忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

(2)二一世紀は何の問題もない一〇〇%の永遠の天国のスタートです

(2)二一世紀は何の問題もない一〇〇%の永遠の天国のスタートです               P103

「新しい世」は、初めから「統合された世界」
 あなたが今、「地獄」や「悪」を見ている(議論している)ならば、あなたが「地獄」とか
「悪」とか、そういう思考(想念/イメージ)を持っているという証拠です。あなたが「地獄」
とか「悪」を想像したり、あなたに「?」や「×」があるということは、あなたは本当のこと
は何も知らないという証拠なんです。「善(悪)」や「天国(地獄)」が自分の外にあるという
ならば、あなたの外の意見や行動や出来事に「賛成(反対)」を言うならば、あなたの心が二
つに分裂しているということです。あなたの心は「相反する二つの目」を持っているというこ
とです。そして、その目を自分に都合がいいように、その場その場で使い分けているだけです。
あなたは「すべて」を見ていない(心に曇りがある)ということなんですが、この点について
は、いかがでしょうか?
 「新しい世」はすべてが一つ、分裂など、どこにもない「統合された世界」です。天国だけ、
自由だけ、愛だけ、喜び「だけしか」存在しない世界なんです。「だけ」って言うのは「それ
しかない」のですから、天国とか、自由とか、愛とか、喜びとか、そのイメージすら想像しな
いということです。あなたは『自分自身が今ここにいる』ということについてわざわざ議論し         P104
ますか?そんなことは当たり前ですか?議論の余地はないですか?あなたが『悪だ善だ
賛成だ反対だ許せない認めない』云々と言えるのは『自分自身が今ここにいる』証拠です。
「当たり前」のことや「暗黙の了解」があることをわざわざ議論しませんよね。それが「当た
り前」ということなんです。

「二つに分裂した心」では「統合された世界」には行けない
 「新しい世」には議論など何処にも存在しません。地獄も不自由も疑問も宗教も無い世界で
すから当然のことです。天国とは何か?自由とは何か?真実とは何か?神様とは何か?
なんて「命題」もしないんです。逆に言えば、そういう「問いかけ」(「疑問」)があるという
ことは、今の世界は「天国」ではない(「地獄」だ)ということです。トラブルがあるという
ことは、相反する分裂した思考が形になっている世界だということです。「心が二つに分裂し
ている人間」は、統合している世界(「二一世紀」)には行けません。『どっちが・・・・・・』とやっ
ている限り、あなたは「二一世紀」には行けないということです、「天国」はもう永遠にない
ということです。
 あなたの外に天国を探せば探すほど、天国は見えなくなります。外の悪を潰して天国を創れ
ると思っているならば、やればやるほど、ますます地獄を進めていくだけです。「一つ」の世
界には「二つ」の心を持っては行けません。これは何の勉強をせずとも、子供でも分かる簡単      P105
な道理です。大学院まで行ってもこんな簡単な道理が分からなくなるほど、今のあなたは天国
から離れているんです。『そんなことは・・・・・・』『でも・・・・・・』というセリフが何を意味しているか
分かりましたか?

『悪が有るか無いか』の議論は「悪が有る世界」だけのゲーム
 「新しい世」に生きている人間には「地獄」という概念(イメージ)とそれに関連するすべ
ての概念(「苦」「悪」「戦い」「裁き」「批判」「病気」「怪我」「犯罪」等々)は一切ありません。
「天国だけ」ですから、そういうものは全く見えない(考えもしない/イメージにも出てこな
い)んです。そういうものは初めから無いのですから当然のことですよね。今の世の元の元の元
は天国だったんですが、人間が「地獄の素」を創ってしまった結果今の世ができたという訳で
す。
 元々無いものを創ったのですから、元からそういうものが無い世には、初めから「無い」の
です。「有る」か「無い」かという議論は、そういうものが「有る」世界でしか成り立ちませ
ん。「有る」のが当たり前だと思い込んでいれば、元々は「無い」ものなんだということには
永遠に気づきません。「『無い』のが当たり前なんだ」と言わなければ、「『有る』のがオカシ
イ」ということには気づきません。まずはこのことを知らなければ『「有る」か「無い」かと
いう議論をしていること自体がオカシイことだ』なんていうことはどう逆立ちしても気づきま         P106
せん。
 「無い」ものは初めから見えません。『有るか無いか』を議論できるのは、「有る世」だとい
うことです。「無い世」と「有る世」は裏表ですから、「有る世」が当たり前だと思い込んでい
る人間には、「無い世」は絶対に見えません。ところが、『そんなものは無い』と言えるのは、
「そんなもの」が「有る」からなんです。「有る」から「無い」と否定できるのです。「そんな
もの」とは一体なんでしょうか?この問いに答えが出るということは、「地獄が有る世」に
も「天国の種は有る」のだということです。つまり、今の世というのは、相反するものが存在
する、両方とも認識できる、二つに分かれた「相対二元」の世界(地獄)だということです。
各人がどちらか片方だけを実現して「正しい」と思い込んでいるから争いになるんです。「無
い」と言っているものは「存在する」んです。「無い」ということがどういうことを意味する
のか、分かりましたか?

自分の外側にある「悪」は自分自身の「心」の映し
 「二一世紀」になったら、「天国か地獄か」というような議論をしているようなあなたのお相
手は誰もできません。そんなことは絶対に不可能なんです。なぜならば、『天国か地獄か』と
いう「分裂の心」(二つに分けて見る目、「分かつ知」)を持っているあなたは「天国だけ」の
世界には初めから「いない」からです。「天国」には「分かつ知」を持つ人間はキレイサッパ       P107
リいなくなるからです。今の世を「天国の目」で見れば、「地獄のゲーム」はただの映画に過
ぎません。
 あなたが「善悪、苦楽に分けて見る心(○●二つに分ける目/善悪の悪を裁く心)」を持っ
ているから、あなたの外に「悪」や「苦」が見えるんです。あなたが「悪」を持っているから、
「悪」に類するイメージが創れるんです。あなたが「悪」の目で外を見るから「悪」が見える
んです。外に「悪」があると思い込んでいるから「悪」が外にあるように見えるんです。『外
に「悪」があるから「悪」が見えるんだ』と言うならば、あなたにはこの道理は絶対に理解で
きません。あなたと長谷さんの言うことは裏表、どっちか一つのアベコベの視点ですから、永
遠の平行線です。
 あなたの回りには一つとして「悪」はありません。内(心)に(善悪)が同居しているあな
たの現実にだけ「悪の映像」が存在しているだけです。あなたが長谷さんの言うことを認めな
ければ、あなたは永遠に地獄にい続けて、最後は何も知らないまま、永遠の死を迎えることに
なります。
 あなたの回りはあなたの心の鏡です。『悪が外にあるから悪が見える』ともいえますが、『自
分の心に悪を持っているから悪が自分の外に見える』とも言えますね。あなたがどっちのゲー
ムを選ぶかによって、全くアベコベの現実を体験します。今までは『外に悪がある』と思い
込んでいたから、外の悪を裁いて、外の悪を潰して、天国が創れると思い込んでいたんです。      P108
その結果が、地獄の地獄の問題ばかりの今の世です。あなたが裁いている悪は、あなたの心に
あるんです。
 何と言おうとあなたの勝手ですが、何で長谷さんがあなたと違う見方をしていて、こうもハ
ッキリと自信を持って言えるのか、お分かりですか?答えは後ほど。

「議論」をしている世界は本当の(一〇〇%の)天国ではない
 あなたの外に「悪」が見えるのは、あなたの内に「悪」があるからです。あなたがこれを認
めない限りは、あなたは今世をもって最後の人生となります。長谷さんの本を読んでも意味が
ありません。さて、あなたはどうしますか?まだ、『外に悪がある』と言い続けますか?
あなたが「天国」を見る気がないなら、今の世界で手に入れたもの(今の世界で教わったも
の)にこだわっているなら、今のあなたには、どう逆立ちしても「一〇〇%の天国」は見えま
せん。「一〇〇%の天国」が見えているならば、あなたは議論や反論はしませんし、疑問や不
思議や疑いなど一切ありません。一〇〇%分かっているのですから、議論や疑問など全くない
のは当然ですね。逆に言えば、あなたがほんの僅かでも議論をしているなら、疑問があるなら、
あなたは一〇〇%の天国ではありません。今あなたは何も分かっていないことを白状している
んですが、いかがでしょうか?
 あなたに一〇〇%の天国が見えているならば、長谷さんの書いていることに一切、文句はな      P109
いはずです。あなたが本当に全部分かっているならば、長谷さんの本を批判したり、疑ったり、
『長谷のバケの皮を剥いでやろう』なんて思っているのはオカシイことですね。あなたに『何
の問題もない』ならば、あなたは何で長谷さんの本を読んでいるんですか?問題があるから
ですよね。
 あなたの外には「悪」も「ウソ」もありません。長谷さんの本はあなたの心を映す鏡です。
長谷さんはこの本を一〇〇%分かっていますから(当然ですね)、あなたが長谷さんを「悪」
だと言っているのは、一体どういうことでしょうか?長谷さんは「○」だと言っていること
を、あなたが「×(●)」だと言っているのは、一体どういうことでしょうか?長谷さんのこ
とを『気違いだ』『間違っている』『認めない』『許せない』云々と言うのはあなたの勝手です
が、『長谷さんの見方もあなたの見方もある』ということは動かない真実です。あなたは『両
方の見方がある』ということは認めますね。後は、あなたがどっちの見方を選択するかという
問題になります。

「二一世紀」には問題解決ゲームは初めからいらない
 一〇〇%の天国には、議論も疑問も対立も一〇〇%ありません。裏を返せば、議論している、
地獄を語る、人を批判する、人に反論する、人や自分を疑う、人と戦う等々のゲームをやって
いるということは、今のあなたの語る「天国」は一〇〇%の天国ではないという証です。あな      P110
たは「天国と地獄」を創った上で、その天国を見て「天国」だと思っているんです。あなたは
「地獄」を見ないフリをして、自分に都合のよい「天国」だけを見て、その天国に向かおうと
しています。「地獄」を見ないフリをしているということは、「地獄」を見ているのと同じこと
です。
 そのウソ(条件付き)の天国を本当の天国(ミロク)だと思い込んでいるから、「『二一世
紀』になっても少しは問題や病気や法律がある」なんて言い出すことになるんです。あなたが
『問題や地獄がある』『二一世紀になれば問題が解決できる』『二一世紀になれば病気を直せる』
と言っているならば、あなたは『二一世紀にも問題がある』という宗教に基づいて生きている
ことになりますから、あなたの言う「二一世紀」は「幻想の世界」です。それこそ「夢物語
(空想)」に終わってしまいます。長谷さんは、本当の「二一世紀」には『何の問題もない』、
『二一世紀は天国だ』と言っているのですが、如何いたしましょうか?「二一世紀」というの
は「問題解決」などというゲームは初めからいらないのです。あなたが「二一世紀」に行き
(生き)さえすれば、「問題」はキレイサッパリすべて解決するのですから。あなたの目の前は
「天国」なのですから。
 あなたが、そういうものが必要だとミジンでも思っているならば、あなたは『二一世紀が来
る』と夢見たまま、本当のことを何も知らないで永遠の死を迎えます。つまり、あなたは初め
から天国には行かれない魂だということになります。実際は、最後の「大掃除」で目が覚めま      P111
すが。

「アル」か「ナイ」かの議論をしていれば「二一世紀」は「ナイ」
 あなたの見ている世界と、長谷さんの見ている世界は、裏と表の世界です。『どっちが本当
か』という次元の問題ではないんです。あなたが『そんな世界はナイ』と言っている世界を、
『長谷さんの言う世界はウソだ』と言っている世界を、長谷さんが今ここで語っているという
ことは一体どういうことなんでしょう?そういう世界が「絶対に」存在しないならば、長谷
さんはそういう世界を認識することはできませんから、この本を書くことは「絶対に」できま
せん。
 あなたの持っている今の浅知恵を駆使して(無い頭を絞って)よく考えてみてくださいね。
ここから得られる結論というのは、ただ一つです。それは『どっちもあり得る』ということで
す。まずは、あなたが「ナイ」と言っている世界が「アル」のだということを認めてください。
『アルかナイか』とやることが、地獄を進めてきた大元なんです。「ナイ」のはあなたにとって
だけです。
 長谷さんの話は『どっちが本当か』という次元ではないということはわかりましたか?あ
なたの語る「二一世紀」も、長谷さんの語る「二一世紀」も、両方ともまだ来ていないから今
ここで「議論」することができるんです。長谷さんは、長谷さん自身の語る世界も、あなたが       P112
語る世界も、両方とも「アル」と認めています。あなたは「自分の語る世界だけが『アル』」
と言っているんです。『どっちが本当か』の答えは、最後の最後に出ます。今、あなたに出来
ることは、『どっちを信じるか(つまり、どっちを選ぶか)』『どっちの現実を生きるか』とい
うことだけです。
 「選ぶ」ということは行動するということです。『信じているけど~』というのは『信じてい
る』ことにはなりません。信じていれば、素直に実行できる筈です。長谷さんは長谷さんの言
うことをすべて実行した結果をこの本で書いているんです。長谷さんは、長谷さんの語る「二
一世紀像」を選択して、行動して、その結果、この本を書いているんです。あなたがどっちを
選択するかは、あなたの自由です。あなたが長谷さんの語ることを拒否しても、否定しても、
何の意味もありません。あなたが長谷さんの提案を一つでも否定しているならば、あなたの心
には天国はありません。長谷さんを否定するということは、あなたは心に地獄を持っています。
長谷さんを批判するのは自由ですが、自らが自らの一〇〇%の天国を否定していることに気づ
いていますか?天国の心の無い人間は、天国には行けません。天国を行動すれば天国が形に
なります。簡単な道理です。

「天国だけの世界」を生きれば「二一世紀」は必ず来る                         P113
 あなたの理屈と長谷さんの理屈と、どっちが矛盾がないでしょうか?どっちがより大きい
世界でしょうか?どっちが納得できるでしょか?どっちが全員が天国になるやり方でし
ょうか?どっちが「誰でも」天国を体験できる方法でしょうか?どっちが「いつでも」
「どこでも」天国になれる方法でしょうか?どっちが「問題」を創らないで遊べる世界でし
ょうか?
 あなたが今ここで『一〇〇%の天国が来る』という「無条件の天国」に生きていれば、「天
国と地獄がある世界」にも「天国だけの世界」にも生きられます。あなたが『天国と地獄があ
る』という「制限付きの天国」に生きていれば、「天国だけの世界」には生きられません。あ
なたがどっちでも大丈夫なようにしてあれば、あなたには何の心配もありません。
 今ここから、どっちの生き方をしていれば絶対に間違いがないか、分かりますか?あなた
が「天国だけの世界」が来ても、どっちでも生きられます。つまり、「天国と地獄がある世界」
が来ても、「天国だけの世界」が来ても、どっちでも生きられます。つまり、「天国だけの世界
が来る」という現実に生きることが、あなたが永遠のイノチを得る(保証する)唯一の方法な
のです。
 長谷さんの言うことに従う(=自分自身の言う通りに生きる=長谷さんの「命令」を聞かな
い)と、あなたは「二一世紀」に生きられるのです。あなたに見えているものは、すべてあな       P114
たが創っているものです。あなたの内にある通りに外に見えているんです。天国しかない人に
は地獄は見えません。あなたの心に地獄があるから地獄が見えるのです。簡単に言えば、
「内=外」「あなた=私」です。外の悪を裁くということは、あなた自身の心を裁いているのと
同じことなんです。
 この道理が分からないならば、あなたには「天国」は永遠にやって来ません。あなたはハラ
を決めて修行に励む(「天国」を今ここから行動する)ことで、あなたは「天国」に戻って生
きます。あなたが「天国の生き方」をしないならば、あなたは「天国」を求めて、「天国」を
体験しないままで、修羅の地獄に落ちた挙げ句、そのまま永遠の死を迎えるのです。あなたの
心がどちらを選択(行動)しているかで、あなたに「二一世紀」が来るか来ないかが決まるの
です。「地球の転換」に合わせるか合わせないかで、永遠の天国か永遠の死か、あなたの運命
が決まるのです。
 外の掃除とあなたの掃除は別ものです。あなた次第であなたのイノチがどうなるかが決まり
ます。あなたが外を天国にするのではなく、あなたが外の天国(神様の意志)に合わせるので
す。あなたが天国の生き方をしていなければ天国はありません。これが今回の世界転換のカラ
クリです。

今までの現実を「新しい見方」で見直すと「本当の天国」が見える                  P115
 「当たり前」というのは、「それだけしかない(=議論は無い)」ということです。「天国」と
いのは、「議論」や「戦争」や「罰則」など初めから不要な(存在しない)世界なんです。
「二一世紀」というのは「天国」そのものです。つまり、今までの世とは全く違う別の次元の
全く新しい世界で「ゼロ」から遊び直す、全くの「ゼロ」から新しい歴史を創り直す第一歩が
「二一世紀」なんです。「新しい世」の「一世紀」が「二一世紀」なのです。すべてのすべてが
分かっている「大人(成人/ハタチ)」が創る新しい歴史のスタートが「二一世紀(二〇歳の
一世紀)」なんです。二つが一つになる、二重が一つになるのが「二一(二重一)世紀」なん
です。
 これはゴロ合わせでもこじつけでも何でもなく、「神様」が、人間になっている(「肉体」を
持っている)魂に、形や文字や言葉等々を見て分かるように、この世にある道具を使って
「型」ですべてを教えてくれているからできることなんです。今までのあなたは、こういう見
方を教わってきませんでしたから、神様の「型示し」に気づかず、形(肉眼で見たり聴いたり
した表面上の言動、出来事、形)を『○だ×だ』と分けて、議論して、何が何だか分からなく
なっていたんです。
 今ここで長谷さんが「新しい見方」をお教えしたのですから、今あるもの、今までの体験を
改めて見直して見れば『何が真実で何がウソなのか』ということは一目瞭然になるでしょう。       P116
『そんなものは屁理屈だ』と言うならば、あなたには永遠に真実は分かりません。『議論がない
世界になるんだ』と言っているのに『議論がない世界などない』とあくまでも戦うならば、あ
なたには天国はありません。あなたの心は天国とはイコールではありませんから、天国には行
けません。
 このように、来るべき「二一世紀」の真の(本当の)姿というのは、闇も問題も悩みも議論
も戦争も無い、悪の影(種)さえもない、生きとし生けるものすべてが嬉し嬉しで暮らせる素
晴らしい世界、光り輝く「永遠の天国」のスタートラインなのです。今までの歴史を通じて、
何世代にも渡って、全人類が、一人残らず、今までずっと待ち望んでいた「地上天国」の実現
の瞬間なんです。


PR

Comment

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

Trackback

この記事にトラックバックする:

Copyright © 21世紀の人生の遊び方 : All rights reserved

「21世紀の人生の遊び方」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]