来ません。「鳥籠」にいることは変わりません。        P75
「鳥籠」にも大きい鳥籠と小さい鳥籠があります。鳥籠からでるというのは「籠(枠/制限)」
を全部壊すということです。籠の中にいる限りは、お互いがぶつかって喧嘩が繰り返されるだ
けです。邪魔者を排除しても、その邪魔者は同じ籠の中ですから、あなたには本当の自由はあ
りません。籠の外は無限の自由の世界です。誰も邪魔せず邪魔されず、みんなが自由に遊べる
世界です。鳥籠とは心の制限のことです。心を一〇〇%自由にしない限り、一〇〇%の自由は
ありません。実行するのが難しいといっていれば、籠の中です。誰にでも分かる簡単な道理で
す。後は、あなたが、これを実行すればよいだけのことです。
 『そんなことはできるわけがない』と言えば、永遠に籠の鳥です。『俺はそんなことはできな
い』云々と言うのは勝手ですが、あなたが「赤ん坊」になりきらなければ、この本の「要点」
(真意)は永遠につかめません。それがどういうことを意味するのか分からないという方は、
この本を腰を据えてじっくりと隅から隅まで読んで、どうぞしっかりと学んでください。自由
な赤ん坊を大人の籠の中に入れるのが教育です。学校だけではなく、この社会そのものが「籠
の中」です。鳥を籠に入れる宗教を完全に外さなければ、籠の中のシステムをいくらいじくっ
ても、ますます籠を小さくするだけです。籠の中で全員がうまくやろう(ぶつからないように
しよう)とすれば、一人一人のテリトリーを狭くしていくしかありません。一人一人の行動を
制限していくことになります。
 籠の中の支配者になっても鳥籠の中ですから、その鳥籠を潰して仕舞えば、支配者を含めて      P76
全員が死んでしまいます。鳥籠の外は、全く別の仕組みです。鳥籠の中でしてきた「悪事」を
全部清算しなければ、あなたは鳥籠の外には出られません。鳥籠の外の生き方をマスターして
いなければ、あなたは鳥籠の中から出られないのです。二一世紀という時代は鳥籠が全部なく
なる世界です。鳥籠のまま二一世紀に行けるというのは、今までの見方が創りだす幻想です。
全員が自由になるには遊び場を無限にしなければなりません。それは人間にはできないことで
す。遊び場を交換することは神様に任せて、あなたは自分の心を自由にしていく修行をしてく
ださい。籠の中の制度をいじくっても籠の外のシステムはできません。完全に(一〇〇%)自
由になることが必要なのです。


この本はどんなに重症の「心体」障害者でも直せる特効薬です。
 新しい時代(籠の外)は前人未踏の別世界です。今までの世界(歴史)は籠の中の遊びです。
籠の中から見ても絶対に見えません。長谷さんは籠の外にいる神様から籠の外のことをそのま
ま伝える役目を持って生まれてきた「小鳥」です。籠の中の鳥が表(籠の中から見れば裏)に
出るための援助をするのが長谷さんの係活動なのです。あなたが新しい時代に行くためには籠
の中のやり方から完全に飛び出すことが必要です。新しい時代は心の世界ですから、心が自由
でなければ、本当の自由はありません。実は、心(考え/夢)を壊すことが本当の破壊、イジ
メです。心の世界を制限したことが今の社会の混乱の初めなのです。『お互いの心を自由にす    P77
ること(一切批判しない/文句を言わない)』これが社会の混乱、イジメ、破壊を解決するた
めの「要点」です。知っただけでは駄目です。これを実行することで、始めて、二一世紀(天
国)への道がスタートするのです。長谷さんの本は、長谷さんの心(考え)を形にしたもので
す。長谷さんの書いていることを否定したら、他の誰でもない、あなた自身が自由になれない
(籠の中に止まる)ということです。つまり、ここに書いたことは、長谷さんの本のすべての
情報、この文章そのものにも当てはまることなのです。
 長谷さんが、口(ワープロ)をすっぱくして、ここまでしつこく言っても、あなたが『どう
しても価値判断というゲームを続けたい』と言うならば、それはそれで長谷さんは一向に構い
ません。長谷さんはここに書いてあることを全部実行して「確認済」ですから、あなたがどう
しようと何の影響もありませんので、悪しからず。あなたのためにあえて言いますが、それを
するのはこの本を読み終えた後にした方が賢明です。でも、たぶん、この本を読んだ後で価値
判断をしようとしても、その時には、もう、あなたには価値判断というゲームは出来なくなっ
ていることでしょう。長谷さんから言わせてもらえれば、『できるものならやってみろ』という
ところです。ムカッとしましたか?横暴だと思いましたか?鼻高に見えましたか?ここ
で長谷さんの表現にいちいちカチンと来ているようでは、この先はとても読めません。最後ま
で読めば、それをすることが何を意味するのか、あなたにもきっとわかることでしょう。わか
らないというならば、あなたは相当の重症です。この本はどんなに重症の「心体」障害者でも      P78
直せる特効薬です。後で詳しく書きますが、今までの目で価値判断をするということは『自ら
の無智(真実を知らないこと)を白状する』ことになるのです。
 あなたが本当にこのことが分かったならば、今度は、この本にある基準を使って、今までの
「常識」や今までの「価値観」、今までの自分がしてきたこと等々を判断している自分に気づく
かもしれません。そして、今まで自分がしてきたこと、今までの常識にしがみついていること、
表面上の形で価値判断すること、アレコレと操作(コントロール)することこそが、自分自身
にとって「最も危険なこと」であり「本当の違法行為」であることに気づいて、愕然とするこ
とでしょう。

あなたに見えているものは「今までの視点から見て」という条件付きの景色(現実)です
 なぜ、何度も何度も表現を変えて、こうもしつこく、このようなことをわざわざ書いたのか
というと、この本に書いてあることを「今まで学んだ常識(基準)」を持ち出してアレコレと
価値判断を始めたり、頭から否定したり、感情的に反応したりしているならば、この本は、あ
なたにとって「ただの紙切れ」の集まりになってしまうからです。たくさんの文字が書いてあ
っても、白紙のノートを眺めているのと同じことになってしまうからです。
 この本の中には、今この本を読んでいるあなたの目から見たら「今まで学んでこなかったこ
と」や「今までありえないとされていたこと」や「今までは良くないとされていたこと」や           P79
「今まではウソだと教えられたこと」や「いちいち腹の立つこと」や「傷ついたりムカついた
りするようなこと」や「恐ろしく見えること」が、遠慮なく、ハッキリとズバリと書いてあり
ます。今までと全く違う視点から書いてあるのですから、これは当然のことです。あえて何度
も言いますが、あなたが、この本を心の底から本当に自分の人生に役立てたいならば、今まで
はどう教わってきたかは知りませんが、まずは、素直に『そうだったのか』と受け入れること
から始めてください。『今までと反対のことが書いてあるからウソだ』と言えば、永遠に『反
対が真実だ』とは気づきません。あなたは何も知らないまま、本当の本当に死んでしまうこと
になります。あなたが最も恐れていることが本当の本当に現実になってしまいます。本当に取
り返しがつかないことになってしまいます。
 この本は、あなたの今までの生き方(見方/心のあり方/態度)に応じてどうにでも変わっ
て映ります。恐ろしく見えたり、楽しく見えたり、ムカついたり、ワクワクしたりします。イ
ライラしたり、涙が出てきたりします。読み返すたびに、違って見えてきます。読み返すたび
に、別のところが気になります。前に分からなかったことが分かったり、前に読んだ時とは別
の意味が見えてくることもあります。あなたの「間違い」「取り違い」がだんだんとハッキリ
と見えてきます。
 あなたが今見ているものは、あなたに見えているものは、すべて、あなたの「今までの視点
から見て」という条件付の景色(現実)です。あなたの外側には決まった意味を持つものは       P80
一つとしてありません。すべて、あなたが、あなたの基準で勝手に意味をつけている(決めて
いる)だけです。つまり、すべて、あなたが決めたように見えているのです。あなたがその景
色を創っているのと同じです。あなたがあなたの外側を批判すれば、あなた自身が批判する眼
鏡をかけていることになります。あなたの外側の人間は自分のやっていることを「正しい」と
思っているのですから、あなたとその人の見方が反対だというだけです。「どっちが正しいか」
は×、相手は○と意味付けしているだけのことです。×でも○でもあるならば、その出来事、
言動自体には何の意味もありません。

この本に対する評価は読む人の生き方(心のあり方)によって違います
 この本に対する評価は、この本を読む人のこれまでの生き方(心のあり方)によって違って
きます。つまり、「この本がどう見えるか」ということは、一人一人皆違うということです。
長谷さんが言いたいことは一つだけです。長谷さんはこの本に全部賛成です。長谷さんはこの
本の情報を全部分かっています。長谷さんは全部確認しています。でも、あなたはアレコレと
反応しています。あなたの現実というのは、すべて、あなたの眼鏡を通して見た、あなたが創
りだしている「あなただけの」「あなた独自の」映像なのです。あなたが外を批判するという
ことは、自分が「批判する眼鏡」を持っていることをあなた自身でわざわざバラしているとい      P81
うことになります。あなた自身の見ている映像(つまり、あなたの心に見えるもの)を批判し
ているということです。自分が自分を批判しているのと同じです。心の世界は籠の外の神様の
世界です。自分の外を批判するということは、自分の心、自分の魂を産んだ元の親、つまり、
神様を批判しているのと同じことなのです。
 あなたの評価、反応、現実はあなただけのものなのです。他人も自分と同じように見えてい
るのだ(自分の見ているものが絶対だ)とは決して思わないでください。この本を読むにあた
って、このことだけは、しっかりと心に止めておいてください。長谷さんのいうことは絶対で
すが、「みんなが違うものを見ている」ということが絶対だということですから、長谷さんが
正しいということはこの見方が正しいということです。つまり、長谷さんを信じるというのは
『みんな違うのだ』ということを認めることになります。つまり、自分も含めて、誰も批判で
きない(誰にも文句は言えない/何も否定できない)ということになります。これを実行すれ
ば全員が自由になるのです。『誰にも文句を言わない(自分の選択したことに責任をもつ)』と
いうルールを守れば、すべての法律(戒律)を外しても、混乱はありません。これが神様の世
のただ一つのルールです。神様の世に行くための掃除のルールです。神様の世ではこれが当た
り前(このルールを守る人間しか行けない世界)ですから、このルールは必要なくなります。
神様の世になるまでの仮のルールです。
 どうですか?長谷さんの言うことがわかりましたか?この先も読み進める心構えはでき        P82
ましたか?ここまで読んでもまだ『そんなこと言ったって』云々とあなたの心の中で始まっ
ているならば、まずは、そのゲームをやめる意志を固めてからこの先を読み進めてください。

二一世紀になれば消え去る「骨董品」を集めていても、二一世紀には持っていけません
 あなた今までのゲームのままでは、「二一世紀」という時代はありません。実をいうと、
あなたが今まで遊んできた常識(知識/観念/価値基準)、今までの癖(価値判断/言い訳/
責任転嫁/損得勘定/裁く心/疑う心/戦う心/競争/議論等々)を持ったままでは、「二一
世紀」に生き残るどころか、今世紀末を生き残れるかどうかすら、危ういところにいるのです。
今まで学んできたことを「きれいサッパリ(一〇〇%)」入れ替えることが、あなたが、「二一
世紀に生き残るための条件(ミロクへの/新しい時代への/永遠の天国へのパスポート)」で
す。この本で書いていることを全部受け入れる姿勢(「素直な心」「ウブ(初/産)な心」「無
垢な心」「赤ん坊の心」)があなたになければ、残念ながら、あなたには「二一世紀」という時
代はありません。あなたがこれを『ウソだ』と言えば、ここに書いてある通りになります。こ
の本はあなたにとってはただの「ゴミ」となります。二一世紀になれば消え去る「骨董品」を
集めていても、二一世紀には持っていけません。
 「二一世紀」というのは、全く新しい仕組み、全く新しい組成の道具(モノ)で創られてい
る別世界であり、今までの常識や価値判断は一切通用しない世です。「創られている」という      P83
ところがキーポイントです。「世界をあなたが創る(変える)」のではなく、「創ってある世界
にあなたが移動する」のです。「新しい世」は、今までの組成の物質の世ではありません。初
めから「戦い(争い)」も「疑い」も「問題」も「犯罪」も「病気」も「事故」も「悪」も
「闇」も全く無い、今の人間が言う「トラブル」や「地獄」など何処を探しても無い、本当の
天国の世なのです。そういうことをしている人間は「初めから入れない世」なのです。二一世
紀というのは新しい時代のスタートであり、二一世紀に生き返りさえすれば、その先は、永遠
に続く「天国」となるのです。二一世紀に生き返れさえすれば、あなたには永遠のイノチが手
に入るのです。今のあなたから見ればとてもとても恐ろしいように感じますが、今ここでの大
掃除の地獄の苦労など天国からみればチョンです。永遠のイノチを得られるとすれば、そんな
ものは毛の先ほどの苦労です。あなたが大掃除の苦労を避けようとしているようでは、天国に
生き返ろうなど、おこがましいことなのです。
 二一世紀というのは、今まで学んだ「知識」や今まで手に入れた「モノ(カネ)」や「物質
の上での財産」や「地位」や「名誉」や「勲章」や今まで信心してきた「宗教」は何の役にも
立たないどころか、物質の世のゲームで手に入れたすべてのすべて、あなたが借りている「肉
体」すら持ってはいけない世なのです。実は、「肉体」を「自分のものだ」と思っている(「肉
体が先」「肉体が心を創る」と思っている)ことが最大の取り違い、二一世紀の真実の姿を、
真の正神を見えなくする(曇らせる)素なのです。あなたが持っていけるのは掃除が終わった         P84
魂の体験だけです。

「本当の死」というのは今までの宗教がいう「魂」が消え去ることです
 あなたが、今ここで価値判断を持ち出せば、二一世紀の本当の姿を知らないまま、あなたは
死んでしまうことになります。あなたが今まで学んできた「死」という概念は、「肉体が自分
である」という見方(宗教)が創り出す「幻想」です。「本当の死」というのは、今までの宗
教が言う「魂」が消え去ることです。魂が消え去れば、あなたが今まで三〇〇〇年間蓄積して
きた体験という財産を全部捨てることになります。あなたが今ここできちんと今までしてきた
ことを清算して魂を磨けば、あなたの今までの体験をすべて持って、二一世紀という世で天国
を謳歌できるのです。今ここで、今まで学んだ基準を持ち出してツベコベと屁理屈をこねるこ
とは、あなたを滅ぼす(自分自身を殺す)ことになるだけです。逆に言えば、この本で書いて
いることすべて素直に受け入れさえすれば、そして、素直にすべて一〇〇%行動しさえすれ
ば、今世紀末に何が起きようとも、物質の次元でどんなに恐ろしく見える地獄が来ようとも、
あなたが「肉体上で」どんなに酷い体験をしようとも、あなたという魂には素晴らしい二一世
紀(=永遠の天国)が待っているのです。
 これは、気違いの戯言ではありません。騙しでも脅しでも夢物語でも何でもありません。
すべて「本当のこと」です。長谷さんがあなたにウソをついてもメリットはどこにもありませ        P85
ん。それどころか、長谷さん自身がこのことを知っているのにそれを伝えない方が、あなたに
ウソをつくことになってしまいます。長谷さんが知っていることを隠したり、ウソを教えたり
すれば、長谷さんに天国が無くなってしまいますから、そんなことはしません。長谷さんに関
しては、長谷さんが楽をして逃げようとしても神様は許しません。長谷さんがこのことを伝え
るためのお役目だから、長谷さんがどんなに苦しもうとも長谷さん自身が掃除を完了して、他
の人たちに教えるだけの訓練が終わるまで長谷さんを逃がさないのです。長谷さんは楽したく
ても笑って遊びたくてもできないという状況の中で厳しい修行を積んだ上でこの本を書いてい
るのです。自らが自らの大掃除を体験していない魂にはこの仕事はできないのです。長谷さん
は日常生活の中で掃除をするノウハウを伝えるための人間ですから、「普通の人」の中で修行
をしてあなたの前に現れたということです。今までの世の常識の視点から言えば、長谷さんが
このことを公開する方が、長谷さんにとっては「危険な」「不都合な」「メリットはない」大き
な大きな冒険(リスク)なのです。

あなたの人生を続けるか終わらせるかはこれからのあなたの態度次第です
 長谷さんは自分が体験したこと、自分が学んだことを一つ残らず、全部、正直に、公開して
います。あなたが知らないことを長谷さんが知っているのはどういうことか、あなたがウソだ
ということをホントだというのはどういうことなのか、あなたが否定することがどうして目の       P86
前に存在するのか、よくよく考えてみてください。あなたが反論できると言うならば、遠慮は
いりませんからどうぞ思う存分してみてください。長谷さんは喜んであなたのお相手をさせて
いただきます。
 あなたが二一世紀に生き残るかどうかは、たとえあなた以外のすべての人間が『そんなこと
はウソだ』と言っても、あなたがたった一人になっても信じられるかどうか、にかかっていま
す。あなたの人生を続けるか終わらせるかは、これからのあなた自身の態度次第だ、というこ
とをしっかりとハラに据えて、肝に命じて、この本を読み進めて下さい。
 『本当にいいのかな?』はいりません。あなたは「気違い」でも「変人」でも「異常」でも
ありません。あなたの体験している現実はすべて真実です。あなたは、「間違って」はいません。
今までの見方からすると「間違い」に見えるだけです。「二一世紀」から見たら、今までの見
方のほうが「間違い」になります。今までの見方で生きている人間が「気違い」です。なぜな
ら、「死ぬ」ことを避けている人間が「自分が永遠に死んでしまう生き方」を続けているので
すから。
 あなたが一人になることは絶対にありませんからどうぞ安心して新しい生き方を実践してい
ってください。少なくとも、あなたの強い味方として長谷さんという人間(前例)がいるとい
うこと、そして、長谷さんの本を読んでいる人が一万人単位でいるということ、さらに、長谷
さんのセミナーやカウンセリングにたくさんの人たちが参加しているということ(そしてその        P87
バックには何倍もの人がいること)を今ここでお伝えしておきます。あなた一人ではありませ
んからご心配なく。
 今ここまでに書いたことは、言わば、この本の要旨(エッセンス)です。これからは、少し
ずつ肉付けをしながら、同じようなことを繰り返し書いていきますが、決して『同じことが書
いてある』という見方で見ないでください。そして、この本の構成の仕方や表現の仕方も今ま
でとは違いますからその積もりで取り組んでください。これらのことは、あなたの癖を完全に
外すために必要なことですから、少々しつこくても違和感があっても辛抱して最後まで読み進
めてください。

 誠に勝手ながら、ここからは、あなたが今まで学んだことはキレイサッパリ忘れて『二一世
紀は全く別の新しい価値観が必要な時代なのだ』とあなたが素直に受け入れて、ここまでに書
いたことをあなたがすべて納得、了解しているということを前提にして、これからのすべての
話を進めていくことにします。準備はよろしいですか?それでは、本当の本題に移ります。


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