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(2)二一世紀は何の問題もない一〇〇%の永遠の天国のスタートです P103
●「新しい世」は、初めから「統合された世界」
あなたが今、「地獄」や「悪」を見ている(議論している)ならば、あなたが「地獄」とか
「悪」とか、そういう思考(想念/イメージ)を持っているという証拠です。あなたが「地獄」
とか「悪」を想像したり、あなたに「?」や「×」があるということは、あなたは本当のこと
は何も知らないという証拠なんです。「善(悪)」や「天国(地獄)」が自分の外にあるという
ならば、あなたの外の意見や行動や出来事に「賛成(反対)」を言うならば、あなたの心が二
つに分裂しているということです。あなたの心は「相反する二つの目」を持っているというこ
とです。そして、その目を自分に都合がいいように、その場その場で使い分けているだけです。
あなたは「すべて」を見ていない(心に曇りがある)ということなんですが、この点について
は、いかがでしょうか?
「新しい世」はすべてが一つ、分裂など、どこにもない「統合された世界」です。天国だけ、
自由だけ、愛だけ、喜び「だけしか」存在しない世界なんです。「だけ」って言うのは「それ
しかない」のですから、天国とか、自由とか、愛とか、喜びとか、そのイメージすら想像しな
いということです。あなたは『自分自身が今ここにいる』ということについてわざわざ議論し P104
ますか?そんなことは当たり前ですか?議論の余地はないですか?あなたが『悪だ善だ
賛成だ反対だ許せない認めない』云々と言えるのは『自分自身が今ここにいる』証拠です。
「当たり前」のことや「暗黙の了解」があることをわざわざ議論しませんよね。それが「当た
り前」ということなんです。
●「二つに分裂した心」では「統合された世界」には行けない
「新しい世」には議論など何処にも存在しません。地獄も不自由も疑問も宗教も無い世界で
すから当然のことです。天国とは何か?自由とは何か?真実とは何か?神様とは何か?
なんて「命題」もしないんです。逆に言えば、そういう「問いかけ」(「疑問」)があるという
ことは、今の世界は「天国」ではない(「地獄」だ)ということです。トラブルがあるという
ことは、相反する分裂した思考が形になっている世界だということです。「心が二つに分裂し
ている人間」は、統合している世界(「二一世紀」)には行けません。『どっちが・・・・・・』とやっ
ている限り、あなたは「二一世紀」には行けないということです、「天国」はもう永遠にない
ということです。
あなたの外に天国を探せば探すほど、天国は見えなくなります。外の悪を潰して天国を創れ
ると思っているならば、やればやるほど、ますます地獄を進めていくだけです。「一つ」の世
界には「二つ」の心を持っては行けません。これは何の勉強をせずとも、子供でも分かる簡単 P105
な道理です。大学院まで行ってもこんな簡単な道理が分からなくなるほど、今のあなたは天国
から離れているんです。『そんなことは・・・・・・』『でも・・・・・・』というセリフが何を意味しているか
分かりましたか?
●『悪が有るか無いか』の議論は「悪が有る世界」だけのゲーム
「新しい世」に生きている人間には「地獄」という概念(イメージ)とそれに関連するすべ
ての概念(「苦」「悪」「戦い」「裁き」「批判」「病気」「怪我」「犯罪」等々)は一切ありません。
「天国だけ」ですから、そういうものは全く見えない(考えもしない/イメージにも出てこな
い)んです。そういうものは初めから無いのですから当然のことですよね。今の世の元の元の元
は天国だったんですが、人間が「地獄の素」を創ってしまった結果今の世ができたという訳で
す。
元々無いものを創ったのですから、元からそういうものが無い世には、初めから「無い」の
です。「有る」か「無い」かという議論は、そういうものが「有る」世界でしか成り立ちませ
ん。「有る」のが当たり前だと思い込んでいれば、元々は「無い」ものなんだということには
永遠に気づきません。「『無い』のが当たり前なんだ」と言わなければ、「『有る』のがオカシ
イ」ということには気づきません。まずはこのことを知らなければ『「有る」か「無い」かと
いう議論をしていること自体がオカシイことだ』なんていうことはどう逆立ちしても気づきま P106
せん。
「無い」ものは初めから見えません。『有るか無いか』を議論できるのは、「有る世」だとい
うことです。「無い世」と「有る世」は裏表ですから、「有る世」が当たり前だと思い込んでい
る人間には、「無い世」は絶対に見えません。ところが、『そんなものは無い』と言えるのは、
「そんなもの」が「有る」からなんです。「有る」から「無い」と否定できるのです。「そんな
もの」とは一体なんでしょうか?この問いに答えが出るということは、「地獄が有る世」に
も「天国の種は有る」のだということです。つまり、今の世というのは、相反するものが存在
する、両方とも認識できる、二つに分かれた「相対二元」の世界(地獄)だということです。
各人がどちらか片方だけを実現して「正しい」と思い込んでいるから争いになるんです。「無
い」と言っているものは「存在する」んです。「無い」ということがどういうことを意味する
のか、分かりましたか?
● 自分の外側にある「悪」は自分自身の「心」の映し
「二一世紀」になったら、「天国か地獄か」というような議論をしているようなあなたのお相
手は誰もできません。そんなことは絶対に不可能なんです。なぜならば、『天国か地獄か』と
いう「分裂の心」(二つに分けて見る目、「分かつ知」)を持っているあなたは「天国だけ」の
世界には初めから「いない」からです。「天国」には「分かつ知」を持つ人間はキレイサッパ P107
リいなくなるからです。今の世を「天国の目」で見れば、「地獄のゲーム」はただの映画に過
ぎません。
あなたが「善悪、苦楽に分けて見る心(○●二つに分ける目/善悪の悪を裁く心)」を持っ
ているから、あなたの外に「悪」や「苦」が見えるんです。あなたが「悪」を持っているから、
「悪」に類するイメージが創れるんです。あなたが「悪」の目で外を見るから「悪」が見える
んです。外に「悪」があると思い込んでいるから「悪」が外にあるように見えるんです。『外
に「悪」があるから「悪」が見えるんだ』と言うならば、あなたにはこの道理は絶対に理解で
きません。あなたと長谷さんの言うことは裏表、どっちか一つのアベコベの視点ですから、永
遠の平行線です。
あなたの回りには一つとして「悪」はありません。内(心)に(善悪)が同居しているあな
たの現実にだけ「悪の映像」が存在しているだけです。あなたが長谷さんの言うことを認めな
ければ、あなたは永遠に地獄にい続けて、最後は何も知らないまま、永遠の死を迎えることに
なります。
あなたの回りはあなたの心の鏡です。『悪が外にあるから悪が見える』ともいえますが、『自
分の心に悪を持っているから悪が自分の外に見える』とも言えますね。あなたがどっちのゲー
ムを選ぶかによって、全くアベコベの現実を体験します。今までは『外に悪がある』と思い
込んでいたから、外の悪を裁いて、外の悪を潰して、天国が創れると思い込んでいたんです。 P108
その結果が、地獄の地獄の問題ばかりの今の世です。あなたが裁いている悪は、あなたの心に
あるんです。
何と言おうとあなたの勝手ですが、何で長谷さんがあなたと違う見方をしていて、こうもハ
ッキリと自信を持って言えるのか、お分かりですか?答えは後ほど。
● 「議論」をしている世界は本当の(一〇〇%の)天国ではない
あなたの外に「悪」が見えるのは、あなたの内に「悪」があるからです。あなたがこれを認
めない限りは、あなたは今世をもって最後の人生となります。長谷さんの本を読んでも意味が
ありません。さて、あなたはどうしますか?まだ、『外に悪がある』と言い続けますか?
あなたが「天国」を見る気がないなら、今の世界で手に入れたもの(今の世界で教わったも
の)にこだわっているなら、今のあなたには、どう逆立ちしても「一〇〇%の天国」は見えま
せん。「一〇〇%の天国」が見えているならば、あなたは議論や反論はしませんし、疑問や不
思議や疑いなど一切ありません。一〇〇%分かっているのですから、議論や疑問など全くない
のは当然ですね。逆に言えば、あなたがほんの僅かでも議論をしているなら、疑問があるなら、
あなたは一〇〇%の天国ではありません。今あなたは何も分かっていないことを白状している
んですが、いかがでしょうか?
あなたに一〇〇%の天国が見えているならば、長谷さんの書いていることに一切、文句はな P109
いはずです。あなたが本当に全部分かっているならば、長谷さんの本を批判したり、疑ったり、
『長谷のバケの皮を剥いでやろう』なんて思っているのはオカシイことですね。あなたに『何
の問題もない』ならば、あなたは何で長谷さんの本を読んでいるんですか?問題があるから
ですよね。
あなたの外には「悪」も「ウソ」もありません。長谷さんの本はあなたの心を映す鏡です。
長谷さんはこの本を一〇〇%分かっていますから(当然ですね)、あなたが長谷さんを「悪」
だと言っているのは、一体どういうことでしょうか?長谷さんは「○」だと言っていること
を、あなたが「×(●)」だと言っているのは、一体どういうことでしょうか?長谷さんのこ
とを『気違いだ』『間違っている』『認めない』『許せない』云々と言うのはあなたの勝手です
が、『長谷さんの見方もあなたの見方もある』ということは動かない真実です。あなたは『両
方の見方がある』ということは認めますね。後は、あなたがどっちの見方を選択するかという
問題になります。
● 「二一世紀」には問題解決ゲームは初めからいらない
一〇〇%の天国には、議論も疑問も対立も一〇〇%ありません。裏を返せば、議論している、
地獄を語る、人を批判する、人に反論する、人や自分を疑う、人と戦う等々のゲームをやって
いるということは、今のあなたの語る「天国」は一〇〇%の天国ではないという証です。あな P110
たは「天国と地獄」を創った上で、その天国を見て「天国」だと思っているんです。あなたは
「地獄」を見ないフリをして、自分に都合のよい「天国」だけを見て、その天国に向かおうと
しています。「地獄」を見ないフリをしているということは、「地獄」を見ているのと同じこと
です。
そのウソ(条件付き)の天国を本当の天国(ミロク)だと思い込んでいるから、「『二一世
紀』になっても少しは問題や病気や法律がある」なんて言い出すことになるんです。あなたが
『問題や地獄がある』『二一世紀になれば問題が解決できる』『二一世紀になれば病気を直せる』
と言っているならば、あなたは『二一世紀にも問題がある』という宗教に基づいて生きている
ことになりますから、あなたの言う「二一世紀」は「幻想の世界」です。それこそ「夢物語
(空想)」に終わってしまいます。長谷さんは、本当の「二一世紀」には『何の問題もない』、
『二一世紀は天国だ』と言っているのですが、如何いたしましょうか?「二一世紀」というの
は「問題解決」などというゲームは初めからいらないのです。あなたが「二一世紀」に行き
(生き)さえすれば、「問題」はキレイサッパリすべて解決するのですから。あなたの目の前は
「天国」なのですから。
あなたが、そういうものが必要だとミジンでも思っているならば、あなたは『二一世紀が来
る』と夢見たまま、本当のことを何も知らないで永遠の死を迎えます。つまり、あなたは初め
から天国には行かれない魂だということになります。実際は、最後の「大掃除」で目が覚めま P111
すが。
● 「アル」か「ナイ」かの議論をしていれば「二一世紀」は「ナイ」
あなたの見ている世界と、長谷さんの見ている世界は、裏と表の世界です。『どっちが本当
か』という次元の問題ではないんです。あなたが『そんな世界はナイ』と言っている世界を、
『長谷さんの言う世界はウソだ』と言っている世界を、長谷さんが今ここで語っているという
ことは一体どういうことなんでしょう?そういう世界が「絶対に」存在しないならば、長谷
さんはそういう世界を認識することはできませんから、この本を書くことは「絶対に」できま
せん。
あなたの持っている今の浅知恵を駆使して(無い頭を絞って)よく考えてみてくださいね。
ここから得られる結論というのは、ただ一つです。それは『どっちもあり得る』ということで
す。まずは、あなたが「ナイ」と言っている世界が「アル」のだということを認めてください。
『アルかナイか』とやることが、地獄を進めてきた大元なんです。「ナイ」のはあなたにとって
だけです。
長谷さんの話は『どっちが本当か』という次元ではないということはわかりましたか?あ
なたの語る「二一世紀」も、長谷さんの語る「二一世紀」も、両方ともまだ来ていないから今
ここで「議論」することができるんです。長谷さんは、長谷さん自身の語る世界も、あなたが P112
語る世界も、両方とも「アル」と認めています。あなたは「自分の語る世界だけが『アル』」
と言っているんです。『どっちが本当か』の答えは、最後の最後に出ます。今、あなたに出来
ることは、『どっちを信じるか(つまり、どっちを選ぶか)』『どっちの現実を生きるか』とい
うことだけです。
「選ぶ」ということは行動するということです。『信じているけど~』というのは『信じてい
る』ことにはなりません。信じていれば、素直に実行できる筈です。長谷さんは長谷さんの言
うことをすべて実行した結果をこの本で書いているんです。長谷さんは、長谷さんの語る「二
一世紀像」を選択して、行動して、その結果、この本を書いているんです。あなたがどっちを
選択するかは、あなたの自由です。あなたが長谷さんの語ることを拒否しても、否定しても、
何の意味もありません。あなたが長谷さんの提案を一つでも否定しているならば、あなたの心
には天国はありません。長谷さんを否定するということは、あなたは心に地獄を持っています。
長谷さんを批判するのは自由ですが、自らが自らの一〇〇%の天国を否定していることに気づ
いていますか?天国の心の無い人間は、天国には行けません。天国を行動すれば天国が形に
なります。簡単な道理です。
● 「天国だけの世界」を生きれば「二一世紀」は必ず来る P113
あなたの理屈と長谷さんの理屈と、どっちが矛盾がないでしょうか?どっちがより大きい
世界でしょうか?どっちが納得できるでしょか?どっちが全員が天国になるやり方でし
ょうか?どっちが「誰でも」天国を体験できる方法でしょうか?どっちが「いつでも」
「どこでも」天国になれる方法でしょうか?どっちが「問題」を創らないで遊べる世界でし
ょうか?
あなたが今ここで『一〇〇%の天国が来る』という「無条件の天国」に生きていれば、「天
国と地獄がある世界」にも「天国だけの世界」にも生きられます。あなたが『天国と地獄があ
る』という「制限付きの天国」に生きていれば、「天国だけの世界」には生きられません。あ
なたがどっちでも大丈夫なようにしてあれば、あなたには何の心配もありません。
今ここから、どっちの生き方をしていれば絶対に間違いがないか、分かりますか?あなた
が「天国だけの世界」が来ても、どっちでも生きられます。つまり、「天国と地獄がある世界」
が来ても、「天国だけの世界」が来ても、どっちでも生きられます。つまり、「天国だけの世界
が来る」という現実に生きることが、あなたが永遠のイノチを得る(保証する)唯一の方法な
のです。
長谷さんの言うことに従う(=自分自身の言う通りに生きる=長谷さんの「命令」を聞かな
い)と、あなたは「二一世紀」に生きられるのです。あなたに見えているものは、すべてあな P114
たが創っているものです。あなたの内にある通りに外に見えているんです。天国しかない人に
は地獄は見えません。あなたの心に地獄があるから地獄が見えるのです。簡単に言えば、
「内=外」「あなた=私」です。外の悪を裁くということは、あなた自身の心を裁いているのと
同じことなんです。
この道理が分からないならば、あなたには「天国」は永遠にやって来ません。あなたはハラ
を決めて修行に励む(「天国」を今ここから行動する)ことで、あなたは「天国」に戻って生
きます。あなたが「天国の生き方」をしないならば、あなたは「天国」を求めて、「天国」を
体験しないままで、修羅の地獄に落ちた挙げ句、そのまま永遠の死を迎えるのです。あなたの
心がどちらを選択(行動)しているかで、あなたに「二一世紀」が来るか来ないかが決まるの
です。「地球の転換」に合わせるか合わせないかで、永遠の天国か永遠の死か、あなたの運命
が決まるのです。
外の掃除とあなたの掃除は別ものです。あなた次第であなたのイノチがどうなるかが決まり
ます。あなたが外を天国にするのではなく、あなたが外の天国(神様の意志)に合わせるので
す。あなたが天国の生き方をしていなければ天国はありません。これが今回の世界転換のカラ
クリです。
● 今までの現実を「新しい見方」で見直すと「本当の天国」が見える P115
「当たり前」というのは、「それだけしかない(=議論は無い)」ということです。「天国」と
いのは、「議論」や「戦争」や「罰則」など初めから不要な(存在しない)世界なんです。
「二一世紀」というのは「天国」そのものです。つまり、今までの世とは全く違う別の次元の
全く新しい世界で「ゼロ」から遊び直す、全くの「ゼロ」から新しい歴史を創り直す第一歩が
「二一世紀」なんです。「新しい世」の「一世紀」が「二一世紀」なのです。すべてのすべてが
分かっている「大人(成人/ハタチ)」が創る新しい歴史のスタートが「二一世紀(二〇歳の
一世紀)」なんです。二つが一つになる、二重が一つになるのが「二一(二重一)世紀」なん
です。
これはゴロ合わせでもこじつけでも何でもなく、「神様」が、人間になっている(「肉体」を
持っている)魂に、形や文字や言葉等々を見て分かるように、この世にある道具を使って
「型」ですべてを教えてくれているからできることなんです。今までのあなたは、こういう見
方を教わってきませんでしたから、神様の「型示し」に気づかず、形(肉眼で見たり聴いたり
した表面上の言動、出来事、形)を『○だ×だ』と分けて、議論して、何が何だか分からなく
なっていたんです。
今ここで長谷さんが「新しい見方」をお教えしたのですから、今あるもの、今までの体験を
改めて見直して見れば『何が真実で何がウソなのか』ということは一目瞭然になるでしょう。 P116
『そんなものは屁理屈だ』と言うならば、あなたには永遠に真実は分かりません。『議論がない
世界になるんだ』と言っているのに『議論がない世界などない』とあくまでも戦うならば、あ
なたには天国はありません。あなたの心は天国とはイコールではありませんから、天国には行
けません。
このように、来るべき「二一世紀」の真の(本当の)姿というのは、闇も問題も悩みも議論
も戦争も無い、悪の影(種)さえもない、生きとし生けるものすべてが嬉し嬉しで暮らせる素
晴らしい世界、光り輝く「永遠の天国」のスタートラインなのです。今までの歴史を通じて、
何世代にも渡って、全人類が、一人残らず、今までずっと待ち望んでいた「地上天国」の実現
の瞬間なんです。
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