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(3)この世は二一世紀の遊び方を体験する「真コト☉の学校」です

(3)この世は二一世紀の遊び方を体験する「真コト☉の学校」です

二一世紀への変革というのは自らの心の変革のこと                               P237
 二一世紀は物質の世ではありません。葛藤(争い)を創り出す心を持つ人間は一人たりとも
行けません。どんなに地位があろうと、コネがあろうと、カネがあろうと、経験があろうと、
優秀な成績だろうと、有名だろうと、どんなに厳しい修行を積んでいようと、掃除がなければ、
そんなものは何の意味もありません。今回の「変革」というのは、表面上のシステムや行動を
変えることではありません。自らの心の「変革」です。生き方の「変革」です。自らの心をそ
のままにして、形やシステムだけ変えても何も意味がありません。心が行動になり形になるの
ですから、心を変えなければ形は変わりません。ドロボーの心(得しよう/損しないようにし
よう/楽しよう/苦労を避けよう)、我善しの心(俺が正しい/自分の都合よく)、裁きの心
(自分に都合悪いものは排除する)のままでは、全員一致は不可能ですし、どんなにシステム
を変えても、新しいシステムを考えだしても、全く意味はありません。永遠に議論と罰則(規
制)があり続けます。どんなに便利な制度を創ってもドロボー対策が必要になり、永遠に問題
は無くなりません。どんなに言葉で言い聞かせても自分勝手を続ける人間はやめませんから、
最期は神様が全体を作り替えるのです。                                               P238
 二一世紀の形やシステムは、一〇〇%心の変革を終えた後の問題です。☉なければ、二一世
紀には行けません。行けない人間が二一世紀を語っても意味はありません。まずは、自分自身
の心のタテカエ、タテナオシをしなければ、何を知ろうとも、あなたは二一世紀には行かれま
せん。
 今回は、外の制度や他人の行動ではなく、自らの内のタテカエ、タテナオシが迫られている
のです。二〇世紀の心=人間心(Φ/我善し/条件付の愛/自分だけの自由/悪裁く心/ご
都合主義/文句/操作等々)を二一世紀の心=神心(☉/ALL OK/無条件の愛/完全自
由/感謝/自然等々)にタテカエて、今ここから一〇〇%実行して、訓練して、練習して、癖
を直して、自らの現実をタテナオシていくことが、今ここであなたのすることです。外の形を
変えるのではなく、制度やシステムを変えるのではなく、他人を変えるのではなく、地球を変
えるのではなく、自分自身の心を変えるのです。あなたが今の世界を変革するのではなく、神
様が変えた世界へ行く準備をするのです。言葉で言えば簡単ですが、これは大きな大きな違い
です。このことが分からなければ、このことを認めなければ、あなたは取り違いをしたまま、
次の世紀を待たずに、二度と生まれ変われない死を迎えることになります。二一世紀は上から
下まですべて☉の世になりますから、Φの魂にはもう行くところはどこにもないのです。あな
たが助かる方法は☉に戻ることだけです。
 あなたが気づかないところで、全く別の世界へ行くための準備が着々と進んでいるのです。          P239
最期の仕上げに向けて、大掃除の準備が加速しているのです。今起きている表面的な出来事に
一喜一憂したり、今まで学んだものや手に入れたものに執着したりしていると、変化の本質の
部分を見逃すどころか、次の世界はもうあなたにはありません。

あなたが今ここですることは出来事の○×の議論ではない
 あなたが今ここですることは、起きている出来事に対して○だ×だ、賛成だ反対だ、良くな
いおかしい、許せない認められない、安全だ危険だ云々と判断をしたり、何だかんだと今まで
の知識を持ち出して屁理屈をこねてコメントや議論を始めたり、何とかしよう逃げようとして
小手先の知恵で右往左往して大騒ぎすることではありません。これが今までの「表面上の○×
を決める」「AかBか自分がどっちにつくか」と言う「相対二元論のゲーム」です。これは
「議論(争い)」と「混乱」を創り続けるだけで、最期はお互いに共倒れとなる永遠に答えの出
ない地獄のゲームです。今までの世界がずっと続くならば永遠ですが、このゲームができる世
界はもう続きませんから、これを続けるということは、つまり、永遠の滅びを意味します。
 今、自分の目の前で起きていることを新しい価値観(真コトの目)で解釈し直してください。
自分の心を新しい基準にキレイサッパリ入れ換えて行動してください。今の世の仕組みや出来
事を真コトの目で見直してみれば、これほどおかしい世はありません。文句を言う者勝ち、金
持ち勝ち、嘘つき勝ち、優しいフリ勝ち、作り笑い勝ち、上にいる者勝ち、先に生まれた者勝          P240
ち、先に入った者勝ち、被害者勝ち、文句を言う神の世の悪人に神の世の善人が謝るゲームで
す。自分がされたから下の者に仕返すという繰り返し、文句を言えば勝ちと思っていると、最後
に神様に文句を言うことになります。神様に損害賠償をすることになります。そんなことは神
の世では通用しません。
 神様の楯は何を持っても突き通せません。あなたが神様のせいにして、あなたがその楯に向
かっていけば、楯は何でも突き通せる矛に早変わりしてあなたはお終いです。神様があなたを
突くのではなく、あなたが神様の矛に自分から体当たりするのです。神心を持っていなければ、
矛が楯に見えます。あなたの道具はすべて神様の内の道具です。元の神様の道具には絶対に叶
いません。「矛盾」というのは、岩戸の中で、過去と未来を一緒にするから起きるトリックで
す。一番強い楯で一番強い矛を突くということはできません。元の神様が元の神様を突くとい
うことはできません。元の神様が世界そのものですから、神様の矛を受ける相手は神様の内に
いる誰かです。神様の楯を突くのは神様の内にいる誰かです。矛と楯を神様の内の誰かが持っ
ていることが条件です。「矛盾」の話は、矛で楯を突くというゲームが神様の内の出来事であ
ることを忘れています。
 全体を見ている元の神は戦いなどしません。すべてが自らの内ですから、矛盾などありませ
ん。戦って勝てると思っているのは、自分の道具が世界で一番強い楯や矛だと思っている者の
単なる勘違いです。あなたが何も知らずに一番だと思っていると、必ず、どんでん返しが待っ         P241
ています。
 その矛と楯の元の原料は一体誰が創ったのか? その矛と楯のゲームをしている場所は一体
誰が創ったのか? その矛や楯を使っている人間の肉体は、いや、人間の魂は誰が産んだの
か? 神様の内に生まれた神様もいます。人間も、内の神様方も、元の神の創った屋内遊技場
(神の内)で遊んでいるのですから、元の神同士の戦いというのはあり得ません。元の神と戦
うということは、あなたとあなたが戦っているのと同じことです。あなたとあなたが同時に同
所に存在することはできません。同時存在は不可能なゲームです。トコロが同じことはありま
すが、トキとトコロが一致しているのは一瞬だけです。二度とはありません。同じトコロには
行けますが、それは同じではありません。あなたが同時だと思っていても、一瞬のトキのズレ
があります。矛で突いて楯で受けるという時間のズレがありますから、立場を変えた、あなた
の一人芝居になります。あなたのアタマで考えた過去と未来を勝手に同時に存在させたゲーム
に過ぎません。
 あなたが全体を知らずにいる限り永遠に答えはでません。だからそれを考えて矛盾して葛藤
してストレスがたまるのです。あなたの葛藤は、答えの出ない枠内ゲームを遊んでいるからあ
るものなのです。悩みや矛盾を解消するには、元を☉にすればよいだけです。あなたの内のす
べての制限をキレイサッパリ一〇〇%外してしまえば(葛藤をやめれば)よいだけのことです。
「肉体が自分だ」という幻想から抜ければよいだけです。制限を持った自分(心)を殺せば、           P242
自由な自分が現れます。Φという桃を割れば、中から☉の桃太郎(百太郎/☉の子ども/元の
自分)が産まれます。

世の中を良くしたいならば良くしようとするのをやめること
 あなたが本当に天国を体験したいならば、今ここで天国になることが必要です。今ここで完
全に自由でないならば、あなたは天国へは行けません。あなたが今何とかしようとしている制
度やシステムや破壊や悪や人の行動等々は二一世紀になれば無くなります。Φのやり方で創っ
たものはすべてのすべてがキレイサッパリ掃除されます。あなたが何とかしなくても、神様が
何とかしてくれるのです。あなたから見れば、何とかなるのです。あなたが二一世紀に生き返
れば、あなたの望み通りに、あなたが良くしようとしなくても、あなたのいる社会は天国にな
ります。あなたが今あるものを何とかしようとすれば、あなたはその何とかしようとしている
ものと共に消え去ります。
 あなたが本当に世界を良くしようと思うならば、あなたが二一世紀に生き返りたいならば、
起きていることに一々感情的に反応するのではなく、今ある制度やシステムや他人の行動を何
とかしようとするのではなく、起きていることはただ黙って受け入れて、人がしていることは
黙って見ていて、自分の日常生活のすべてを材料(教材)にして、今までの自分の価値観を新
しい価値観に完全に転換して、新しい生き方を実践するというレッスン(修行/訓練)に集中         P243
することです。
 新しい生き方を生きるということは、自分自身を自由に遊ぶということです。今まで誰かを
不自由にしていただけ苦労しながら自由になっていくのです。レッスンしながらだんだんと遊
べるようになっていくのです。自分のしたことを返す(一切制限しない/起きたことを人のせ
いにしない)という制限を辛抱して実行していくにつれて自由になっていくのです。あなたが
自分で責任をとることを決めているならば、あなたがあなたを制限する理由はありませんし、
あなたが人に文句を言う理由も無くなります。それが完全に自由であるということです。自分
の責任で遊ぶと、それそのものが掃除であり、清算であり、天国の準備でもあります。今まで
の見方でどんなに変に見えようとも、あなたが自分の天国をいかに遊べるか、が掃除の鍵なの
です。あなたが『変だ』と見えるということは、あなたの心に変なものがあるということです。
あなたが変人だということです。
 人生を自由に遊ぶということは人には文句は言えないということです。あなたが自由に好き
にやっているのですから、文句を言う資格はありません。自分自身を止める理由もありません。
『混乱するからやめさせる』というあなたが、人の、自分の自由を混乱させている張本人なの
です。

完全自由のゲームには文句や苦情はありえない                                     P244
 あなたが悪いのか、相手が悪いのか、どっちか一つです。この二つの表現は、同じことです。
自分が悪くないならば、相手が悪いと言っているのと同じです。『テメエが悪いんだろ』と荒
っぽく言おうが、『ワタクシは悪くないとは思うんですが』と控えめに言おうが、同じことで
す。表面上でどんなに飾っても、どんなに守りを入れても、結局は『あんたが悪い』には変わ
りありません。表面上の表現で誤魔化される人間にだけ通用することで、長谷さんには通用し
ません。あなたの表現していることの骨組みだけを見ますから、どんなにお化粧しようと「長
谷さんレントゲン」には全部写ってしまいます。表面上でどう誤魔化そうとも、結局は「自分
が悪か相手が悪か」の二つに一つです。相手が悪だと言っている自分が悪なのです。自分が自
分の被害の加害者なのです。
 全部が全部、あなたの一人芝居です。あなたがそのゲームをやめなければ、あなただけが天
国に行けないのです。長谷さんも神様もあなたの自分勝手なゲームには付き合いません。自業
自得ですから、関係ありません。勿論、あなたが素直に話を聞くなら話をしますが。あなたの
生活全部を通して、あなたが相手(人や社会や神様や制度等々)に文句を言いたくなっても、
それを辛抱して、相手に文句を言わず、相手をコントロールせず、別のやり方をするのがあな
たにとっての修行であり、あなたのためになるレッスンなのです。『あんたが悪い』という選
択だけはできないのです。あなた自身の『あんたが悪い』ゲームがそのセリフの元ですから           P245
『あんたが悪い』と言えば、あなたはそのまま滅びの山道です。今までの古い教えでは、山籠
もりや滝行や祝詞や瞑想や読経では、天国には至れません。☉の心無くしてお祈りしても、神
様は何も聞いてはくれません。
 本当のあなた(魂)には死はありませんし、あなたのもの(所有物)はありません。あなた
は自由ですから、相手をコントロールする必要もないのです。あなたがあなたを不自由にして
いるから、相手の自由を侵害することになるのです。あなたは魂ですから、行動範囲は無限で
す。魂には「死後の世界」などというものはありません。『人間のすることには限りがある』
『人間には不可能だ』というのは、あなたが創った制限(宗教)です。あなたがそう言ってい
るから、そういうセリフを言い続ける結果になっているのです。あなたが制限を付ければ、制
限の中の遊びが続きます。そして、あなたは永遠に天国も自由も体験しないままで、自らで自
らを葬ることになります。

「魂の障害者Φ」は二一世紀には生きられない
 人間に不可能があるというならば、神様に任せるしかないのではありませんか? 神様を信
じないというならば、あなたは不可能があるゲームの中で天国を探し続けることになります。
あなたは不可能があるカタワの魂です。あなたこそ本当の障害者です。自分が障害者だと気づ
かずに、障害者を可哀相だと言っているあなたこそ可哀相な人間です。不自由が可哀相だとい     P246
うならば、あなたこそが可哀相な不自由な人間です。あなたの本体は魂です。魂が「障害者
Φ」ならば、「健常者☉」だけの二一世紀には行けません。二一世紀の肉体と道具は☉でなけ
れば、自分で全部できる魂でないと扱えないのです。『そんなことは嘘だ』というならば、あ
なたは☉が見えていないカタワであることを自ら白状しています。ウソだと言えば言うほど、
あなたは二一世紀から遠ざかっているのです。長谷さんと議論すればするほど、あなたは自分
の負けを認めていることになります。
 あなたは、天国を創るのは不可能だと言っていながら、天国を創ろうとして人を地獄に落と
しています。神様に任せていると言いながら、神様のすることに抵抗しています。自分が人の
することに口出しをしておいて、人に口出しされると文句を言います。回り道を避けるために
神様の体である山を傷つけてトンネルを掘って楽しておいて、事故が起きれば(自分が傷つけ
ば)損害賠償を請求する、何とも自分勝手ですね。本当の神様を知らないことは丸見えです。
今の人間がやっていることは何ともメチャクチャなことばかりなのです。言行不一致、バラバ
ラのオンパレードです。自分の心、魂がバラバラです。バラバラ殺神です。あなたこそ「バラ
バラ殺神」の真(神)犯人です。あなたがΦだから何も見えないのです。あなたが長谷さんを
否定したり、長谷さんの言うことが「?」だとすれば、あなたは☉ではありません。あなたが
見えないことを長谷さんが見えるのはなぜでしょうか? あなたが否定することを長谷さんが
肯定できるのはなぜでしょうか? 長谷さんが気違いなのでしょうか? それとも、あなたが           P247
気違いなのでしょうか? 答えは明らかですね。

『言ってはいけない言葉』は一つもない
 天国を生きている人間には文句などただの一つもありません。あなたが何をしても関係あり
ません。行動範囲は無限、方法は無限、永遠の時間、完全自由で生きている人間に文句などあ
ろう筈がありません。お互いの同意の上で交換していけばよいのですから、それだけのものを
持っていますから、人の意思を無視して人を動かす必要も人を支配する必要もありません。人
のすることに反対する理由もありません。実際のところ、人にはお願いできるだけ、注文出来
るだけ、です。何年間かかろうとも時間の無駄はありません。いつまでも待てますし、他の方
法もあるのですから、その人に請求したり、その人を急がせたりする必要はないのです。あな
たが人のすることを急がせるとしたら、あなたが時間の枠を創ってその中で自分だけ天国にな
ろうとしている証拠です。どんな理由をつけようとも、あなたの方が自分勝手な迷惑な人間で
あることには変わりありません。
 人に文句を言うほど、人を悪く言うほど、あなたのΦを証明していることになります。☉の
世界ではそういうやり方は通用しません。☉の世界では遊べません。誰も悪人の言うことなど
聞いてくれません。自分が自分で動けないのに手伝ってくれる人間に文句を言っているのです
から、そんな勝手な話はありません。あなたは犯罪者の説教を真面目に聞きますか? それと      P248
同じ理屈です。
 完全自由の人間には文句など出ようがないのです。文句を言いたくなるならば、あなたは完
全に自由ではありません。自分が悪い状況にならないで何とかしようとしている自分勝手な魂
です。あなたが誰かの文句を避けているならば、同じことです。文句を言う方が真釣り外しで
すから、そのような人間の言うことは無理に聞く必要はないのです。あなたが何かを言った後、
怒り出すならば、ほっといてやらせてください。「傷つける表現」も「悪魔のような表現」も
「冷酷な考え方」もありません。そういう見方をするあなたが「善悪」を持っている証拠です。
自由でない証です。
 「言ってはいけないこと(形)」はありません。「言ってはいけないと言うこと」が言っては
いけない発言なのです。完全自由☉の世に「してはならない」はありません。してはならない
ことはΦです。してはならないことをすれば自分だけがΦの体験をするようにしてありますか
ら、してはならないことをしても☉の人間にとっては関係ありません。「してはならない」を
してはならないと言うならば(悪を裁くならば)、その本人も悪です。「言ってはいけない」と
言った本人だけが葛藤を創るだけですから、それを言うことは自由です。悪を創れば本人が悪
の体験をしますから、悪は自滅しますから、自業自得の仕組みですから、悪を裁く意味はない
のです。悪裁く者も悪ですからお互いさまなのです。天国の人間には『ヤメロ』と言っても関
係ありません。あなたが何を言おうと長谷さんには関係ありませんから「言ってはいけないこ          P249
と」はないというわけです。

悪は自滅する仕組みだから神様は悪も許す
 悪は自滅しますから、悪を裁く仕組みは必要ないのです。悪を裁く本人が悪ですから、悪は
自滅ですから、神様は人間のゲームを好き勝手にやらせているのです。『神様が悪を許してい
るのはオカシイ』というならば、あなたは本当の悪とは何なのか、神様の本当の意思とは何な
のか、わかっていないことになります。『神様が悪を許すのはオカシイ』は言い換えると『悪
は許すべきではない』ということになります。本当の悪とは☉に違反したΦですから、あなた
自身が悪です。つまり、あなたが言ったことがあなたに返りますから『悪は許すべきではな
い』というその発言自体が出来なくなるということです。その発言が出来るというのは、神様
が悪を許している証明です。
 神様は最期の最期は悪はすべて大掃除する仕組みを構えていますから、あなたに好き勝手を
やらせていたのです。ただ、最期は悪も助ける情け深い神様ですから、最期の最期は本当のこ
とを全部教えて、改心の機会を渡すのです。『もっと早く教えてくれれば良かったのに』と言
うならば、☉に違反していたのは誰なのか、今までも教えていたのに無視したのは誰なのか、
よく考えてください。あなたが☉していれば、神様が教えようが教えまいが関係ないのです。
天国ならば、人が何をしていても関係ないのですから、人のすることをやめさせる理由も、人         P250
に文句を言う理由も、自分のしたいことを止める理由もないのです。悪は自滅ですから悪を潰
す必要はないのです。悪を潰そうとしているのは自分が悪である証です。悪を潰そうとしてい
るあなたが神様☉から見れば悪であることを知っておいてください。そうすれば、自分が何を
すればよいのか、わかる筈です。この理屈が分かるかどうかが、あなたが完全自由(天国/二
一世紀)を体験するための鍵なのです。
 長谷さんの言うことが『厳しい』『つめたい』『鬼だ』と言うならば、あなたには長谷さんの
していることが丸で見えていません。長谷さんの表現を見てアレコレ反応するならば、あなた
は、外にあるものが悪だ、外にあるものが自分を不快にするのだ、外に原因があるのだ、と言
っていることになります。自らの内の悪を認めていませんから、ホコリが溜まり続けて大掃除
となります。
 今の世の「教育」というのは、「強制」「コントロール」「させよう」という『形を変えよう』
の心が創るゲームです。あなたの心も含めて、社会全部がコントロールゲームの中なのです。
Φの宗教が創りだすゲームなのです。説教だろうが、命令だろうが、敬語を使おうが、優しく
言おうが、厳しく言おうが、『させよう』『変えよう』としていることには変わりありません。
そのままのゲームを続けるならば、地獄を進めて、最期は全滅する世紀の大神芝居の結末が迫
っています。
  ☉の基準ですべてを見ることが「霊主体従」の見方です。その見方ですべてを見て、一〇〇         P251
%行動することが、心の掃除、真釣り外しの清算なのです。そのプロセスで起きることを辛抱
することが、あなたの掃除、本当の罪の償いです。その体験を辛抱できた者だけが手にするこ
とができるのが二一世紀から始まる永遠の天国なのです。天国を手に入れるのはそんなに甘く
はありません。


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